てきすとぽい
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第13回 文藝マガジン文戯杯「結晶」
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OUR HOUSE
(
すずはら なずな
)
投稿時刻 : 2020.10.16 21:33
最終更新 : 2020.10.17 15:15
字数 : 7421
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2020/10/17 15:15:40
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2020/10/17 15:10:46
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2020/10/17 15:07:44
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2020/10/17 15:00:13
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2020/10/17 07:56:15
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2020/10/17 00:46:27
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2020/10/16 21:33:13
OUR HOUSE
すずはら なずな
── 何が間違いだ
っ
たのか
*
転勤先で、二人だけの新しい暮らしが始ま
っ
た頃は楽しか
っ
た。
地方都市らしい小ぢんまりした町並みも親しみやすい感じがするし、耳慣れない土地の言葉さえ、新婚生活のスター
トにはふさわしく新鮮に思えた。
新しくはないけれど清潔な社宅の部屋。くるくると家事をこなし、やりくりを一生懸命している柚子の様子は、何だかままごとみたいで、それがまた、かわいく思えた。
仕事が忙しい僕に代わ
っ
て、様々な手続きを柚子は一人でこなし、家具や雑貨を決めるのにも沢山店を回
っ
て スマホに写真を送
っ
て来た。
「これにするよ、いい?」
彼女のセンスに何ら問題は感じない。長々と返信するまでもない、と思
っ
ていた。仕事中なのもあり、笑顔のスタンプだけ返した。
柚子の好みのインテリアが少しずつ揃い、テー
ブルには可憐な花がいつもあ
っ
た。
そして何よりも 出迎えてくれる柚子の笑顔が嬉しか
っ
た。
柚子は社宅の付き合いにもすんなり溶け込んだようで、
帰宅するといつも、リサイクルテクニ
ッ
クだの、美味しいク
ッ
キー
の焼き方だの裏ワザ収納方だの、今日聞いた話題をひとしきり聞かされた。
女
っ
ていいよな、こんな他愛のない話や噂話で仲間が出来、土地に馴染んでいく。
柚子の話を心地よく聞き流しながら、僕はネクタイを緩める。
柚子の母は随分心配性なようで、頻繁に電話してくるし、家庭菜園でできた無農薬野菜や果物、切れる頃を見計ら
っ
て米を送
っ
てくる。柚子はどんな時間の電話でも楽しそうに日々の様子を話し、何の心配も要らないことをアピー
ルしてくれる。幸せだよ、仲良くや
っ
ているよ、と。
*
──どこで何が間違
っ
たのか。
「ユキくん、最近帰り、おそいね」
「ユキくん 週末もお休み取れないの?」
顔を見るたび柚子が言うのはそんなことばかり。だんだん責め立てられている気にな
っ
てくる。
食料品と言わず生活用品のスト
ッ
クが増えだしたのはそんな頃だ。
最初こそ 義母から送
っ
て来る食料品やあれこれが 度を越しているのだと思
っ
ていた。断れなくて柚子も内心困
っ
ているのだろう。
でも 本当のところは全然 違
っ
ていたのだ。
柚子の様子がおかしいと気づいた頃には,
安売りのトイレ
ッ
トペー
パー
が棚から溢れ出し、冷蔵庫には卵のパ
ッ
クがいくつも並び、野菜室には押しつぶされたトマトが汁を垂らし、
終いには冷蔵庫を開けるとなんとも言えない腐臭さえした。
呑気に楽しく過ごしているように見えていたのに、新しい土地で過ごす時間は長く感じられて、寂しいのだろう。
社宅のつきあいだ
っ
てそれなりに気疲れするのかもしれない。き
っ
と、やりくり上手を自負する奥さんの話を聞き流すこともできないで、こんなことにな
っ
たのだ。そんな風にも思
っ
てみる。
柚子が、買い込んだものをぼんやりした顔のままで冷蔵庫やクロー
ゼ
ッ
トに押し込む様子を横目で見ながら、僕はTVの音量を大きくし、ぱたりと横になる。
──まさか構
っ
て欲しくてこんなことしてるの?
