てきすとぽい
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第43回 てきすとぽい杯〈てきすとぽい始動6周年記念〉
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最後の翼
(
塩中 吉里
)
投稿時刻 : 2018.02.17 23:30
字数 : 1980
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最後の翼
塩中 吉里
船は出ていくばかりだ。戻
っ
てくるものは一隻もない。
今日もヤタトラシ
ュ
は遠洋を臨む岬の上から、しぶきのはじける波間をうかが
っ
ていた。ヤタトラシ
ュ
の暮らす〈白砂港〉は西大陸の最東端にある。悪い海神が沈んでいる〈境の海〉を越えた向こう側には、百年ほど前に発見された東大陸がある。そして、東大陸には、人知を超えた妖精と怪物が棲んでいる。東大陸への最短航路をとるために、〈白砂港〉には多くの狩人たちが寄港した。ヤタトラシ
ュ
がまだ小さい頃は、東大陸から帰
っ
た狩人たちが、得意げにとらえた獲物を見せびらかせていたものだ
っ
た。宝石の羽をもつ小さな妖精。火を噴く鳥。どんな酸を浴びても溶けない不思議なウロコ。夜になると赤々と燃える神秘の鉱石。ヤタトラシ
ュ
も絶滅した翼竜の卵だという小さな石くれを酔
っ
払いからもら
っ
たことがあ
っ
た。それがいつからか、狩人たちは向こう側に行
っ
た
っ
きりになり、戻
っ
てこなくな
っ
た。船は出ていく。だが誰も戻らない。そのうちに東大陸の話などウソだ、と言う者も現れた。だが、かつての百年で、海を渡り、戻
っ
てきた狩人たちがいたのは事実だし、彼らが持ち帰
っ
た不思議の品々は現実に存在していた。だからなのか、いまだに〈白砂港〉から東を目指して船が出ていくことがある。往時よりも数は減
っ
ていたし、やはりひとつの帆も帰ることはなか
っ
たが。
ヤタトラシ
ュ
の父親は、その父親の父親の代から、狩人たちや、狩人たちの獲物を目当てに集ま
っ
てくる商人を相手に宿を貸したり飯を作
っ
たりして暮らしてきた。ヤタトラシ
ュ
もまた自分もそうなると思
っ
ていたのだが、狩人も商人も来なくな
っ
た宿はたちまちにして寂れ、廃業を余儀なくされた。ず
っ
と数の減
っ
てしま
っ
た旅人を奪い合うには、ヤタトラシ
ュ
たちの宿は小さすぎたのだ。父親はある日、数か月ぶりに現れた狩人の誘いに乗
っ
て、東大陸行きの船の乗組員にな
っ
た。ヤタトラシ
ュ
が止めても聞かなか
っ
た。それから七年が過ぎた。ヤタトラシ
ュ
は十七歳になり、父親はまだ戻
っ
てこない。岬から見下ろす。波頭が散
っ
てあぶくが浮かぶ。水平線のどこにも帆船の影はない。岬の崖の下から、ヤタトラシ
ュ
を呼ぶ声がする。乾物屋の女主人の声だ。休憩時間は終わりで、仕事に戻らなくてはならない。圧倒的に広がる水平線から目を離し、ヤタトラシ
ュ
は崖沿いの小道を下りはじめた。
昨日、三年ぶりに、東大陸行きの船が出た。ヤタトラシ
ュ
の乾物屋がち
ょ
うど彼らの保存食の調達を頼まれたものだから、女主人は大張り切りで、みな独楽鼠のように働きまわ
っ
た。久しぶりに見た狩人たちは、かつて見た狩人たちそのものの姿だ
っ
た。彼ら特有の物々しさを身にまとい、恐ろしげな刃物や鉤縄を腰からぶら下げている。そして、よく飲んで、よく食べていた。彼らのうちの誰もが、二度とこちらの大陸に戻れないとは思
っ
ていないみたいだ
っ
た。船に最後の積み荷を乗せたとき、ヤタトラシ
ュ
はもう少しで自分を連れて行
っ
てくれと言い出すところだ
っ
た。結局はそうしなか
っ
たのだが。
男たちが漁から帰
っ
てくる。船から降ろされた魚をかごい
っ
ぱいに詰めて、乾物屋の加工場に降ろしていく。ヤタトラシ
ュ
はほかの女たちと並んで、魚の頭を落として、内臓をこそぎと
っ
た。身を開いたものをまたかごに詰めていく。さばきき
っ
たあとに、そのかごを持
っ
て強風の吹きすさぶ崖の上に持
っ
ていく。それから乾燥させたり、以前に干していた身を持
っ
て帰
っ
たりする。日が落ちたら、使
っ
た包丁やかごを洗
っ
て、明日の漁に備える。一日が終わる。次の日がくる。休憩時間に、また、海を見に行く。毎日が繰り返される。
暗闇の中でヤタトラシ
ュ
は目をあけた。
周りから、雑魚寝している住み込みの女たちの寝息が聞こえる。彼女らを起こさないように、そ
っ
と寝床から抜け出す。薄い木の戸を引いて、月夜の外に駆けだした。息を切らせて、岬の手前にあるぼろぼろの廃屋を目指す。昔、ヤタトラシ
ュ
と父親が狩人たちを迎え入れていたかつての宿のなれの果てが、月光にしらじらと浮かび上が
っ
ている。ヤタトラシ
ュ
はそ
っ
と戸を引き開けた。月の光も届かない廃屋でも、子どものころに歩いた床がヤタトラシ
ュ
を正しく導いた。ときどき床を踏み抜きそうになりながら、子ども部屋にたどりつく。ヤタトラシ
ュ
の部屋だ。その、部屋の隅の床板をはがす。手の爪を汚しながら床下を掘
っ
ていく。ヤタトラシ
ュ
の額から汗のしずくがふたすじ滴
っ
たころ、指先に小さな固い感触が返
っ
てきた。小さなヤタトラシ
ュ
の宝物が、そこにはあ
っ
た。これは最後の翼竜の卵なんだ、とあの狩人は言
っ
ていた。こいつが大きくなれば、背中に乗
っ
てどこにだ
っ
て行ける。世界の王様にだ
っ
てなれるぜ。
片手で握
っ
てしまえる小さな石くれを胸に抱いて、ヤタトラシ
ュ
は祈
っ
た。世界の王様になる必要はないけれど、き
っ
と
……
。
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