第58回 てきすとぽい杯〈夏の特別編・前編〉
 1  4  5 «〔 作品6 〕» 7  12 
きみが見たもの、ぼくが見たもの
投稿時刻 : 2020.08.08 21:21
字数 : 977
5
投票しない
きみが見たもの、ぼくが見たもの
浅黄幻影


 あのとき、きみは空を見ていた。
 窓辺に立たきみは束ねたカーテンに手を当て、日も射さない暗い空を眺めていた。熱帯低気圧から変わた台風は沖縄を通過し、その進路上にぼくらの街もあた。もう九月も終わりというところだたが、今年到来する台風ではもとも強い台風だた。
「心配ね……。"非常に大型で猛烈な台風"なんて」
「明日中に準備をすれば間に合うよ。日曜日で助かた」
 会話こそすれど、遠い空を眺めるばかりのきみには、ぼくの視線は届かない。きみがどんな顔をしているのかも、よくわからなかた。
(落ち着いている声ではあたけれど、きと心配もしているはず。きみの心配を払うためにも、明日一日は台風に備えることにしなければ)
 やがて本当に空が闇に染まてくる頃になると、きみも外を眺めるのはやめて、いつもの日常に戻てきた。二人でクリームシチとボロネーゼ・スパゲテ、それから小さなフレサラダを作た。
 シチはジガイモとにんじんと玉ねぎを切て茹でてルウを入れただけ、サラダもキウリをスライスしてレタスとトマトとカイワレ大根で彩るくらいのお手軽で簡単なもの。けれど、ぼくがきみに作るボロネーゼだけは違う。あらゆる食材の組み合わせから、ワイン・牛肉・トマトの品種・セロリの絶妙な量を見出すことはもとより、隠し味にリンゴとハチミツを使うことに到達した。
 きみがぼくのこのスパゲテが好きなことはよくわかている。食べながらやさしい目でスパゲテとぼくを交互に見るときがぼくの大好きな時間だ。今、二人で作たシチは弱火で温め、サラダも冷蔵庫で冷やしている。きみのためにスパゲテを茹でるぼくは、なかなかのしあわせものだと自負している。ダイニングテーブルに座てこちらを見る彼女の待ちわびているという空気が、たまらない幸福感で満たされている。
 ぼくらはテーブルに料理を並べて、グラスにワインを注いだ。そしてグラスは鳴らさず、互いに手元で少し高めに掲げながら乾杯、と言た。
 きみがグラスを傾けて少し口に含んだとき、突然外で轟々と風が吹きはじめた。
 きみはまたカーテンを開いて窓の脇で束ねると、遠くに何かを見つけたようで、そちらを一直線に見ている。けれど、ぼくには何も見えない。
 それから数秒して、きみは振り返て言た。
「季節が変わりそう」
 目からは涙があふれていた。
← 前の作品へ
次の作品へ →
5 投票しない