第60回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・紅〉
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私はゾンビ ベトナム編
ayamarido
投稿時刻 : 2020.12.12 23:43
字数 : 4059
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私はゾンビ ベトナム編
ayamarido


仮に私がゾンビになたとして、 如何なる物語が紡げるか、ひとまずワードのデクテーン機能を使て、口述筆記をしていこう。

すでに私はゾンビであるからには、本来なら、なんらかの文字表現を、意味ある形で記すことは不可能であろう。だからと言て、短編小説全部を、おぼおおお、もごごごるるごおお、うげええええ、ぶんどるあああ、どぐへええ、もんぐるあああ――、と延々書き殴て終わてしまうのも、大学生の同人小説みたいでつまらないし、なんか今少し思いついたが、人間であた頃のかすかな思い出を描きながら、例えば昔の恋人に襲いかかり、食い殺してしまて哀しいやら記憶が無いのでどうでもいいやら、といた話にするのも、私としては、不満である。

どうせ書くなら、特色ある、変な話がいいなと思うのだけど、思いつかない。
それでとりあえず今、口述筆記をしているのだけど、この操作方法とて、キーボードの上に両手を置いて、ほとんど何も考えず、カタカタやり続けることを楽しんでいた「同人小説家」の頃と、さして変わていない。というか手間を惜しんでいる点で、むしろ悪化しているかもしれない。

そんなことより私はゾンビだ。
ゾンビだから、何をしようという話は無い。

今日は職場の同僚の結婚式だた。招待されて、あれこれのものを腹に収めてきたが、そういう会合は苦手なので、めでたい話ではあるけれど、帰宅した私の頭はゾンビのようである――と、にやりとして書こうとしたが、お前は何を言ているんだという、別のゾンビの声が聞こえるので、書き続けるのはやめる。ただしこれは口述筆記なので、一度口にした言葉はそのまま残るのである。

口述筆記の音声誤認識は、ある意味ゾンビの初期段階における認識のようだと、脳内ゾンビの別の1匹が囁いた。大体性格であるが時々お菓子まる。日本語を意図的に崩したり、早口にしたりすると、よくわからなくなる。また、拙者とかそこもとはとかの用語は理解できないようで時代小説には向いてない丸
時代小説にゾンビが出ても良い気がする。そう書こうとしたが、戦国バサラなどのゲームアニメで、すでに普通に出ている気がしたので、やめる。

「やべ、これ小説じねえよ」
と僕の脳内ゾンビが、寝ぼけた声を出した。

そういう一言入れておけば小説になるだろうから、この疑問はもう止めにする。

口述筆記は順調である。
最前、口にした言葉をそのまま残していると書いたが、実は嘘で、ちくちく直している。当たり前じないか。 

そんなことより私はゾンビなので、そろそろ夜の街へ出て、人を襲おう。
てゆーか、何でゾンビは人を襲うのか。ていうかが、てゆーかになている。口述筆記は面白い。
ゾンビが人を襲うのは、脳みそが腐りつつあても、動物としての食欲や性欲が残り続けるためだと、今しがた検索したyahoo知恵袋には書いてあた。まあ、何でもいいじないか、どうせ居ないんだし。
いやいる。私がゾンビだ。夜の街へ出て、人を襲おう。

外はベトナムのハノイである。
この時間でもバイクが多い。
手始めに、私の住まう外国人向け高級マンシンのすぐ外、幹線道路の歩道橋に上て、適当なバイクに飛びかかろう。

むう、すごい排ガスだ。

市内は毒霧に包まれている。
目がしばしばする。
マスクをしているのに咳き込んだ。
ゾンビなのになぜこんなに苦しいのだ。
として私は、ゾンビではないのではないか?
いや私はゾンビのはずだ。

とりあえず歩道橋に上り、東から疾走してきた白のホンダバイクを標的とし、腐りつつある脳内でカウントダウンをして、モ・ハイ・バーのベトナム語123 のタイミングで、欄干を蹴て、ゾンビらしく漢字の「出」の字をイメージして飛びかかた。

よけられた。

クソが。
渋滞慣れしているベトナムバイクは、あらゆる障害物を器用によけて走る。上から得体の知れないものが降てきたなら、当然、よけるに決まているではないか。

幸い私はゾンビだ。
落下の衝撃にも、痛みを感じなかた。
次だ。
次に来る奴に襲いかかれば良い。
よけられた。
また次に来るバイク、逃げられた。

おいちと待て。
俺ゾンビ、ゾンビだからちと、おい、避けずに食われてくれ。

あ、バス来た、轢かれた。弾き飛ばされた。

おのれ、バスは止まらない。
大型車も止まらない。
ベトナムでは、車はでかいほど偉いのだ。

歩道橋の階段の下、ボロボロになた私は、なんだかよく分からない串揚げ屋台の叔母さんに、何やら話しかけられた。
だが言葉がわからない。
とりあえず、ウインナー揚げでも喰えと言われたのだろうか。
いや、ハノイのおばさんはそんなこと言わない。人見知りというか、見知らぬ人への警戒心が露骨なのだと思われる。その点、南部ホーチミンのおばさんは、商売熱心だから愛想がいい。

