第12回 文藝マガジン文戯杯「スポーツマン」
〔 作品1 〕
遺る罪は在らじと
投稿時刻 : 2020.08.10 21:46 最終更新 : 2020.08.13 11:45
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遺る罪は在らじと
住谷 ねこ


ぶわ じ と音がして
と思た時にはガス台はお湯浸しに
火は、盛大に吹きこぼれたそうめんのゆで汁で消えた。

あーあ。あー と思ても
菜箸を持たまま目はテレビにくぎ付けだ。

画面に映るその神社は言われなければそれとわからないくらい
焼け落ちて水をかぶり、焼けた柱は黒く光ている。

燃えたのは繁華街の中にある神社だ。あまり治安のよくない地域なので
払いや、やくざやホームレスやらも多く、火の気のない神殿が
火元という事もあり、放火の疑いもあるというニスだた。

まだ少し茹で足りないままのそうめんをざるにあげ水にさらしながら
うわの空で薬味を出し、めんつゆを出し、買てきただけの天ぷらを
温めもせずパクのままテーブルに置いた。
大学生になた息子がそれを不思議そうに眺めながらも
特に文句を言うでもなく「いただきます」と言て箸を取た。

「かあさん、食べないの?」

「ねー?」

「食べないの? 天ぷらもらていい?」

それにも答えず、もう次のニスになている画面を見つめたまま息子に聞く。

「あんた、今のニスみた? あの神社知てる?」

「あの神社て?」

「ほら、○○町の○○神社」

「あー、昨日の。燃えちたんでし?」

「昨日? 昨日のニスなの?」

「うん、それはニスチンネルだから繰り返してるんだよ
 燃えたのは昨日の朝方だよ。続報なら民放見れば?」

「ちと知てるから、驚いち……

「みんな知てるでし、有名な神社だし」

食べ盛りの男の子にはそうめんだけでは足りないのか
冷蔵庫を開けてプリンを見つけ出し、食べ始める。

三個パクのプリンを全部食べるつもりらしく目の前に並べて
丁寧に上ぶたを剥がし、一つ食べてはスプーンも取り換える。

ひとりで食べるんだからそのまま同じスプーンで食べればいいのに。

あの日も、同じことを思た。
暑い日で窓を開けても風もなくて、セミがうるさくて。
としてるだけで汗が垂れてくるような蒸した部屋で
次々とプリンを食べていた茜ちん。

もう二十年、それ以上も前の話だ。

茜ちんは高校の同級生であまり人気のないバレーボール部に入ていた。
髪が、ものすごく短くて、常にジジを着ていた。
いつもニコニコして気さくな感じではあたけど
バレーボールの話しかしないのでクラスでは特に仲良くしていた子は
いなかたと思う。

二年、三年と同じクラスだたのに口を利いたのは
卒業もまじかになた頃だ。
受験期に入てもう、あまり登校しなくてもよくなた頃
職員室に用があて、ついでに誰か来てるかと教室に顔を出したが
誰も来ていなくて、なんだつまらないと思いながら
しばらく席に座て本を読んでいると茜ちんが入てきた。

「あれ? おぐちんどうしたの?」

「そちこそ。なにジジ?」

「うん。バレーの練習してた」

「ええ?まだ部活してたの?」

「そうだよ。私、バレーしかやることないもん」
そういてニコニコと隣に座てくる。

話はない。
これまでほとんど話したことないし
バレー一筋のような彼女と帰宅部よろしく授業が終わると
すぐに学校を出てあちこち雑貨屋を覗いたりアイスだ、クレープだと
食べ歩き、ミーハーた私に共通点などあるわけなかた。
息苦しくなて「そろそろ……」と言いかけると
かぶせるように「今度、うちに遊びにこない?」と言う。

