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第58回 てきすとぽい杯〈夏の特別編・前編〉
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嘘泣きリクエスト
 投稿時刻 : 2020.08.14 20:03
 字数 : 1797
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嘘泣きリクエスト
押利鰤鰤@二回目


 ほろりと涙を一滴だけ頬に伝わせる。
 遺影の前で他の参列者と同じように手を合わせ、伏し目がちに遺族へ一礼して式場を後にする。
 「よければ通夜振舞いもございますから、よかたら隣の会場に来てください」
 出口のところで親族らしき初老の男性に声をかけられたが、丁重にお断りする。
 故人と縁もゆかりも無い私は、そこまで図々しくなれなかた。
 「申し訳ありません。脚を悪くした母が家で待ているもので……
 二十代前半に見えるだろう私が、母親の介護があると言う言葉に少し初老の男性は哀れそうな目で見ると、一礼して切り替えると他の参列者に同じような言葉を掛けている。
 ちなみに私の母は足が悪いと言うことは全く無い。
 いたて健康体である。
 いま頃は父とテレビを見ながら晩酌しているはずだ。
 
 縁もゆかりも無い私が、なぜ赤の他人のお通夜に参列したのかと聞かれれば、人間観察が趣味といえば悪趣味にならないだろうかと自己弁護してみる。
 正確に言うならば、趣味で小説を書いているのだけれど、葬儀のシーンが上手く書けないと言う事が理由だた。
 プロトとしては昔付き合ていた彼氏が死んだことを知り、通夜にヒロインが出かけるのだけれど、そこで偶然出会た元彼の弟とあれやこれやあて恋に落ちる話なのだけれど、幸か不幸か私の身内は健康な人が多く、葬儀というものにほとんど行た事がなかた。
 小学校低学年の頃に母方のひい爺ちんが亡くなり、葬儀に出たことはあたけれど、記憶はほとんど残ていないので、参考にはならなかた。
 そういうわけで2月ほど前から様々な葬儀に紛れ込んでは取材をしていたのだた。
 基本的には仏教式の葬儀がほとんどで、一回だけカトリクの葬儀にも紛れ込んだが、神道式は一度も参加したことはない。
 仏教式の葬儀も宗派ごとに様々で、やんわりとした雰囲気のお坊さんが一人でお経を唱えるお通夜があれば、いかつい感じのキチンと剃髪したお坊さんがきつめの口調でお説教をしたりとか、三人で読経するお通夜もあた。
 無宗教のお別れ会的なお葬式もあたが、そこは身内意識が強いというか、会場に集また人たちが全て顔見知りという感じだたので、明らかに浮いていた私は式には参加することなく、そそくさと逃げ帰たものである。
 そんな私もいくつかの修羅場と、類い稀なる演技力を身につけて、今では涙を流すことも簡単になた。
 おどおどとして、周りをキロキロ見回す様なのは不審者か、香典泥棒と思われると思た方がいい。
 あくまでも凛として、清涼感の中に深い悲しみを包ませた様な雰囲気を醸し出すのが重要である。
 相続問題で重苦しい雰囲気の会場や、兄弟姉妹でえり雨首掴んで怒鳴り合ている会場も珍しくはない。
 赤の他人であろうとも、涙してしまうのは小さな子供の葬儀だたり、突然事故で亡くなたりした人の葬儀である。
 大往生の高齢者とは違い、会場の悲しみのベクトルがマイナスに傾いているのか、その雰囲気に自分自身が引張られてしまうことがある。
 そんな日は朝まで酒瓶片手に一人酒になるという、精神状態にはとても良くないと思う。
 逆に百歳を過ぎてくると、悲しみの中にも笑いがある。
 部分部分で遺族は悲しみに包まれるが、多くの場面ではもういいよね、長生きしたよねという過去のよかた思い出が溢れる葬儀になている事が多い。
 中には子供の方が先に逝てしまて、孫が喪主だたりする事があるのだけれど、その人に悲壮感はない。
 葬儀という場で様々な人々の姿が見られて、私の引き出しに詰め込めたと思う。
 授業料として最低ラインの三千円は香典に包んでいるが、金額を読み上げるところがあた時には恥ずかしい思いをした記憶が残ている。
 私は満足感に包まれて会場を後にする。
「山田さん?」
 
 山田というのは私の苗字だ。
 名前は珠子。
 明らかに私に向かて背後からかけられた声を無視して、ワタシハヤマダデハアリマセン的な雰囲気でこの場から逃げ出すのも選択肢の一つと言えたでしう。
 しかし、明らかにその声には聞き覚えがありました。
 今逃げたところで、あした仕事場で聞かれれば自体はさらに面倒な事になるかもしれません。
 そういえば、今日の葬儀の主役は杉山小五郎さん(84)でした。
 私の名を呼んだ声の主と似た人の名前は杉山七緒さん(22)です。
 もちろん振り返た先には喪服を着た杉山七緒さんが不思議な顔をしていたのでした。
 
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