てきすとぽい
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第52回 てきすとぽい杯〈夏の24時間耐久〉
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アギア・ソフィア
(
小伏史央
)
投稿時刻 : 2019.08.18 14:04
字数 : 1000
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アギア・ソフィア
小伏史央
ユステ
ィ
ニアヌス一世は、再建された私たちの出来栄えに感動して
「ソロモンよ、余は汝に勝てり!」
と叫んだのだという。その姿を見た覚えはないが、私のもとを訪れたツアー
ガイドや物知り顔のマンスプレイナー
などがよくそう言うものだから、き
っ
とそうなのだろう。そうなのだろうし、その姿は私にも想像できた。
ミラノ勅令によ
っ
て、ロー
マ帝国内でもキリスト教が公認されたあおりを受けて、かつての都市コンスタンテ
ィ
ノー
プルに私たちは建てられた。全国各地から大理石や彫刻が集められ、円蓋には巨大な十字架が描かれた。その十字架にはキリスト像が加えて描かれることもあ
っ
たが、イコン破壊運動に乗じて取り消され、終息後に再び描かれ、また取り消されと、人間の都合に合わせてせわしなく明転を繰り返していた。
再建される前には、市民の反乱によ
っ
て燃やされたこともあ
っ
た。重税を課したユステ
ィ
ニアヌス一世は市民から強い反感を食らい、ついには襲撃を受けた。元老院の中にも反乱に加担する者もいた。彼らは「ニカ! ニカ!」と勝利をうた
っ
たものの(ユステ
ィ
ニアヌスよ、市民は汝に勝てり)、ユステ
ィ
ニアヌス一世は皇帝の座に留まり、三万以上の血が流れ反乱は終息とな
っ
た。そして重税による資金がつぎ込まれ、私たちは復活し、「ソロモンよ」という彼の叫びは実現したのだ
っ
た。
その際、私たちはず
っ
とひとつだ
っ
た。アギア・ソフ
ィ
アとアギア・イリニはひとつながりの同じ聖堂だ
っ
た。しかし後にオスマン帝国がコンスタンテ
ィ
ノー
プルを征服し、トプカプ宮殿が建てられた際、わたしたちをつないでいた建物は破壊された。そこを遮るように城壁が作られ、私たちは個別のアギア・ソフ
ィ
アとアギア・イリニに分離された。
分断後、祭壇は取り下げられ、代わりにイスラム様式の内装が取り付けられることともな
っ
た。キリスト教聖堂はモスクに変わり、モザイク壁画も取り外された。前庭も破壊された。次第に自家撞着を体現した姿にな
っ
ていき、その傷痕は永遠に残された。
かのダビデ王は神に諭され聖堂を建てなか
っ
たというが、それは建物にも命が宿ることを彼が知
っ
たからなのだろう。私たちは燃やされ、破壊され、分かたれるまで、何度も痛みを味わ
っ
てきた。私個人が博物館にされてからは、その痛みを共有する相手もいない。私の痛みときみの痛みはつながりを絶たれ、私はきみのことがわからなくなり、きみも私のことがわからなくな
っ
た。
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