「え? 家?」

「家ていうか、六月に行事ごとがあるから来ないかなと思て」

「家の行事に私が行くの?」

「うん、大祓の儀があるから、身も心も清浄になるよ」

くすくす笑うと彼女もくすくす笑
「うちね、○○の○○神社なの」 と言た。

その後、少し親しくなたような気になて卒業までの一、二か月は
顔を見ればにこにこし、挨拶をするようになていた。
一度、バレーの練習も見に行てみたが
バレー部はもう、廃部だ、という噂は本当だと誰もが納得してしまう有様だた。
部員が、全員出ているのかは、わからないが人数が少なくて
試合形式の練習はできておらず、何人かは手持無沙汰に
ているだけで茜ちんの掛け声ばかりが響いていた。
少しかすれていて舌たらずの茜ちんの声。
三年生は当たり前だけど茜ちんひとりだた。

卒業式の時に、じあ六月においでね。
きたら社務所に来てくれたらいいから。

そういて手を振た。
そのまま連絡もしていないし、六月も行かなかた。
もちろん向こうからの連絡もなかた。

数年後の同窓会に出席したとき、来なかた人の近況を
担任がわかる範囲で報告した。 もう結婚して、いま子育てで忙しいので
今回は出てこれないとか、留学しているとか、短大卒で就職したとか
報告されたその中に茜ちんもいた。

茜ちんは、知らなかたがバレーボールの推薦で就職したのだた。
潰れかけたバレー部でしかなかた高校から推薦なんて
どういう方法かわからないけどそんなにバレー選手として優秀だたのかと驚いた。
そこのバレー部に入り、リベロとして活躍していると言た。
潰れそうだた学校のバレー部は茜ちんの出世のおかげで廃部を免れ
今はそこそこ強くなたのだと誇らしげに話した。

へー

そういえばいつも体育着で歩いてたもんね。

バレーの話しかしてなかたよね。

身長低かたもんね。

へー

うちの学校てバレー強かたの?

へー

ひとしきり茜ちんの記憶を掘り起こし
みんな何気に驚き、感心して見せ、そしてすぐに興味を失た。


「あの神社ねえ、おかあさんの友達の家なのよ」

「えー? 神社に住んでんの? ホームレスかよ」

「冗談じなくて、そこの宮司さんの娘さんだたの。友達」

「ふーん。それでぼんやりしてんのか」

「してないわよ」

「してるよ。天ぷらをパクのまま出すなんて珍しいよ」

「そうだけ」

「連絡しないの? 火事見舞いとか」

「もうずと昔のことだし、そんなに親しくもなかたし」

「ふーん」


そうだよ。親しくなかた。

教室で誘われてから卒業まで挨拶と遠くから手を振るくらいしかしていない。
親しくもないのに、お祭りも行かなかたのに
なのに二十年前のあの日、連絡したのはどうしてか。

それは……思い出したくないけど分かてる。
親しくないからこそ茜ちんに連絡したんだ。

皿を片付けながら茜ちんはどうしたろうかと考える。
茜ちんは火事の時どこに居たんだろう。
綺麗に平らげたプリンの空のパクを捨てようとして
ひとつづつにスプーンが入ているせいでうまくスタクせず
ひとつが軽い音を立てて床に転がた。

コン カシ



茜ちんに再会した時、卒業から、ちうど十年が経ていた。
連絡先は神社を調べて電話した。
名前を言て今度企画している同窓会のお知らせだと伝えると
今はここにはいない。と言て新しい住所を教えてくれた。
多分、お母さんだた と思う。
本当に神社の子だたのだと今更納得した。

