安眠文学
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埃舞うマラウイ
投稿時刻 : 2018.04.12 18:26
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埃舞うマラウイ
ポキール尻ピッタン


 入社したばかりのころにも眠れないことがあた。ストレスが溜まているとか脳が興奮しているからとか、疲れすぎると却て寝付けないのには、そんな理由があるらしい。自分の場合はおそらく興奮によるものだろう。ただでさえ神経質な性格なのに、過敏に反応してしまうことがままあた。
たとえばカーテンから漏れる街灯の明かりでフローリングが照らされているとしよう。しくりくる位置を探して枕の上で頭を転がしていると、ほのかに輝く小さな点が視界に入る。普段なら無視するわずかな埃が、眠りたいというのに、気になて気になて仕方がない。どうすべきか逡巡したところで、いつも答えは決まていた。電気を点け台所から雑巾を持てくる。埃を拭き取り、これでようやく布団に戻れると安心する。しかし気持ちとは裏腹に、自分の眼球は次の埃を求めて部屋中をトレースしてしまう。そこからは納得するまで大掃除だ。休みの日に掃除機をかければ済むことなのに、夜中だから馬鹿丁寧に雑巾で磨く。当然寝不足のまま現場に通い、疲れ切たあげく休日は一日寝て過ごす羽目になる。若くて体力があたから大事には至らなかたけれど、注意力が散漫になり事故を起こしかけたことは何度かあた。
 ベテランとなたいまではさすがにそこまで神経質になることは減たものの、蚊や黒いアレが出た夜は相変わらず仕留めるまでは眠らない。まあ、こればかりは性格なので直しようがないと諦めている。
 そんな私が再び眠れない状態になてしまたのは、慣れない環境にストレスを感じているからだた。
 私が勤めている会社はプレハブ建築の施工と販売をしている。設計だから一般住宅と比べてさほど忙しくはないだろうと高を括て入社したのだが、いつの間にか現場監督も兼ねるようになり、あちらこちらの現場へと目まぐるしく飛び回ていた。イベントの仮設事務所やモデルルームなどは撤去もセトになている。工期が短い分、数をこなす。災害が起こると他の現場を止め、予定にない発注を抱えたまま最優先で被災地へ向かう。通常の建築とはまたく異なる工程に急かされ、私は毎日仕事に追われていた。
 肉体的には疲れていたが、充実した日々にストレスは感じていなかた。たぶん言葉が通じるとか、食べ物を気にしないでも大丈夫とか、仕事以外の環境に一切気を回す必要がなかたからなのだろう。だからストレスが原因で睡眠不足になるなんて、思いもよらないことだた。
 私はいま、アフリカのマラウイのコタコタロジという宿屋にいる。成田から香港、南アフリカとトランジトを2回、およそ26時間掛けてマラウイのリロングウ空港へ到着した。まさかの出張だた。まさかのひとり旅だた。
 社長には古くからの友人がいた。ニノミヤさんという還暦を過ぎた男性で、アフリカの発展途上国を中心に教育支援をするNPO法人の代表をしている。教育支援と言ても衣類や遊び道具を寄付する程度だたのだが、成果を焦たのか突然マラウイに学校を建てると言い出した。現地の資材や人員を使う予定だたらしいのに、社長が中古のプレハブを寄贈すると余計なことを申し出た。話はトントン拍子に進み、分解された16坪のユニトハウスが船便で送られた。当然組み立てを指揮する技術者が必要になり、私が指名されたという訳だ。無理がきく未婚のベテランなんて、自分以外にはいなかたのだから。
 宿は思いのほか綺麗だた。オイルがたぷり塗られたパインの調度品に、ところどころ筆ムラが残た白い内壁。蚊帳が吊てあるダブルベトにはクリーニングされたシーツが折り目を残していた。窓を開ければ水平線まで広がる大きな湖を眺められる。砂浜に面しているから雨が降らないこの時期でも乾燥が気にならない。高原に位置していることもあり、気温は7月で20度を超える程度なのでとても過ごしやすい。宿といい町といい、事務の子が適当に予約した割には申し分ないアメニテた。
