起きろメロス
私は未明に目を覚ました。今日は私が処刑される日である。但し、私の親友であるメロスが帰
ってこなければ、の話である。
帰ってこないわけがない。私は即座に自答した。メロスと私は竹馬の友であり、無二の親友である。メロスは絶対に約束を破るわけがないのだ。
だが、念には念を、と言うではないか。疑っているわけではないが、一応、連絡を取っておこう。
私はポケットからスマホを取り出し、電源を入れた。石組みの牢の中にはコンセントがないので、バッテリーを消耗させないためにも、こちらから使う時以外は電源を切っているのだ。
石牢の中は電波が弱い。お城のwi-fiもパスワードが分からないので使えない。
私はスマホをあちこちに向けてかざし、小さな明り取りの窓の近くでようやく電波マークが一本立ったのを確認して、その姿勢のまましばらく待ち構えた。
メロスからの連絡はまだないようだ。
いや、私は今、メロスを疑ったわけではない。親友であるメロスを、一度でも、ちらとでも疑えば、私はメロスにぶん殴られるであろう。今のは確認だ。あくまで確認。きっとメロスは私のために連絡するのも忘れて大慌てで出発したから、今運転中で連絡できないのだ。くだらない。寝よう。
私はスマホの電源を切り、再び冷たい石の床にごろりと身を横たえた。囚われの身でありながら、余裕綽々で友人の帰還を信じて疑わない私の姿を、時々暴君ディオニスがこっそりのぞきに来ているのを知っている。本人は隠れているつもりだろうが、ふだんは椅子でうたた寝をしている牢番が起立して敬礼するのだ。王は私の姿を見て、きっと腸が煮え煮えくりかえる思いだろう。私とメロスの絆は海よりも深いのだ。人の心を疑うのは、最も恥ずべき悪徳なのだ。暴君よ、メロスの姿ではなく、私の姿から思い知れ。ふふん。
5分ほどして、少し寒くなってきた気がしたので体を起こした。決して眠れなかったわけではない。
スマホの電源を入れ、小窓にかざす。やはりまだ着信はない。LINEも開いてみたが、メロスの「いって来メロス!」というお城からの出発の挨拶と、何か見たこともない変な生き物が走っている感じの気持ち悪いスタンプが最後である。
いや、私はメロスを疑っているわけではない。寒さ、そう、ちょっと天候が気になったのだ。ウェザーニュースを開く。ここシラクスの明日の天候は…晴れ。そうか、放射冷却か。道理で道理で。ははは。寝よう。
と思ってちょっと画面のちょっと下を見たら、メロスの村で大雨警報解除、注意報は継続、とある。村とシラクスの間の河川での洪水警報は続いているらしい。
なにい?いやちょっと待て、あそこ渡れなかったら帰ってこれないじゃん!?いや疑うとか疑わないとかじゃなくて、物理的な問題としてだよ!?河川の状況どうなってるの?国土交通省の河川管理事務所のサイトにライブカメラあったな。と思い出して接続する。電波状況が悪くてイライラする。
ようやく回線ががって表示されたのは、、まだ日が昇る前の、画素数の粗いモノクロコマ切れのライブ動画である。私は画面が鼻の油が付くくらい近くで確認する。ダムのサーチライト越しにも、川の流れが百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪となり、激しく躍り狂うさまが見て取れる。
スマホを持った手をだらりと下げ、私は天井を見上げた。絞首台ってどんなんだろう?痛いのかな?