風もない夏日の、前日雨が降たせいで、蒸し風呂のようなその日
待ち合わせは茜ちんの住むアパートのある最寄り駅だた。

そこには別人のように太て、コンビニの袋をぶら下げ
男物のサンダルをつかけた茜ちんがいた。
ベリートだた髪は腰まで伸ばして不規則にカールしていた。

すぐに茜ちんだとわかたが「おぐちん?」そう声をかけてくるまで
信じられなかた。

ぶくぶくと病的に太た体と不健康そうにむくんで吹き出物のできた顔は確かに
茜ちんだけどバレーボールに夢中だたあの茜ちんとはとても思えない。

「久しぶり、元気だた? 会えてうれしいよ」

「その人旦那さん?」

「え? あ違うよ。結婚はしてないよ」

「初めまして、伊東です」私が紹介もしてないのに淳史は私を押しのけ
勝手に挨拶をする。

「じあ行こうか。こからすぐだから」

そう言て歩き出したけど茜ちんのアパートにはなかなかつかない。
茜ちんのすぐと私のすぐの認識は全然違うらしかた。

「最初の同窓会、来なかたよね。その時、和泉が
茜ちんは社会人チームで活躍してるて言てたけど今も?」

この体でスポーツをやてるわけないとはわかていたけど
そうは言えない。和泉というのは、三年の時の担任だ。

「ううん。今は専業主婦だよ。バレーはもうとくにやめたの」

「リベロでいいところまでいてるて聞いたから」

……

「普通の奥さんじたいないね」

少し間があいて、返事が来る前にアパートに着いた。

「あ。ここ。この二階のはしこなの」

ぺりをずと歩いてきて、いくつめかの土手にある階段を下りる。

大きな工場のようなものを回り込んだ所にあるその建物は
よくある、薄ぺらな壁の二階建てのアパートだ。
だいぶ古びて鉄階段は錆びて赤黒く、手垢で磨かれてツヤツヤしていた。

「ちとここで待てて、旦那、いるから」

ベニヤ板のようなドアの向こうで何かが割れるようなとがた音がした。

「あの子、やばくないか?」淳史が口を歪めて後ずさる。

……

……出直すか?」

なんなの?こいつ。
あなたが連絡しろていたんじない。
あなたが友達とか紹介しろて。


私は、淳史に夢中だた。
理由なんてない。その時、淳史がとにかくかこよく見えた。
淳史に愛されるならなんでも差し出す勢いだた。
淳史は大学のゼミの先輩の紹介だた。
それから六年。もうかこよくなかた。
どこにでもいる。違う、どこにでもいる男の方がまだましだ。
いつも楽する事ばかり考えていて、すぐその気にな
そのくせ飽きぽくて。しう転職していた。
女癖だけは悪くないと思たけど、悪くないんじなくて
相手にされてないだけだ。
私だけが気が付かなかただけだ。

それでもやぱり付き合ているのは……
それでもやぱりいう事を聞いてしまうのは……

まだ好きなんだろうか。
ただ、飼いならされてしまただけなんだろうか。



「よう、帰るか?」

ぼんやりしているうちに、茜ちんが顔を出した。

「どうぞ、入て」

「おじまします」

靴が乱雑に積みあがた狭い土間で無理やり靴を脱いで
ぽい床に足をつける。スリパはない。
なんだかペトペトして気持ち悪い。
ペトペトした床の台所を数歩進むと三畳くらいの畳の部屋
その奥に六畳間があるようだけど半分以上ベドで埋まている。
ピンクのツルツルした生地の、少しずれ落ちた掛布団が生々しい。

その三畳の部屋にタバコの焦げのある折畳テーブルがあ
どう見ても四十過ぎにしかみえない男が座ていた。

「こんにちは」 この男が旦那さんなのかな。

「やあやあ、いらい。茜の同級生ですて? よくいらいました」

「はい、あの、急におじましてしま……

「いいのいいの。俺出かけるから、ゆくりしてて」

そういて後ろ手を挙げ、さき茜ちんの履いていたサンダルをつかけて出て行た。

もともと親しいわけでもないところに既に十年もたている私と茜ちんと
さらに関係のない淳史と、小さな折畳のテーブルを囲むようにして座た。
密談をするみたいに顔が近い。

