第56回 てきすとぽい杯
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ふたりのまち
白鯱
投稿時刻 : 2020.04.18 23:43
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ふたりのまち
白鯱


 もう全く返事の無いメールを今日も送る。そろそろ格安SIMに乗り換えたいと思いながら、古めかしくも思えるようになたキリアメールの送信ボタンを押した。
 年に一度だけ、この日に送り続けることが、僕の自己中心的な行為であて、三十もいくらか過ぎた今では、冷静に相手にとて迷惑でしか無い行為であることは、明らかなのに、毎年七月の二十日になると、Googleカレンダーの朋美バースデイというアラートが、スマホの待ち受けに表示されるのを、消せないでいた。
 全く――質の悪い――
 高円寺の駅前の純喫茶エスの草臥れた革張りのソフの背もたれに身体を預けて、僕は目の前のテプと読みかけの文庫本の間の先の窓の外を見やる。相変わらず、何の仕事をしているのか分からない。虹色の髪の毛をして、バンドTシツにウトチンをジラリと言わせながら歩く、恐らく僕よりも軽く十歳位上の正体の分からない人物が行き来している。
 朋美との結婚を破談にしてから、埼玉から逃げ込むように飛び込んだこの町の雰囲気に僕は、どこか見下した気持ちになりながら、ここは束の間の逃げ場所だと言い聞かせつつ、もう数年経ている。
 送信ボクスの一行の誕生日おめでとう。という言葉は、朋美は読む事はあるのだろうか。キリアメールは、LINEやSMSなんかとは違て、ネトの藻屑となても、行き先が不明である。それが、多少の罪悪感を緩和しているとも言える。
 結婚は向いていないことを自覚しながらも、たぶん津波と原発の事故の後で、結婚するカプルが多くなていた時代に流されたのか。資産家の娘であた朋美との結婚で生涯お金に不自由することもないだろうという打算の上での選択だたのかもしれない。
 結婚しようと決めたはずなのに、些細なことで、言い争いになて、それきり。なんだろう。目を三角にして怒ている彼女の顔が最後のシーンだた。
 返事の無いメールを送り続けることは、ストーカーになるのかどうか。そもそも、届いているかさえ分からない前時代的なキリアメールだから、年に一度だけ送るメールがストーカーとなるのか。
 指折り数えると、そうかもう今年で九年目、だたなと。オリンピクが新型コロナウルスで延期になて、嗚呼そろそろ、来年には、もう――
「お待たせ」
 目の前の窓と僕の間に、亜矢が前下がりのボブの髪の毛を揺らして身体を滑り込ませてくる。黒いノースリーブのワンピースに、テーブルの向こうのワインレドの傷だらけの古いソフが音を立てた。
「また、本を読んでるの」
 僕の読みかけの文庫本を、グラデーンのピンク色の爪で掴み上げながら、ページをパラパラと捲る。
「読むよりも、書く方がやりたいんだけどね」
「そう、だたね。新しいのは書いてるの」
「夏は原稿用紙に汗が落ちると、インクが滲むから、なかなか進まない」
 亜矢が不思議そうに眉をひそめる。
「今時、手書きなの」
「言葉は生き物だから」
「スマホ持てるし、貴方システムエンジニアでしう」
「四六時中パソコンて訳でもないだろう」
 何度か瞬きを繰り返し、「そうね」と言い、亜矢は先ほど駅を下りてから見た、この暑いのにライダースの革ジンにサングラスでリーゼントの住人を見かけたという話を始める。「別に、普通だよこの町じ」などと相づちを打ちつつ、朋美とは全然違う亜矢との結婚でいいのかもしれないと思う。小説などに興味を持たず、休みの日はテレビを見て、有名なアイドルや俳優のゴシプの話は目を輝かせて話をするのに、芥川賞や直木賞には生まれてこの方興味を持たこともないという女性。
 小説の話や物語の構築に関しては、ご飯を食べることも忘れていつの間には時計が一周しているような朋美とは正反対というよりも、全く違う生き物のような。
 美醜で言えば、亜矢の方が美人だろう。目の奥のどこか冥さのようなものはなく、夜中に小さな声で、もしもしと電話がかかてくることもない。「どうしたの」と問いかけると、数日前に読んだ本の結末から先が勝手に頭の中で続いていて、どうしたらいいかと日が昇るまで話すようなことも、ない。
 だから、ずと、九年も返事のないメールを送り続けている。朋美の誕生日に。
 小説には正解がない。そこでは、どんなに狡く滑稽で馬鹿らしくて惨めでも、自嘲しながらだたとしても。
 メールを送る僕と、別れた男から毎年誕生日おめでとうというメールを貰う女がいる。だけ。
 亜矢と結婚をする時に、報告をしなきとか、けじめをつけるために、メールを止めなきとか考えるのだけれど、昔、ずと昔に、朋美が僕を初めてクラスの打ち上げの時に居酒屋のテーブルの端こで俯いていた僕に「みーつけた」と言てくれた時に、何が起こたのかわからなくて、思わず見上げた僕の、朋美のあの。
「ちと聞いてるの」
 僕の両頬を手のひらで挟んで顔を近づけてくる亜矢の糸目と鼻の頭の皺と。ふざけて怒た振りをしているのが分かて。左手の薬指辺りで、リングの感触が頬に当たるのが分かる。
 何を話してたかは、聞いてないけど、きと亜矢はどんな話でも楽しい話に変えてくれるから、笑顔を作ることを選んだ。
「結婚しようか」
「バカなの。思いつきみたいに言わないで」
 亜矢が、僕の鼻をつねる。一年後の朋美の誕生日を迎える前に、僕らは夫婦になるのかもしれない。
 二人並んで喫茶店エスを出る。冷房に慣れた身体を熱気が包む。亜矢の指に僕の指を絡めると、彼女が新しい看板を見つけて指さす。いつの間にか視線の先が上の方に向いて。
 太陽の光が、反射して、目を閉じた。
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