いやいやいやいやいや、今のは悪い夢だ。私は友を疑ったりなんかしていない。断じて疑うものか。だってほら、逆算してみろよセリヌンティウス。メロスが夜中に出発して、途中呑気にぶらぶらと歩きさえしなければ、とうに川は渡り終えているはずだ。そうだ。そうに違いない。ほら見ろ、王よ、私は信じている。
動画を見たせいでだいぶスマホのバッテリーが減ってしまった。パケット料金も気にかかる。とにかく寝よう。寝て、起きれば、メロスがいる。以上。それだけだ。
私は再びスマホの電源を着り、横になる。スマホの明かりが小さくなり、私の瞼も重くなる。
そして、まさにシャットダウンしそうになったその時、ピロリロリーンと着信の音がした。私は跳ね起きた。
再びスマホの電源を入れる。起動する時間の長さの歯痒さよ。
ようやくスマホが立ち上がり、すべてのアイコンが表示されると、着信に「1件」と書いてある。もうメロスに決まってる。まったくもう、心配させやがって。いや心配なんかしてないけど。
画面を見ずにすぐにリダイヤルを押し、耳に当てる。真の友というのは頻繁に連絡を取り合ったりしないものなので知らなかったが、今時着メロにシャ乱Qとかすごいな、メロス。
「もしもーーし!」
「…ン…ティ……ですか?」
「メロス?メロスだよね!?ちょっと電話遠いんだけど!あ、今電波いい場所に移動するわ」
私は小窓のそばでつま先立ちをした。
「メロス、今どこ?今どのあたり?」
「セリヌンティウス様、わたくしはメロス様ではございませぬ。わたくしはあなたの弟子のフィロストラ…」
「あーーーーもう!!いーーっつも言ってっけどお前は話が長げーーんだよ!もうちょっと話す前に話す内容を整理して先に結論から言えっていつも言ってんだろ!経緯とか後でいいんだよ!」
「すみませんセリヌンティウス様。なにしろセリヌンティウス様が捕らえられたという噂でシラクス市のSNSが超盛り上がっておりまして、『#セリぬん』とかいうタグが立ったり超イケメンの想像図のまとめサイトができたりで、投獄特需とでも申しましょうか、石工であるこの工房に「セリヌンティウス様顕彰碑」の依頼が殺到してお」
「そういう所!だからお前のそういう所が駄目なの!わかる?わかんない?わかるようにストレートに言った方がいい?どうなの?どっちなの?意思表示しないとわかんないよ!?」
「すみませんセリヌンティウス様、実は」
「ああもうまどろっこしい!そのセリヌンティウス様ってのもやめろよ!長いから!半分以上俺のせいだけど、長いから!まどろっこしいから!親方かなんかでいいよ!状況とバッテリー残量考えろよ!」
「すみませんセリヌンティウス親方、あの」
「なーんーで伸ばすんだよお前は!短くするために親方って呼べって言ってんのに!」
「はい、あ、あの、あの親方、メロス様から連絡があったのを伝え忘れておりまして」
「おいおいおい!そういうの先に言えよ!そういうことなんだよ人と人との信頼?友情?ってやつは、そういうことなんだよ。で?メロスはなんて?」
「『土砂降りの中妹の結婚式なう!みんな微妙に迷惑そう!』だそうです」
「あー……だろうねー。ていうかお前、それいつ受け取ったの?」
「昨日の昼間です」
「おいおいおいおい!!!!あのさあ、いつも言ってんじゃん!物事は時系列順に報告しろって!先に結論言われても経緯が分かんねーだろ!」
「すいませんセリヌンティウス」
「なんで呼び捨てなんだよ」
「だって短くしろって」
「じゃあ親方のほうが短くていいだろ!」
「すいません、セリヌンティウス親方」
「お前なめてんのか?」
「なめてないです。なめてないです。絶対になめてないです」
「でさあ、そのあとメロスからは何かあったの?」
「何か……とは?」
「れ・ん・ら・く!」
「特にないです」
「あああああーーー何だよもうーーーバッテリーマーク赤くなって情報ゼロかよー、わかった、もういい、フィロストラトス、お前今からメロス迎えに村の方に行け!ダッシュで行け!でメロスに会ったら連絡しろ!」
「いや、そんなにご心配されなくても、メロス様は必ず来られるかと……」
「……!!そんなの分かってるよ!分かってるよ俺も!ていうか俺が一番分かってるんだよ!来るか来ないか確かめろってんじゃなくて、大親友のメロスを、弟子のお前が出迎えに行け、っつってんだよ!」
「親方分かりました。でもいま僕のフォロワー