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第9回 文藝マガジン文戯杯「お薬」
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マトリョーシカのくすり箱
 投稿時刻 : 2019.10.25 20:20 最終更新 : 2019.10.27 00:00
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- 2019.10.27 00:00:43
- 2019.10.25 20:33:21
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- 2019.10.25 20:20:12
マトリョーシカのくすり箱
すずはら なずな


苦しい時は 水色のおくすり。さあ、落ち着いた。
勇気が出るように 赤いおくすり。お顔を上げて 胸張て。
寂しいときは黄色のおくすり。ほら、もう、笑ている。 

 *
 学校の帰り道の脇に、小さな庭のあるおんぼろな木造の平屋がある。植え込みや軒下には猫が何匹も我が物顔で出入りし、年寄の犬が今やと目が覚めたような顔をして窓から時折顔を覗かせる。

 日南子が初めてその家のお婆さんに「おくすり」を貰たのは引越して来てから一か月、なかなか馴染めない教室からこそり逃げるようにして帰る、その途中だた。同じクラスの女子のグループの声が後ろに聞こえたので、気付かないふりをして速足になた。うかり小さな段差に躓いて膝をつく。すり傷に血がにじむ。お喋りや笑い声がひとつ手前の道を曲がて遠ざかた。自分が情けなくてそのまましがんでいると、目つきの悪いぶちの猫がこちをしばらく見つめ、振り返て誰かを呼ぶみたいに「ナー」と鳴いた。

「おや、珍しいお客さん」
庭の中から声がしてお婆さんが出て来た。勝手に想像していたよりずと声の優しい小柄なお婆さんだ。小学生の悪ガキたちが「魔女」なんてはやし立てながら この家の前を走り抜けているのを見たけれど、そんな風じない。辛子色のスカーフを頭に巻いて、花の刺繍のブラウスとロングスカートにエプロン、ちと赤らんだ鼻と頬は「魔女」というより、そう、「マトリシカ」を思い出させる。それも一番大きいのじなく、中の方の小さいの。

「あらあら、けがをしているわね。見せてごらん」
お婆さんは生垣の傍の鉢植えからトゲトゲのついた分厚い葉を一枚取て、
「アロエ、お薬よ。これを塗たらどんな傷でもすぐに良くなう。その前に傷を洗てね」
そう言て庭の隅の小さい洗い場まで日南子を連れて行き、「これも」とその葉ぱを手渡した。

 ブリキのバケツとジウロ。大きな物干し台にはロープが掛けられていて白いタオルとシーツが風に揺れている。木製の台にレンガ色の植木鉢が幾つも並び白や薄紫の小さな花を咲かせていた。庭も家も随分年季が入ている感じがする。けれど光る蛇口は庭の緑を映し、泥を落とした庭仕事の道具は、きちんと揃えて木箱に収まている。日南子が傷口を洗ているうちに、お婆さんは家の中から小さな手提げの箱を持て来ていた。促されて窓の下の木製の長いすに座ると、小箱の中から消毒液を出して傷をそと拭いてくれた。お婆さんがアロエの葉ぱの両端を小刀で器用に落として開くと、透明で瑞々しいゼリー状の内側が現れた。

「一人で帰てたの? この先の新しい住宅地の子ね」
半信半疑のまま申し訳程度に傷口にアロエを塗りながら、日南子はこくりと頷く。日南子の住む住宅地はまだ開発中で、建てかけの家や空き地も多い。
「あそこは大きな畑だたのよ。すかり様子が変わてしまたけれど」
懐かしそうな、ちと寂しそうな目をして言うので、なんだか申し訳ないような気がした。

──ここがずと畑のままで、家なんて建たなければ引越して来ることもなかたのに。
遠くまで続く畑と広い空を想像した。そこに居た鳥や虫たちは追い出されてどこに行たんだろう。ぼんやりそんなことを考えていると、お婆さんはぽんと日南子の肩をたたき、
「傷はもう大丈夫。それよりあなたにはこちが必要ね」
お婆さんはエプロンから小さな缶を取り出して振ると、中に入ていたものを、日南子の手のひらに載せた。
「あら三個、赤、水色、黄ね。上手い具合に」
「飴?」
「ふふ、これもおくすりよ」
「おくすり?」
そう、とお婆さんは頷くと 三色の「お薬」の効能を秘密の話を教えるように日南子の耳元でそと囁き、悪戯そうな目をして笑うと付け加えて言た。
「信じることが一等、大事。」

 *
 あれから何度も何度も日南子はノートの隅にマトリシカの絵を描いている。からし色のスカーフと花の刺繍のブラウスはお婆さんと同じ。ほんとうにそくりで頬が緩む。そうだ、お礼のカードを作て渡しに行こう。マトリシカのイラスト添えて。

