母のくれた、赤い薬(リンゴ)
お茶の間で皆が休みを楽しむ時間帯。テレビでは旅をしながら歴史の開設をする番組がや
っている。
それを、私は自分の部屋で、ぼんやりと眺めつつ、夜の日課のコーヒーを飲んでいる。
ふと、懐かしい場所がテレビに映る。
◇
昔々、この場所にはアトル王国という国がありました。
アトル王国のお姫様は、髪が真っ白で、肌も冬に振る白い雪のように美しいことから、白雪姫と呼ばれていました。
白雪姫は、7人の騎士に守られながら、毎日幸せに過ごしていたといいます。
でも、そんな白雪姫のことを、快く思わない女性が居ました。それが、彼女の母親です。
母親と言っても、実の母親ではありません。白雪姫は、第一妃の娘だったのですが、実の母親は産後の肥立ちが悪く、亡くなってしまったのです。
そして、第二妃の今の母親に育てられたのですが、沢山の意地悪をされました。
そんな意地悪にも負けず、日々の幸せを感じながら暮らしていたある日のことです。
ノーガル王国の王子様が、白雪姫に一目ぼれしたのです。白雪姫も、それを知るとふんわりと笑んだと言います。このまま結婚するのかと、誰もが思いました。
ですが、その邪魔を白雪姫の母親がしたのです。
なんと、結婚の邪魔をするために、白雪姫に毒リンゴを食べさせたのです。
白雪姫は、苦しみながら亡くなったと言。
そして、白雪姫の母親は、処刑され、王国の皆が、白雪姫の死に悲しんだと言います。
これは、今はない王国の、悲劇の一ページです。
◇
そこで、私は怒りに任せ、テレビの番組を変えてしまった。
そうか。歴史書にはそう書かれているのか。そう思うと、くやしくて仕方がない。
でも、仕方がないことでもあるが……「母」の名誉を穢した。その歴史家を八つ裂きにしてやりたい。
歴史は、生きている人間が都合よく捻じ曲げてしまえる。
私の苦しみも、母の苦しみも……
ふっと、記憶の中に潜って行こう。私の記憶の中に。母のおかげで保ったまま転生できた。かつての記憶の中に。
◇
アトル王国の王城。その一室。赤い天蓋つきベッドの布団の中にくるまるのは、一人の少女、シヴィライア。
ぼぅっと天蓋を眺めながら、ゆっくりと胸を上下させている。その髪は、純白を通り越して、青白いほどに真っ白で、肌も病的に白い。
スッと視線が、扉に移る。人の気配がした。自分を見張る7人の騎士以外の、人の気配が。
がちゃ。扉が開くと、ゆっくりと、一人の女性が入ってくる。
「っぁ。お母様」
「おはよう、よく眠れたかい?シヴィ」
「はい。昨晩は体の調子が良かったので、ゆっくり寝られました」
そう、ふんわりと笑むシヴィライア。それに笑みを返す母と呼ばれた女性、アーマル。
だが、この二人、全くと言っていいほどに似ていない。それもそのはず、シヴィライアはアーマルとは別の女性が産んだ子供なのだ。
アーマルと、シヴィライアの母親は同じ男性を好いていた。この国の王だ。一人の男を、二人の女が愛する……そこには、沢山の苦しみが、嫉妬が、悲しみがあった。そして、それらすべてを合わせたのと同じくらいの、幸せが。
結局、アーマルは子供を作れず、シヴィライアの母親は、この少女を産んだ。この、全てが真っ白の少女を。国民皆に祝福され、王に祝福されたこの少女を産んだ。
だが、アーマルは思う。この少女は、生まれて幸せなのかと。
白雪の姫と呼ばれ、この部屋で大切に、大切に育てられている。だが、それはこの少女の心を無視したものだ。
この少女は、「生きていることだけ」が、求められている。
王の娘として、王の、政治的な道具として他の王家に嫁ぐ。そのためだけに生きることが求められている。
そんなのが、果たして本当に……
「お母様、如何されたのですか?」
「いいえ、あなたが心配する事じゃないわ」
「そうですか……」
「さあ、お薬の時間ですよ。起きられる?」
そう言われると、シヴィライアは顔を輝かせて、起き上がる。
「やっと、今日のお薬の時間が来たのですね」
「ええ」
そう言って、アーマルが取り出したのは、鮮血のように真っ赤なリンゴ。それをシヴィライアは嬉しそうに手に取り、しゃくり。と齧った。
「あぁ、美味しいお薬ですね」
「そう、良かったわ」
リンゴを薬と言って笑んで齧るシヴィライアを見て、アーマルは目を細める。その表情は嬉し気にも、悲しげにも見える。
シヴィライアは、色々な病気を抱えている。
肺の疾患により、長時間の運動は無理だ。
足の障害により、そもそも歩くことが困難だ。
目の疾患により、周囲の物の色が分からない……
等などの病気を抱えたシヴィライアを治す方法は、無い。
だが、何もしないわけにもいかず、リンゴを薬と言って食べさせている。シヴィライアが赤子の頃、母乳以外で唯一口にして吐かなかった、リンゴを。