「ごめんねー、散らかてて、狭くて」

「ううん、大丈夫だよ」

「あ、そうだ。これ食べる?」 待ち合わせたときに持ていたコンビニの袋から
3連プリンを取り出してテーブルに置いた。

「はいどうぞ、遠慮しないで食べて。今買てきたやつ」

私と淳史の前にプリンを置いた。
そして自分も、もくもくとプリンを食べはじめる。
窓は開いているけど風はぜんぜんなくて前日の雨のせいで湿気が高く
としてるだけで汗が出てきた。暑い。外に出たい。
チンの流しの周りにはゴミを入れた袋がいくつか転がていて
生臭いにおいがする。外に出たい。

どうしようと、淳史と目を合わせる。
淳史が嫌そうな顔で茜ちんから目を逸らすので意を決して口を開こうとすると
茜ちんがじとこちらをみて「食べないなら私、食べてもいい?」と言た。

「え?」 

「プリン、いらないなら……

「え? あうん」

そのまま茜ちんは、私の前のプリンと、淳史の前に置いたプリンを
いちいち付属のスプーンを袋から出して順番に舐めるようにきれいに食べた。

そして、一つ食べ終えるごとにカプとスプーンをキチンの方に投げた。

コン カシ

コン カシ

コン カシ


「で、いい話てなに?」


淳史がしばらく前から友達に誘われて浄水器の販売を始めた。
始めた時、ものすごく興奮して私の部屋にやてきて「すごいんだ。すごいぞ」
そういて立たり座たり落ち着かない様子で私にパンフレトを押し付けて
説明した。この浄水器を売る仕事をすることになたんだという。

「浄水器?」

「すごいんだ。これ」

すごいのは浄水器ではなく、売買システムだた。

浄水器を始めに買うと会員になれる。会員になるとパンフレトや浄水器の勉強会に
参加できる資格がもらえる。
そしてこの素晴らしい浄水器を大切な人に勧めるのだ。
説明の為の試薬や、パンフレトは無料だという。
むやみに勧めるのではない。大切な人にだけ広める。
本当にいいものだから、大切な人に使てもらいたい。
自分の買た浄水を飲んでもらい素晴らしさを分かてもらう。

うまく説明できなくても大丈夫。詳しい人がいつでも同行してくれる。
親や友達、親せき縁者、誰かが賛同し買てくれたら
一人につき二十五%のキクがあるのだという。

四人が買えば自分の買た分はほぼタダになる。
その四人も会員になれる。そしてまた、人に勧めることができる。
条件はみんな同じだ。
みんながタダで浄水器を手に入れ、さらに紹介料をもらい
その紹介者も、その紹介者も、その紹介者も……

しかも浄水器にはフルターが必要だ。
ルターは浄水器を使う限り買うことになる。
そして、このフルターの代金も数パーセントがキクされるのだ。
そうして入てくる収入は毎月ふくれあがり、自分に紹介してくれた友達はすでに月収百万円を下らないと唾を飛ばして力説する。

リスクがなくてみんなが幸せなシステムだから私に一緒にやろうという。
そんな高価なものを買うお金もないし、紹介するような親しい友達もいない。と断たが
学生の時の顔見知り程度でもいいんだ、紹介だけしてくれれば後は俺が話すからと食い下がる。

大切な人に勧めるんじないのか? とか顔見知り程度は大切な人なのか?
という疑問は口に出さなかたが……、それ、マルチだよね。

マルチは友達を失くす。
会社の人や、友達には言えない。
その商品がたとえどんなに良いものであてもだ。

淳史はしつこくて、顔を見ればだれか紹介しろという。
自分にはもう話す人がいないらしい。
どれだけの人に話したか知らないが子会員が私を入れて四人ということが
この仕事に向いてないのを表していると思う。
そして名前だけ貸してくれればいいと会員にした私にこんなにしつこいということが
他の三人はほとんど活動してないということだろう。

「なあ、頼むよ。一人でいいよ、一人紹介してくれたらもう言わないよ」

「ほんとだね? ひとりだけだよ?」

そして根負けした私は茜ちんを紹介することにしたのだ。
親しくもないけど、多少交流があた。
行かなかたけど、家に誘てくれた。
スポーツで成功してるみたいだたから健康には気を付けてるかもしれない。
水や食べ物に気を使ていて、もしかしたら興味を持つかもしれない。
そんな無理やりな理由だた。