新しい仕事や環境の中、今は周囲に無理してでも合わせていかなくち
ゃ
いけない。
僕は疲れていて、ただ平和に眠りたか
っ
た。
──慣れたら上手に休暇も取る。一緒に散歩したりシ
ョ
ッ
ピングしたりもできる。だけど ち
ょ
っ
とだけ待
っ
てほしいんだ。
職場に行
っ
ている方は も
っ
と大変な思いをしてるんだ。
寂しいとか言
っ
た
っ
て、好きに時間を過ごせる柚子の方が一日どれだけ楽なことか、そんな風に柚子を責める気持ちにさえなる。
考えていると眼がさえて眠れなくなり、う
っ
すら明けていく光の中で僕は、冷蔵庫や押入れに溢れた安売り商品に向けた、苛立ちを抑えきれなくな
っ
ていた。
先に起き出して冷蔵庫を開けた。目についた傷んだ野菜をゴミ箱に投げ捨て、極力穏やかにと心掛けながら、まだ眠たそうな柚子に言う。
「古いものは捨てて、冷蔵庫、整理しなよ、ゆ
っ
くりでいいからさ」
『時間はあるんだろ?』という言葉を呑み込んで 不眠と不機嫌さを隠すために 僕は目を合わせなように言う。柚子は何故叱られているのか解らない子供みたいに、幼い仕草で小首をかしげ、こちらをじ
っ
と見つめ続けていた。
*
──今日こそ絶対片付ける、そしてき
っ
ちり柚子と話すんだ。
遅くな
っ
た帰り道、毎日 今日こそはと決意する。
蹴散らされた枯葉が くるくると風に舞う様を見ながら僕は心に決める。
遅い信号がや
っ
と青にな
っ
た。
足元に転が
っ
てきた枯葉を一つ踏みつけると、サクリと乾いた音を立て簡単に粉々にな
っ
た。
家に帰
っ
てまず、冷蔵庫の整理を始めた。しなびた野菜をポリ袋に次々放り込み、卵や牛乳を全部テー
ブルに並べた。
冷凍室の引き出しはぎ
ゅ
うぎ
ゅ
うに詰め込まれていて開けるのすら苦労した。
「柚子、こんな買い方
っ
て、変だと思わない?自分で解
っ
てる?」
柚子は小動物の様な黒目がちの瞳で、僕をただ見つめている。感情が読めない。
柚子の返事を待
っ
た。
恐ろしく長く感じた沈黙の後、柚子はテー
ブルの卵の意味が「今、解
っ
た」とでもいうように にこりと笑い、
卵のパ
ッ
クをひとつ引き寄せてのろのろとした口調で言
っ
たのだ。
「ユキくん晩御飯 卵がいいの?」
「飯は食
っ
てきた」
「ユキくん卵料理、好きだものね」
「もう 晩飯は食
っ
てきたんだ。連絡しなくて悪か
っ
たけど」
「ユキくん 何がいい?オムレツにしようか?」
「消費期限切れてるんだよ、気づいてないわけじ
ゃ
ないだろ?」
「何がいいかな。すぐ作るから。何にしようかな」
間の抜けた台詞を言いながら柚子はパ
ッ
クを開けて卵を取り出す。
「連絡しなく
っ
て怒
っ
てるの?晩御飯食べる時間に帰れないんだ。残業続きだ
っ
て 前にも言
っ
て
……
」
カツン。
「そんなんじ
ゃ
ない」
言葉と同時に、柚子は手にした卵をテー
ブルに打ち付けた。
殻が割れ、中身がどろりと出て滴る。
柚子は崩れた黄身と流れ出る白身をじ
っ
と見つめている。
「そんなんじ
ゃ
ない」
汚れたテー
ブルをそのままにして柚子は二個目を手にする。
「そんなんじ
ゃ
ないよ」
卵を掴んだ手が振り上げられ、柚子の目が異様に見開いた。よせ、投げるな!
「よせ、よせ
っ
たら、怒るぞ柚子!」
一瞬固ま
っ
た身体から、さ
っ
きの突き上がるような力がストンと抜け、柚子は何故か驚いたような表情をした。そして今度は酷く傷ついたような目をして僕を見る。力なく下した手から二個目の卵を床に落とし、柚子は自分も卵液の散らか
っ
た床に崩れ落ちた。
「
……
」
「柚子?」
「
……
」
「柚子?!」
ぺたりと床に座
っ
て、長い間俯いたままの柚子におそるおそる近づいてみる。
泣いているのかと思
っ
たら 柚子は驚くべき早業で眠
っ
ていた。
嫌な汗が一瞬で引き、ど
っ
と疲れが出た。
*
次の朝。朝食の匂いで目を覚ました。部屋は昨日の惨状の名残はあるものの、かなり片付いている。
す
っ
きりした顔の柚子に心底ほ
っ
とした。
向き合
っ
て食卓に着く。きれいに焼けた目玉焼きは平和な朝の象徴。
消費期限が切れてた
っ
て構うものか。
「い
っ
ただきまー
す」
明るい声で言い、柚子に微笑みかけた。けれどほ
っ
としたのもつかの間。
何を考えているのか柚子はぼんやりと皿を眺め、や
っ
と動いたかと思うと、握り込んだフ
ォ
ー
クで目玉焼きをぐさぐさとつつき始めたのだ。何度も何度も。
「何してんだよ。普通に食べなよ」
「
……
」