リンゴは、シヴィライアの体に、舌に合うようだ。体が様々な食事に拒否反応を示す中、リンゴだけは、食べることができた。
リンゴが、どんどん齧られ、小さくなっていく。
そして、食べられない芯のみとなると、シヴィライアは、ふぅと息を吐き。
「お母様。毎日美味しいお薬を、ありがとうございます」
「いえ、良いのよ。これくらいしか、母らしいことなんてできないから……」
そう言って、シヴィライアの、絹のような髪をさらりと撫でるアーマル。
「……お母様」
「何だい?シヴィ」
「もうすぐ、私はノーガル王国に嫁ぐと、騎士が言っていました」
「……ッ」
「ノーガル王国の王子様は、どんな人なんでしょう。良い人だと良いなぁ」
「……そうね。良い人だと良いわね」
その言葉を聞いて、そうとしかアーマルは返せなかった。
ノーガル王国の王子は……良い人間なのは間違いないらしい。
だが、女癖に関してだけ言うと、悪いうわさしか聞かない。手が早いというか、女ったらしというか……
きっと、シヴィライアだけを愛する。なんてことはしないだろう。
王子や王様なんてそんなものだ。一人の女性を愛するなんてめったにいない。王は女を囲い、血筋を残すものだ。
しかし。とアーマルは思う。
この、体の弱い少女に、子供を残す行為は、無理だ。絶対に。
どうすればいいのだろうか。どうすれば、この少女に、幸せを送れるのだろうか。
そう、母親は腹違いの娘に対し、深く悩む。
◇
カッカッカ。固く、慌てた様子の靴音が、王城の廊下を走る。走っているのは、アーマル。
彼女は慌て、シヴィライアの部屋に入る。
中では、胸をわし掴んで、苦しむシヴィライアの姿があった。
「シヴィ! 」
「あぁ、お母様……苦しく……気持ち悪いのです……とても、とても……」
「何てこと……いったい何があったの! 」
騎士に詰め寄ると、どうやらノーガル王国の王子がやってきて、色々と話したらしいことが分かった。
だが、それだけで何故……と、思っていると、鼻腔をくすぐる、男性用の化粧品の香り。
そうか、もしかしてと思い、確認すると、やはりというべきか。
王子の使っている化粧品。それは。シヴィライアにとっての毒、アレルギーを発症するものだったのだ。
胸を抑え、呼吸を辛そうにするシヴィライア。彼女は、アーマルにせがむ。
「あぁ……お薬を。お母様。お薬をください……」
「……ええ、判ったわ」
リンゴでアレルギーの呼吸困難など、治るわけはない。
だが、シヴィライアにとっての薬は、リンゴだけだ。
普通の薬は、シヴィライアの体には強すぎて使えないのだ。仕方がなくアーマルは、すりリンゴを食べさせた。
もちろん、効くわけなどないのだが。
「あぁ、美味しい……」
ふぅっと、表情だけでも穏やかになるシヴィライアを見て、思わずアーマルは涙を流す。
あぁ、何でこの少女はこんなに苦しまねばならないのだと。どうにかして、楽にしてあげる方法はないのかと……
◇
そんな、娘に対して思い悩む母。
ある日、彼女は、医者さえもさじを投げた少女の傍に、寄り添っていた。
何か、かつて愛していた男、王とシヴィライアが何か話した後、彼女の表情が優れず、心配になったのだ。
長く、時間が経つ。
「お母様」
「何だい?」
「私は……生まれてくるべきでは、無かったのですか?」
「いきなり、何を言うんです! 」
思わずアーマルは立ち上がる。
「あなたが、生まれてくるべきじゃなかったわけがないでしょう」
「ですが……私は、お世継ぎが産めません」
「……っ。それは……」
「私を産むために、母は……生みの母は、亡くなってしまいました」
「……王様に、言われたのですか? 」
しばらくの沈黙。それが、答えだった。
「私は、ただ生きているだけです。呼吸をして、天蓋を見上げて……お薬を飲むだけ。ただ、それだけの存在です」
「……お願い、そんな悲しいこと言わないで」
「でも……事実です。事実……なんです」
そして、はらり、はらりと涙を流す。二人ともが、涙を流した。
「お母様……お願いがあります」
「……なんだい? 」
「お薬をください」
「え、でも、もう食べたでしょう? 」
「私は……知っております。リンゴは、クスリではないのですよね」
その言葉に、膝から崩れるアーマル。
「でも、お母様の心遣いは、何よりの薬でした……ですが。もう、私は生きてはいたくないのです。何もできず、何も生みだせず、何も……必要なことができない私は、終わるべきなんです」
「あぁ……シヴィライア……」
「ですから、お薬をください。私を、終わらせる……」
そう言うと、シヴィライアは目を閉じ、何も言わなくなった。
しばらく、アーマルのすすり泣きのみが、部屋に響いた。
◇
ふっと、目をあける。懐かしい記憶。かつての私、シヴィライアを終わらせてくれと、誰よりも大切だった母、アーマルに懇願した時までの記憶。
ふと、テーブルを見ると。今晩の寝る前のデザー