 カードは用意できたけれど外にチイムは見当たらないし、勝手に玄関まで入るのは躊躇する。日南子はお婆さんが庭仕事をしていることに期待しながら毎日家に帰る。雨の日が続きやと晴れた日の帰り道 お婆さんの声が聞こえた。手作りカードを手に庭を窺た。
「あ……
驚いたのは先客が同じクラスの岩谷唯人だたからだ。ここは帰り道じないはずだ。見るとあのガーゼや消毒液の入た小箱とアロエの葉ぱが二人の傍にある。さき教室でコイツと他の男子が喧嘩していたのを日南子は思い出す。唯人がこちらをちらと見た。目が合た。足がすくんだ。それでも勇気を奮い起こし、日南子はお婆さんの傍まで走て、カードを押し付けるように渡すと大急ぎで引き返した。慌てて帰る日南子の後ろ姿にお婆さんの「有難う。またおいでね」の声が聞こえた。

 *
 けれどその日からずとお婆さんの姿を見かけない。暑くなてきたので外に出なくなたのかとも思たけれど家は静まり返ている。この間は、窓の中で犬が弱々しくクウンと鳴いて片目を開けたけれど、少し前からその姿も消えた。犬の居た場所に日南子の創たマトリシカの飛び出すポプアプカードが飾てあた。

 少しずつだけどクラスの子とお喋りできるようになれた。手前の曲がり角まで一緒に帰る友達も出来た。休みの日には友達に誘われて出かけたりもした。住宅地にも家が増え活気づき始めている、岩谷唯人とはまだ喋れていないけれど時々目が合う。短気で喧嘩早いけどただの乱暴者じなく、それなりに理由があるのも解るようになた。そんな報告も、日南子はできないままだ。

 *
 金木犀が香る。目の前をすうと赤とんぼが飛ぶ。お婆さんの家のコスモスが揺れる庭に工事の車が入り、家が取り壊され始めている。日南子が驚いて眺めていると、生垣の隅に岩谷唯人がいるのに気が付いた。

「くすり箱の婆さんなら もう居ないぞ」
「居ないて?」
唯人は すぐには答えず、独り言みたいに言た。
「ここでぼんやりしがんでた」
指されたところを見ると 古びた犬小屋がそのまま残されている。
「あの犬も歳とてからはずと家ン中で寝てたけど、婆さんには思い出深い小屋なんだて」
手作りらしい小屋はペンキが剥げ、プレートの名前も消えかかて読めない。

「あの子を見送てやれて良かた、なんて言うんだ。独りぼちにせずに済んだ、て」
返す言葉も見つからず黙て聞いていると、岩谷唯人はつづけた。
「自分は今から『ツイノスミカ』に行くんだて、荷物持て立ち上がたけどふらついてさ。歩いて駅まで行くんだていうから自転車の後ろに座らせて、押して歩いた。軽かた。びくりするくらい」
「お婆さんのことよく知てたんだ」
「『くすり箱の婆さん』て俺は勝手に呼んでた」
岩谷唯人は壊されていく家を見たまま呟くように言た。
「まだ自転車に上手く乗れないちい頃、ここで転んで泣いたのが最初」
──アロエ塗てくれた?『おくすり』もらた? 
日南子の問いかけには答えず、岩谷唯人は独り言でも言うみたいに続ける。
「駅まで送てくれたら後は自分で その『ツイノスミカ』だとかいうのに行く、でも、その前に食後の薬が飲みたいからて言てさ、自転車停めてどこかで何か食べようて言うんだ。居てくれて有難う、何が食べたい?て」
唯人の下した両の手がぎと握られる。
「ハンバーガー屋、行た。婆さんは『若い子と一緒に一度来てみたかたんだ』て嬉しそうに笑てさ、でも一口食べただけで。『食後の薬は?』て聞いたら てくるの忘れてたて、また笑うんだ」

 見回しても猫たちはどこに行たのか見当たらない。工事の音に驚いて逃げてしまたのかもしれない。
「行き先、詳しく聞かなかたの?」
「落ち着いたらきと知らせるよて言た。あの女の子によろしくて。マトリシカの飛び出すカード、嬉しかた、大事にするて」
生垣の傍に目をやるとアロエの鉢が無造作に転がされているのが目に入た。
「これ、ひとつ貰て帰ていいかな」
日南子が言うと唯人は初めてくしと泣きそうな笑顔を見せた。
「婆さん、きと喜ぶ。大事に育ててたからな。家の近くで怪我した子供のためて」

 重い鉢を持て、よたよたと日南子は歩く。足取りが重いのは鉢が重いからだけじない。日南子の後ろを 少し遅れて歩いていた唯人が、ポケトをごそごそ探ると中から何かを取り出した
「『食後の薬は忘れたけど、これはあるよ』て、婆さんがくれた」
振り返て見る。あの「おくすり」の缶だ。

「あの子にもちんとあげるんだよ、てさ。ほら、手、出せ」
唯人が缶を振る。
「苦しい時は 水色。勇気が出るのが赤、だよね」
何色が出るかな、日南子は差し出した手のひらを見つめる。
「寂しいときのが黄色、か?でも、婆さんの言うの、時々違てた」
「え、そうなの?」
「結構 適当なこと言う婆さんだたな」
唯人はお婆さんとのことを色々思い出したのか、くつくつと面白そうに笑う。日南子の心も少し軽くなた。


「す。これて万能じん」
唯人が大きな声を出す。手のひらに転がり出たのは、どれも白地に色とりどりのラインの入た「おくすり」だた。

 便りはきと来る、希望と祈りを込めて「おくすり」を日南子はゆくり味わた。
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