死ねばいいのに
私は彼の死を切望している。
彼の死を誰よりも望んでいる。誰よりもというのは、彼の死を望んでいる人間なんていやしないだろう。彼は、誰からも好かれ、彼自身、誰をも愛している。
まるで聖人君子。
気味が悪いほどに。
彼と私は幼なじみであり、人生に困惑し続けの私は、常に彼に助けられてきた。彼はいつも、泣き虫な助け、慰めてくれた。決断を厭い、何も選ぶことができない私に対して、的確なアドバイスをくれて、あるいは私に代わ
って選択してくれた。
何も選ぶことができない。私だけでは何もすることができない。
端的に言えば、
私はクズだ。
私は何もすることができない。
何もかも、彼が助けてくれたから。彼が選んでくれたから。
彼がいなければ何もできなかった私は彼のプロポーズを承諾せざるを得なかったけれど、そもそも彼が何故私を選んだのかはまったく理解できなかった。理解できなかったし納得はできないかったが、承諾はした。彼の選択を承諾することが私の人生であり、それ以外の生き方を知らなかったから。
「何故?」
と問いかけてみても、彼は笑ってごまかすばかりだ。いつもなら、答えを用意してくれるはずなのに、この質問にばかりは答えを与えてくれない。
それが、私を苛立たせる。他人にものを与えられるだけの癖に、そんなことで苛立ってしまうのは傲慢な事だろう。それは自覚している。そして、前にも言ったが私がクズであることも同様に自覚している。
みんなが私を羨ましがる。
なにせ、完璧な彼を手に入れたのだ。
そうなのだろう。私はきっとこの上ない幸せ者なのだろう。
社会的に見てみれば、統計的に見れば、私は幸福な人間だ。
でも、私はちっとも幸せものじゃない。少なくとも、そういう類の神経伝達物質は、まったく出てこない。
神経科学的には、私は不幸だ。
私は考える。
もし、彼がいなかったら。
もし、自分自身で決断できる人生ならば。
もし、私自身が自立して生きられるならば。
勿論、結果は分かりきっている。野垂れ死ぬか、自殺しているだろう。私は決断も、自立もできるような人間じゃない。彼がいなければもっと立派になっていただろうなんて、自惚れを抱くほど自分を信じちゃいない。
それでも。
何かを期待し、夢見てしまう。
だから、
私は彼の死を切望している。