第52回 てきすとぽい杯〈夏の24時間耐久〉
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家茂痛伝
大沢愛
投稿時刻 : 2019.08.17 23:24
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家茂痛伝
大沢愛


 かの人の眠りは、静かに覚めていた。
 した した した。耳に伝うように来るのは、水の垂れる音か。
 地中深く、轍の音も人声も届かない闇の中で、朽ち果てながらもわずかに形を保た亡骸は、百五十年の時を隔てて闇の昏さに返りつつあた。
 めぐらせばかさりと音を立てて崩れてしまいそうな眸を、かの人は物憂げに凝らす。石の棺に隔てられて、五人の先達が眠ていた。同じ姓を享けつつも、様々な思惑により他人同然の者が、こうして骸を並べている。
 すぐ隣に葬られた二代前の先達は、かの人の七つの折に薨去した。七人の側室に二十九人の子女をもうけた。無事に育たのは四人のみ。うち一人は先代の将軍となた。癇性と呼ばれ、庶民からも嘲りを受けた。老中の差し金で、南の果ての国より御台所が輿入れしてきた。むろん、夫婦の営みなど成し得ず、やがて虚しくなた。そして、かの人が将軍位についた。かの人を強力に推挙した有力者は、二年後、城外にて凶刃に斃れた。
 幕閣は示し合わせ、天皇家から天皇の妹君をかの人の妻として入輿させた。妻と初めて対した日を憶えている。厭悪を隠そうともせず、蔑みに満ちた眼差しがかの人に向けられた。思わず笑みを浮かべた。貴顕のひととはこのようなものか、と知た。やがて、眼差しの険は解けて行た。かの人は将軍とはいえ、天下に号令する力はなかた。代わて、身の丈に合た物腰を身に着けていた。鼻筋の通た美貌と呼ばれたのは世辞ではなかた。高貴の姫君と闊達な将軍とは夫婦相和して暮らした。
 かの人は殊に甘味を好んだ。酒ではなく甘味、というのは寧ろ慎ましやかに映た。それが、病を昂進させた。床に就く日が多くなた。長州征伐のために大坂城に滞在した折から両下肢に水腫が生じ、歩行困難に陥た。漢方医は脚気と診立てた。対する蘭方医はリウマチと胃腸障害であるとした。幕府は蘭方医の診断を採た。そしてそれは完全な誤診だた。
 病床のかの人の元へは諸方より見舞いの品が届けられた。皆が将軍の甘党を心得、羊羹、氷砂糖、金平糖、カステラ、最中等、甘味ばかりであた。かの人は喜んだ。そして病勢は悪化した。
 水腫は全身に及び、胸痛に次いで意識が失われ、そして心停止に至た。
 かの人の亡骸は、甘味によて侵されていた。三十二本中、三十本が虫歯だた。亡骸につかの間、意識が宿り、そしてあの耐えがたい歯痛が百五十年ぶりにかの人の朽ちた顎を襲た。
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