てきすとぽい
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第58回 てきすとぽい杯〈夏の特別編・後編〉
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嘘泣きリクエスト ~最後のリクエスト~
(
ポキール尻ピッタン
)
投稿時刻 : 2020.08.30 22:33
字数 : 1780
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嘘泣きリクエスト ~最後のリクエスト~
ポキール尻ピッタン
「杉山さんには、黙
っ
ておくつもりだ
っ
たのですが
……
」
車寄せに停まる送迎バスへ体を向けたまま、私は神妙な表情を作
っ
て七緒さんに語りかけた。先手必勝である。引き出しの中をぶちまけて手掛かりをつなぎ合わせれば、なんとかこの場をやり過ごせるはずだ。
私の演技力ならばアドリブなんてち
ょ
ろい、ち
ょ
ろい。
「お祖父様とは、今年の二月に駅前のロー
タリー
で、」
「え? そのころは入院していたはずですが」
「去年の二月に偶然お会いしたのです」
眉をひそめた七緒さんに慌てて言い訳しそうにな
っ
たが、私は思いとどまりそのまま話を続けた。
小さな矛盾に気を取られるあまり、全体の矛盾に気づけないなんて小説ではよくあることだ。創作で積み重ねた経験は、私をけ
っ
して裏切らない。
「風が強い雨の日でした。バスの発車時刻が迫
っ
ていたため、私は傘を差さずに停留所まで走りました」
いけない。送迎バスが気にな
っ
て、つい話に織り込んでしま
っ
た。
「2番の停留所の前、歩道のタイルが沈下していて、雨の日にはいつも水溜まりができるんですよ」
七緒さんが小さく頷いたのを私は見逃さなか
っ
た。
想像しやすい情景を描写すれば、読者は物語に没頭できる。
私と七緒さんは駅前の不動産会社、ピタンピタンハウスに勤務している。当然彼女はあの水溜まりを見ているはずだ。
「私、ず
っ
と気にな
っ
ていたんです。以前タイル屋さんに訊いたことがあ
っ
て、あそこを修繕するのにだいだい4万5千円くらい掛かるんです
っ
て」
「その水溜まりを踏ん、」
駅のロー
タリー
はJRの敷地だから、近くの工事事務所へ補修の連絡をして、いや、なんの話だ
っ
け?
「杉山さん、仕事のことは忘れてください」
「あ、山田さん、ごめんなさい」
そういえば先々月か、上司の深山さんが飲みの席で杉山さんに絡んでいた。天然で可愛いねとかほざきながら肩に手を回して、
「あれは、あきらかにセクハラだ
っ
た」
「え
っ
? 祖父が山田さんにセクハラしたんですか?」
「なんで?」
話を整理して、冷静になろう。七緒さんをソフ
ァ
ー
に座らせて、私は自販機へ向か
っ
た。
無意識に南アルプスの天然水を買
っ
てしま
っ
た私は、まだ混乱しているのかもしれない。
「コー
トのポケ
ッ
トから、下ろしたてのシー
プスキンの手袋を落としてしま
っ
て」
「大変! 交番には届けたんですか?」
「いやいや、水溜まりに、ね」
調子が狂う。とても疲れる。
人間観察には自信があ
っ
たのに、まるでペー
スがつかめない。おそらく私が間違
っ
ている。
見知らぬ人を観察して理解したつもりにな
っ
ているのは、自分が知るキ
ャ
ラクター
に、相手を勝手に当てはめているだけなのだ。作者がコントロー
ルしやすいキ
ャ
ラクター
に、脳内で都合よく人物像を作り変えているのだ。だからコントロー
ルできない人物と直接対峙すると、うまく対処ができない。
「ごめんなさい、山田さん。私、お爺さんのことで、ち
ょ
っ
と動転しち
ゃ
っ
ていて」
膝の上で握
っ
た指を組み直す七緒さんは、緊張しているようだ
っ
た。
私は創作を諦めた。私の物語は彼女には届かない。七緒さんは自分の物語で精一杯なのだ。
「お祖父様にね、一度だけお世話にな
っ
たことがあ
っ
たんですよ」
せめてこの嘘だけは、覚えておいてほしい。最後のお願いだ。このままでは私の物語が成立しないから。
バスを降りると、店の前を掃除している七緒さんが目に映
っ
た。
出勤時間より1時間も早い。
挨拶を交わした私は、半分開いたシ
ャ
ッ
ター
をくぐり店内へ入
っ
た。自分の机の上に、なにやら綺麗に包装された箱が置いてある。まさかと思
っ
て開けてみると、案の定、中にはブランド物の手袋が入
っ
ていた。
「ありがとう」と声をかけると、「はー
い」と明るい返事が返
っ
てくる。
もら
っ
ていいものか、心が揺れる。そもそも私は、シー
プスキンの手袋なんて持
っ
ていなか
っ
た。
冬に始まる物語を創作して、冬で連想する小道具を用意しただけ。雑誌で見て欲しか
っ
た手袋が、たまたま頭に浮かんだだけ。
エミ
ュ
のムー
トン手袋には、暖かそうな艶のあるフ
ァ
ー
がついている。
ダー
クグレー
は私に似合うと思
っ
たのだろうか。
欲しい。欲しい。
はめてみようと箱から取り出すと、小さな紙片がぶら下が
っ
ていた。
税込価格3万5千4百円。
「嘘でこれはち
ょ
っ
と、もらえないかな」
値札を外し忘れるようなところが、天然と言われる所以なのだろう。
私はようやく、七緒さんを理解できた気がした。
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