 ただし食事には慣れなかた。空港へ迎えに来たニノミヤさんから日本米を生産していると聞き密かに期待をしていたのだが、宿の食堂で勧められたパラという米粥をひとくち啜ると、予想外の甘い味付けに脳が混乱した。慌てて携帯電話のSIMカードを入れ替え、エアタイムで料金をチジしニノミヤさんへ電話を掛けた。
(ライスが通じるので頼めば炊いたお米が出てきますよ。でも日本の味とはやぱり少し違うので、口に合わなければトウモロコシ粉を蒸したシマがいいと思います)
 シマですねと慎重に何度も確認する私の様子にニノミヤさんは声を上げて笑ていた。
 結局最後の日まで、食事はシマとライスを交互に注文し、鳥肉か魚を付けるパターンで終わた。敷地内の海の家みたいなカフで湖を眺めながらコーヒーを飲んだりしてみたけれど、粉ぽい味に顔を顰めただけだた。気がつくと膝の上に置いた拳が強く握られていて、ストレスが溜まていると自分でも認識していた。窓の外から聞こえる知らない言葉や風の音、そのすべてが煩わしく、夜が非常に長く感じる。どんなに脱力してベドに横たわても、感覚は研ぎ澄まされる一方で睡魔は一向に襲てこない。こんなに眠れないのは本当に久しぶりのことだた。
 学校の建設地は西に車で1時間ほど入た林の中にある、教会の隣にある広場だた。集また現地の若者にたどたどしいチワ語でムリバンジと挨拶をする。目を輝かせた若者たちが一斉に返事をしたが、意味を知らない私はただニコニコと愛想笑いを浮かべ、ニノミヤさんに助けを求める目線を送た。工事を見守る子どもたちの謎の歓声がここまで届き、神経が削られていく錯覚を覚える。頭を振た私は工程表をじと見つめ、外への意識を外すよう試みていた。
 搬入されたユニトハウスの組み立ては3人の若者に任せた。日本で作たイラスト図と現物を交互に見せて、ボルトを締める箇所を説明する。ニノミヤさんが通訳してくれたし、1工程毎に確認すれば間違いはないだろうと楽観していたが、彼らが発電機に接続したインパクトドライバーを回してはしいでいる様子に、段々と不安がもたげてきていた。残た4人は私と一緒に土台の基礎づくりをする。トランシトがないので直角出しは巻き尺を使う。3メートルと8メートルの部分をそれぞれ持てもらい、12メートルと0を重ねた私があらかじめ打た木杭に基準を合わせる。2人がたわまないように巻き尺を引張れば、各辺の比率が1対2対ルート3の直角三角形が出来上がる。残りの2人が各頂点に木杭を打ち込み、同じ作業をもう一度繰り返してとりあえず建物の形を作た。本来ならコンクリートを一気に打ち込みたいところだけれど、水平に張た水糸のラインに合わせてコンクリートブロクを並べる。その上からモルタルを盛て基礎を完成させるのだが、この日の作業はここまでとなた。ユニトハウスも問題なく進んでいて、ほと胸を撫で下ろす。言葉が通じなくても指差しだけでなんとかなると安心した私は、マラウイの若者たちの素養を見くびていた自分を恥じていた。
 ニノミヤさんの話だと日本でいう小学校への就学率は9割を超えているそうだ。ただし教師と教室が常に不足していて学習環境はあまり良くないらしい。そういた理由からニノミヤさんのNPOで学校を作り、イギリスのNPO団体が教師を派遣する段取りになたとのことだた。英語圏の教師で言葉は大丈夫なのかと疑問を持たが、マラウイ自体がイギリス連邦に加盟していて現地のチワ語の他に高学年になると英語も学ぶと教えてくれた。ライスが通じたのも当然な訳だ。ということは手伝てくれた若者にも英語が通じるではないか。先に言てくれればと思わず愚痴たが、チワ語のほうが住民に溶け込みやすいからとニノミヤさんは屈託なく笑ていた。
 基礎は翌日に完成しブルーシートを被せて養生をした。機材は足りていなかたが、しかり水平が取れて少しは見栄えがする昔ながらの布基礎に仕上がた。モルタルの乾燥に5日を見積もているので、全員でのんびりユニトハウスの組み立てに取り掛かた。打ち解けているのかさぱり分からないけれど、簡単な英単語を交わし合いお互いに笑顔を作るようにはなていた。ストレスは相変わらず溜まてはいるが、完成したら帰国するのにも拘らず、このままこの生活に慣れていけば気持ちよく眠れる日がやて来るような気がしていた。