向こうから話を振てくれたので淳史がここぞとばかりに
浄水器の話を始めた。
私に勧めるときより熱心だたかもしれない。
だめそうだから帰ろうと言ていたのに、話を聞いてくれたら脈があると思てるのかな。
私は、逆だな。
今の茜ちんの姿や、駅で茜ちんに会てからの全ての瞬間で
だめだな。という思いを一段ずつ積み上げてもはやてぺんが見えないほど積み上げた。
淳史はこの風も入らない部屋で汗だくになて説明してるから気が付かないみたいだけど
茜ちんはもう話を聞いていないと思われた。
一通りの説明を終えても何の反応もないので恐る恐る「どうかな?」と聞く。

「二十三のときにね、アキレス腱切れた」

「え?」

「できなくなた。……バレーボール」

……

「会社もそれでやめた」

「そんな、バレーできなくなたらやめなきだめなの?」

「しばらくは復帰するつもりで居たけど、なんか変な切れ方して
忘れたけど。全然歩けなくてリハビリにものすごく時間かかたから。
もしかしたら一生歩けないんじないかと思うくらいかかたから。やめた」
「やと歩けるようになて近所でアルバイトしてる時に旦那と知り合たの」

「そうなんだ」

茜ちんはゴロンと背を向けて横になり
「浄水器は買えない」と言たまま黙た。
そしてそのまま寝息が聞こえてきた。

淳史が帰ろうとつつく。
うん、わかてる。だけど起こすのもなんだかだし
て帰るのも気が引ける。
暑くて外の壁にでも止またのかセミの声がやたら大きくなた。
風の入らない窓が薄赤くなてきた夕暮れ。

淳史が「俺、じあ先出るよ」と小声で言うのと同時にドアが開いて
茜ちんの旦那さんが戻てきた。
そして、部屋の様子を見ても驚くふうもなくテーブルに袋をいくつも置いた。
カートンのタバコや菓子パンやポテトチプスや洗剤もあるし、コーラもある。
パチンコの景品らしい。
そして転がた茜ちんを足で押しのけて座りタバコに火をつけた。

「なんだ茜、寝ちたのか。お客さん来てるのにしうがねえな」

「なあ?」 私に向かて笑いかけるその顔の前歯は欠けていた。

「いえ、えーと、じ私たち帰りますね」

台所から湯飲みを持てきて今持て帰たコーラを次ぐ。
「あんた、茜の同級生なんでし? こいつ、どうにかしてくださいよ」

「はい?」

「こいつはさー、一日なんにもしないで食ねーねーしてんだよ
病気なんだと、神経の病気」

「い……いつから……ですか?」

「結婚した時からずとだよ、ちとつきあたら結婚しよう、結婚しようてしつこくてさ、
してくれなき死ぬとか言てさ。まいうよ」

……

「で、一緒に住んでみりこれだ、家でだらだらだらだら。なんか言えば病気だからしかたない。
こいつの親まで一緒になてしかたない、しかたないだ」

……

「まあ、いいけどさ、こいつの親がよろしくお願いしますて金置いてくからさ」

コーラを飲んでいたと思たら、いつの間にかカプ酒に変わていた。

「あの、じあ失礼します。茜ちんによろしく伝えてください」

二つ目のカプ酒に手を付けながら「おう、また来てくださいよ。今度また、調子のいい時にでもね」
靴を履きながら背中で「おい、起きろよ 友達帰るてよ」と声が聞こえた。

来た道を逆にたどりながら最初に口を開いたのは淳史だ。

「いや、どうなるかと思た。まさか寝ちうとはね」

……

「なんだあれ? プリン結局全部食べたよな、自分で。人に勧めといて食べるか?普通」

……

「それにあの男、旦那てほんとか?一回り以上上だよきと、やくざとは言わないけど
堅気じないよな。パチプロだたりして、あの景品の下にあた封筒、あれ換金したやつだよな」

