同じ味 2: つくるところ
藁稈類の収穫跡地では、フクロタケなどの草生のキノコを目にすることが多か
った。ほんの一晩でも目を離していれば、干し藁やその捨てくずから、卵のような形状のキノコがぼんぼんと生えてくる。
卒論のテーマをこれにしようと思いついたのは、合宿から戻ってしばらく経ってのことだった。ふとそのキノコのことが頭に浮かんで、胞子のようにふくらんでいく。なんでもないただの光景のはずだったが、一度浮かび上がってしまうと、どうにもそれが頭から離れなかった。
営業所にアポを取り、今度は個人でそこに向かう。まあ自由に見てていいからと軽い承諾をもらい、カメラをぶらさげ件のキノコがあったところへ向かった。
敷地のいたるところに、野生のキノコが群青している。おそらくどこかから胞子が飛んできて、居ついてしまったのだろうという話だった。栽培用でない野生のキノコの発生には、迷惑しているのではないかとも思ったが、話を聞く限りではさほど気にされていないようだった。
キノコは胞子を飛ばすことでその分布範囲を広げる。胞子を飛ばすのは主に風だ。
さらに探索範囲を広げ、許可をもらってそこから少し先にある私有地の山にも足を踏み入れた。その山はほとんど手入れがなされていないところで、時代から取り残されてしまったような雰囲気を感じさせる。
胞子の動きを予想して、そこを遡るようにやってきた山だったが、案の定そこは草生のキノコの宝庫だった。そこから風下まで宿主を伸ばしてきたらしい。
カメラを構えながら、いくつかの写真を撮る。すると奇妙なことに気づいた。
フクロタケは初期は卵のような形をしているが、成長するとカサを広げ、よく見るキノコの形になる。ところがこのあたりで生えているキノコはすべてが初期の形態で、そのうえ、大きかった。成長の早いキノコが、こうも初期の形ばかりそろうのは不思議だし、それにどれも一般に見る大きさを超えている。
気になってつい、そのキノコを指でつついてしまった。
すると刺激を受けたそれは、ぶるぶると震え、他のキノコと融合しだした。ゆらゆらと揺れ、動物のように移動し、複数のキノコが集合する。
集合しきるとそれらは、ひとつの人間の姿になった。
***
「今日も美味しいよ」
彼(または彼女)(または彼ら)にそう話しかける。実際、今日も美味しかった。
人間の姿を得た彼と、こうして生活をともにして、彼には感情があることがわかった。また、彼が毒キノコではないことも。
原理はまだわからないが、彼は体調や感情が安定している限りは、一定の、質のある味を出す。しかしひとたび安定が乱れれば、そうはならないらしい。
だから、僕は毎日彼の手を食べて、その状態を確かめている。
同じ味である限り、彼のことは安心だ。
彼の手は毎日のように生えてくる。
ぼくは彼の腕を撫で、明日の味も同じであることを願った。