 重機で持ち上げたユニトハウスをアンカーボルトの位置に合わせながらゆくりと基礎へ降ろす。ボルトを締めて建具の調整が済めば私の役目は終わる。電気や水道工事はニノミヤさんが手配した地元の業者がやてくれるそうだ。
「明後日はロジまで迎えに行きますね。お土産を買うのであれば、明日街を案内しますよ。どのみち3000クワチしか持ち出せないので、使たほうがいいですよ」
 机やパイプ椅子を運び入れる住民たちの様子をニノミヤさんと眺めていると、白黒の野良猫が目の前を駆け抜け藪へ消えていた。
「犬は雑種が多いですけど、猫は日本の種類と同じに見えますね」
「三毛もいるので、ときどき日本を思い出しますよ。大きいトカゲやサソリもいる場所なのに、不思議な感じです。お土産は、紅茶がお薦めですね。この国の名産品なんですよ」
 サシを開けた若者が私とニノミヤさんに手を振ている。近くの教会の牧師が子どもたちを引き連れユニトハウスの中へ入ていた。誰かが言葉に節を付けて発する。その言葉を繰り返す若者たちの輪が、やがて歌を奏で始める。メロデの抑揚に合わせてリズムが反復し、全身の筋肉を震わせて踊る集団も現れた。
「雨乞いの儀式みたいですね」
 地面を何度も踏み鳴らすものだから、あちらこちらで埃が立ち上ている。
「あなたにありがとうと伝えたいのかもしれませんね。私たちは来週、ここで簡単な式典をやりますけれど、そのときあなたがいないのは、彼らは知ていますから。本当に、お疲れさまでした」
 どんな現場でも感謝されるのはありがたいことだ。私の肩を軽く叩いたニノミヤさんへ小さく頷くと、しばらくのあいだ、彼らの踊りをぼんやり眺めていた。リズムに合わせて頭で拍子をとる。段々と上半身が不安定に揺れてくる。まぶたが重く感じる。たぶん私は、このまま眠てしまうのだろう。なにかが報われた気がする。彼らの踊りは、まるで眠りの儀式みたいだ。
「起きてください。この場所から少し離れます」
 上半身が揺れていたのはニノミヤさんが揺らしていたからだた。
「ツバエが出たそうです。刺されるとまずいですから、移動しましう」
 腕を引かれた勢いでふらふらと立ち上がる。さきまで踊ていた住民は、いつの間にかユニトハウスの中へ避難している。首元に冷気を感じ驚いて振り返ると、ニノミヤさんが防虫スプレーを掛けてくれていた。
「殺虫剤を持てきていますから、安心してください。このまま昏睡状態になることはありませんからね」
 外務省のホームページに書かれていた内容を思い出していた。確かアフリカ睡眠病だたか、ツバエに刺されると寄生虫が体内に入り、昏睡して死に至るという風土病のひとつだ。
「眠るて、なんなんですかね?」
 自分に防虫スプレーを吹き掛けながら、ニノミヤさんは首を傾げた。不意に出た言葉の意図が自分でも分からず、私はてのひらを向けて返答を遮た。
「最初にスプレーをしなかたこちらのミスです。慌てさせてすみません」
 代わりに不備を詫びたニノミヤさんは、車のキーを掲げ古いパジロの解錠をした。そのまま辺りをゆくりと見渡すと、思案するように目を宙へ向けた。
「答えになているかは分かりませんが、マラウイの人たちに大切なことて安心なんですよね。私たちがやている教育支援はもちろん、医療や食事に、仕事とか、日々の生活に必要なことを当たり前に享受できること。不安がないまま明日を迎えたいじないですか。だから、眠るてことよりも、安心して眠れることが大事だと思います」
 ニノミヤさんの言葉を反芻しながら、私はシートにもたれていた。荒れた路面が車窓を小刻みに揺らしている。木々の間から覗く湖はなにかの指標みたいに佇んでいる。帰国したらまた同じ毎日が繰り返されるだろう。知らない場所に行たところで、もと頑張ろうなんて気概は芽生えなかたけれど、仕事の充実感をもう少し大事にしていきたいなと考えていた。2週間近く離れた私の部屋には、ずいぶんと埃が溜まているはずだ。適度に掃除をしなければならない。自分がいる場所と、自分自身を。
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