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第56回 てきすとぽい杯
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春の出会い
みお
 投稿時刻 : 2020.04.18 23:41
 字数 : 1328
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春の出会い
みお


 私は美しい。
 そんな私を美しいと褒め称え、私を愛し、私を所有した者たちは数多い。
 しかし皆皆、愛の言葉だけを囁いてあさりと去てしまう。
 君を必ず愛し続けると固く誓てくれたあの人さえも、春を待ち望むように静かに逝た。
 幾年経とうと、私はただ一人きり。
 肌寒い春を迎えては、一人虚しく涙を流す。

「やあ」
 これは果たして、何年目の春となるのか。 
 懐かしい声が聞こえた……そんな気がして私は暖かい風の中で目を覚ます。
……どなた?」
 振りかえても、そこには誰も居ない。私の背後に広がるのは見事な春の園である。
 今年の冬は些か長かたようだ。寒風に染また空気が払われたのはつい先日のこと。 
 待ち望むように顔を見せた山桜、照れるように顔を綻ばせる白木蓮、木蓮が涙のように花を散らして、そうしてようやく顔を見せる、染井吉野。
 柔らかな土に根を張り、腕を広げる、広げた指の先から溢れる春の色。
 地面にたゆたうのは、春の雨溜まり。
 そこに映るのは早春の蒼い空……そして、巨大な一本の桜の木。
 
 この桜木こそ、私である。

 何年、何十年、何百年生きてきた。美しいと描かれ、歌で詠まれ、多くの人に愛された。
 そして、一人の熱心な男は私に永遠の愛を誓た。
 しかしその男も私の根本で密かに逝て、私はまた春を唯一人、唯一人で迎えるのだ。

……久しぶり」

 虚しさに、はらりと泣いた私の枝に静かな風が吹く。
 春の日差しに届いたその声は、もう数百年も前に聞いた男の声ではないか。
 その声を持つものは、一匹の揚羽蝶。
 美しい文様を身に刻んだその蝶は、光の粒を撒き散らし私の周囲をゆるりと飛んだ。
「あなたは」
……願はくは花の下にて春死なむ」
 数百年も昔の話だ。
 彼は私の根本に頭を乗せて、私を眺め、私を見つめ……歌を詠んだ。
 そしてこの歌の通り、春に消えた。
 ……彼は、そういう人である。
 揚羽蝶はあのときと同じ声で私にささやき、私に口づけ、小さな花弁の間を舞う。
「蝶に……お生まれになたのね」
「貴女への思いが実を結び」
 生まれ変わたのだ。と、彼は優しくそういた。

 蝶の言葉は誠だた。
 私達は再会を喜び、愛をささやき、春に遊ぶ。春の日差しも春の雨も、私と彼を引き裂くものではない。
 しかし時間が経つごとに、私はまた不安に打ち沈む。
 春のときは早く進むのだ。日が強くなれば、私は散る、彼は死ぬ。
……でも貴方はまた消えてしまう。春が終われば」
 不安に怯える私の声に、彼は優しく答えた。
「春はまた来る。来年も、再来年も、数百年後も、貴女はこうして美しく咲いているではないか。春は逃げない、春は必ず、また来る」
 彼は私の花をその羽根で、優しくなでた。
「これからの願いは……
 懐かしい彼の声を持つ、黒揚羽。
……春に貴女と生きよう」
 風が、変わた。
「幾年だて貴女に会うために、蝶となて生まれ変わる」
 春が終わる風だ。花は散り、緑の葉が深い色となり、日差しに焼けて、やがて赤に染まて落ちる。色のない冬を超えれば……
「また、春は来ますか」
 来る。と、彼は強く言う。いつかと同じ声で。
「また一年後」
 私は彼を抱きしめる腕を持たない。彼も私を抱きしめる腕を持たない。
 しかし二人は確かに、愛を交わした。
 
 それは、春の暮れ。誰も知らない、山辺での物語である。
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