「なあ、買えないてのは欲しいけど買えないてことだよな?
買わないじないもんな、でもだめだよな、精神病んでるんじな」

「旦那に勧めた方がよかたかな、浄水器」

うるさいな……

「もういいでし、一人紹介したからね」

なんだか、日常と違う場所に入り込んだみたいに居心地が悪くて
淳史もそち側の人間に思えて気持ち悪くてそのまま足を速めて
その日の帰り道はずと口をきかなかた。

以来、淳史と会う回数はめきり減たがはきり別れようという話にはなかなかならなかた。
淳史はもう浄水器の話を私にしなくなた。
気の早い街がクリスマスの準備を始めた頃、思いがけない人から連絡が来た。

昼でも、夜でも、普段かかてこないような時間の電話は不吉だ。
少し風邪気味で会社を休んだ日にその電話はかかてきた。

「もしもし」

「あー。茜の友達のひと?」

「はい?」

「夏に来たでし?ほら、男と二人で」

「え? あ、茜ちんの旦那さん?」 そういえば名前知らなかた。
茜ちんは細谷だけど、普通は旦那さんの姓を名乗るんだよね。

「どうかしましたか? 茜ちん」

「あー、なんか出ててね」

「家出ですか? こちらには来てませんけど」

「いや、居場所はわかてるんですよ。実家です」

「電話してもね、取次いでもらえないんですよ。
あいつの親とね とうまくなくてね」

「はあ」

「いやになりますよ、あいつも、あいつの親もほんと頭おかしいんですよ」

……

「聞いてくださいよ」

そういて、名前もわからないまま茜ちんの旦那さんは茜ちんと茜ちん一家が
いかにおかしいかをだらだらと話し出した。
無理やり結婚を迫られたとか、子供ができたと嘘をつかれたとか、一日中食べて続けてるとか
起きるとセクスをせがみ、何回しても満足することがないとか。

「色キチガイなんですよ」

「あの、そんなこと私に言われても。それで茜ちんに連絡を取りたいという事ですか?」
(唐突にあの、生々しいピンクの布団が頭をよぎた。)

「聞いてもらえればいいんで、また聞いてもらていいですか?」

呆れた。

…… 困ります、そんな」

何か言ていたがもう聞かずに電話を切た。ついでにコードも抜いた。
なんでうちの電話番号を知てるんだろう。
茜ちんが教えたのか、勝手に茜ちんの荷物を探てかして知りえたのか
どうして私にかけてきたのかはきりしないと気持ち悪い。

今さき抜いたコードをさしなおし、茜ちんの実家に電話した。
前の時と同じ、お母さんが出て、また茜ちんはいなかた。
今度は仕事に行ているという。

「あなた、本当に茜の友達?」と聞いてくる。

なんだか警戒されてる感じだ。
「夏に茜ちんの家に遊びにいたんですけど、その時ちらと旦那さんにもお会いして」

「旦那じありませんよ。茜は結婚してませんから」

「え? そうなんですか? えーと、その時の男の人から私の所に電話があたんですよ。
茜ちんが実家に戻てるんだけど連絡がとれないからて」

「そんなの、嘘ですよ。あの男は嘘つきなんだから、茜は騙されたんですよ。
 やと逃げてしばらく落ち着いてたのに、またおかしくなうわ。きとお金が無くなたんだわ、またく寄生虫みたいな男」

「あの、茜ちんはいま……

「働いてるんでね、帰たらかけなおさせます」
そう言て返事も聞かずに切られた。

なんか、旦那さんのいう事とお母さんのいう事は違う。
どちらかが嘘をついているんだろうけど……
もうどうでもよかた。
茜ちんが情緒不安定なのはどちらにも共通した意見のようだた。

その日、茜ちんから電話はかかてこなかたが
関わりたくなかたので、こちらからも、もう連絡しなかた。

茜ちんが連絡をくれたのは、それから半年もたていて
その間にクリスマスが来て、年を越し、もう春になろうとしていた。

私は転職し、淳史と別れ、のちに結婚することになる人と急激に親しくなている最中だた。
茜ちんの時計には、その半年は反映されてないようで
「このあいだ電話くれたのに、連絡しなくてごめんね」 と言う出だしで始また。

「うん。いいよ。この間でもないけど、去年だし」

「旦那さん元気?」 (淳史のことか……)

「旦那さんじないよ、それよか、よかた連絡もらえて
もうすぐ引越すんだたの。茜ちんは?実家?」 (くれなくてもよかたけど。)

「うん。でもね社長さんから住み込みでもいいよて言われてるの」

「住み込み?」 (なになに、また何の話だ。)

「実家に戻てからずと高円寺のね、小さな建設会社の電話番してるんだけど
そこの社長さんがよくしてくれるから」

……

「家にいるとお母さんうるさいし、そう言たら会社のビルの上に空いてる部屋があるから
そこに住んでもいいよて言てくれたの」

「そうなんだ」

「あの時、浄水器買わなくてごめんね。今なら買てもいいよ」

「え? 何言てんの? いいよ、それに浄水器の人とはとくに別れてるし」

「そうなの? 離婚するのて大変だよね。私も大変だた」

「いや、だから私はまだ結婚もしてないから」
(茜ちんも大変だた? 離婚するのが? 誰と? え? え? え?)

「あのさ。離婚したの?」  (どうも話が噛み合わない。)

「うん。旦那に会たじない。夏に」

「あの人、結婚してないてお母さん言てたよ」  (いつもペースが狂わされる。)

「嘘だよ。お母さんあの人のこと嫌いだたから」
「今の社長のことも嫌いなんだよね。お母さんは私が怪我してからおかしくなたから」

何かがズレてて気持ち悪い。
……あのさ、これからちと出かけるから また、今度でもいいかな」
もう切りたかた。

あの男は茜ちんが精神病だといい、お母さんは男のことをおかしいといい
茜ちんはお母さんがおかしいという。
もうなんだかわからないし、別に知りたくないし、親しくないし……

元は浄水器だし、浄水器に嵌た男とは別れたし、どれももう、みんな私に関係ない。
このまま切ればもう連絡来なくなる。来週には引越す。

「そ。出かけるとこごめーん。じあ。また、連絡するね」

「うん、ごめんね」

……

「じあ、また」 (もう、出ないけど。)

……私、またね、バレーボール始めたんだ」

……」 (え? なに? もうやめて。)

「休憩時間に丸くなてやるようなやつだけど」

「いつかおぐち………

 (もうやめて) がちん。

私は、電話を切た。

何て言たんだろう。
いつか、おぐちんに見せたい……?
いつか、おぐちんも一緒にやろう……?

もうわからない。
そのまま二十数年。


「あー。なんか犯人捕またみたいだよ放火の」
息子の少し間延びした声に現実に戻された。
今度は棒アイスを食べていたらしい息子がテレビを指さしていた。

「ねー。見ないの? フード被ててわからないけどホームレスかな」

「あ。女かも。すごく太たおばさん。女浮浪者みたいな」

た女。 ……

「もういいから、ほら今日バイト行くんじないの?」
私はテレビを見ないように後ろ手にリモコンで画面を消した。

「なんだよ、知り合いの神社だていうから教えてんのに」

「もう、二十年以上前だから、親しくなかたから」

言いながら用もないのに冷蔵庫を開ける。
本当のことを言ていたのは誰?
どうでもいい。
みんな遠く、あやふやな記憶だ。
犯人も動機もどうでもいい。

私は茜ちんと親しくなかた。

バタン と少し乱暴に冷蔵庫を閉める。
牛乳、買てこないとな。 
…… と思た。

(了)
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