もういい。
そろそろ50分たた。このぐらい書けば、ゾンビ小説になるだろう。
そう思いながら、テキストぽいの規定を見ると、制限時間、2時間じん。

なんてこた。
ただでさえ思い入れがないのに、あと1時間も何を書けばいいというのだろう。
そして書くからには、こんなものでも読者の視線が気になるのだから、まじ性根が腐ていると言わざるを得ない。

あ、腐ているからにはゾンビだ。
やはり私はゾンビなのだ。

私は意を決して、なんだかよくわからない串揚げ屋台のおばさんを、噛み殺した。
「オイゾイオーイ」
と、おばさんはベトナム語で悲鳴を上げていた。特に意味はない。感嘆詞を3つ並べた当地の悲鳴である。
「ベトナム人が驚いたときに口にする言葉」として、ベトナム語の教科書などに出ていて、日本語話者の立場からすると、まさか本当にそんな声を上げる人はいないだろうと思ていたら、結構いて、驚く。「オイゾイ」と短縮形で言う人もいる。

おばさんを食い殺し、屋台のソーセージや、何だかよくわからない肉の串揚げをきれいに平らげたところで、オイゾイおばさんがゾンビになて復活した。

おばさんは、ゾンビらしく開いた両手を前に出して起き上がると、徐々に、左右の手足を同時に前に出しながら車道に出て、次々とバイクのベトナム人を喰らい始めた。
さすがベトナム人である。バイクがどう動くかを熟知している。右に避けようとする奴に、一度左に動くとみせかけてフイントを仕掛け、顎にラリアトをかまして、引きずり倒し、悠々と首筋に牙を突き立てた。オイゾイオーイ。

無論、うまく避けて行くバイクも多い。
バスが一度ならず二度までもゾンビおばさんをぶ飛ばしたが、おばさんは強い。再び車道に出て、ハノイ子たちを次々とゾンビに変えて行く。 

やばい、飽きてきた。
ゾンビものの着地点はどこだ。
所詮、全員ゾンビになるか、ゾンビを根絶やしにするか、俺たちの戦いはまだこれからだ、とするか、あるいはワクチンなどの治療法を確立するか、その程度ではないか。
ゾンビ小説のポイントは、ゾンビが増殖する恐怖や、自らが襲われる、あるいは仲間が死ぬといた緊張感にあて、結末などどうでもいいのかもしれない。

ベトナムにおける、新型コロナ――いや、ここはゾンビ小説らしい響きの「武漢ウイルス」と呼称しよう、ベトナムにおける武漢ウイルス対策を思い出すと、当地を舞台にしたゾンビ小説の着地点はどうなるか。

とりあえず、ゾンビが疑われる者が現れた時点で、町は完全封鎖される。 
中ではゾンビが蔓延するかもしれないし、町の産業どころか近隣の産業は瀕死になるが、仕方ない。
そして内に閉じ込められたゾンビは、感染して行く相手――最前の質問箱への回答によれば食欲性欲を満たす相手、がいなくなれば、自然に消えていくほかあるまい。
そういう次第で、ベトナムでは強烈な感染対策、隔離政策が実施されるおかげで、武漢ウイルスひいてはゾンビウルスも、国内からは消えることになろう。

そして市中感染がなくなれば、経済活動を再開することができる。
この間、結構な数のお店や会社が潰れているが、まあ、仕方ない。世界の方がもとやばい。
あとはのんきに、国外のゾンビどもが消えるのを待つだけである。


――そんなわけで。
隔離政策が実施され、オイゾイおばさんらやバイク乗りを中心としたゾンビ集団は、やがて消えた。
封鎖された街区にいた人々は、箱買いしたインスタントフを食べるとか、バイクのデリバリーを頼むなりして、なんとか隔離期間を乗り切て、ハノイ市内には再びバイクが溢れた。
人々は、以前と同じように、歩道のそこらで一杯15円の緑茶を飲み、そこらの居酒屋で新鮮なビールを楽しんだ。結婚式も行われるようになた。

ベトナムの結婚式は派手であるが、基本的には単純である。
何百というゲストを招いた食事会。以上。
家族同士では高価な結納品の贈呈式があたり、花嫁の歓迎式があたりと、新郎新婦は、相当タフでないと倒れてしまうだろうと思われるのだが、式に招待されるだけの身としては、まあまあ、大変だなあ、で終わる。

ところで私はどうやらゾンビではなかたらしい。
オイゾイおばさんを感染源とするゾンビウルスが市内に蔓延し、私の住まう高級マンシンも封鎖されたのだが、その後、乱暴なPCR検査で私は無事にネガテブとなた。

しかしおかしいではないか。
オイゾイおばさんを噛み殺し、ゾンビにしたのは私のはずである。

当局の発表では、ゾンビウルスの感染源は、路上で違法に串揚げ屋台を営んでいた中年女性だたということになており、外国人たる私は、検査陰性ということもあて、一切関係なし、ということになた。

屋台のおばさんは、どこからウイルスをもらたか。
おばさんの親戚に、中国との国境にも近いクアンニン省出身者がいて、その人が中国人から移されたのではないか、といい加減な言説をする人もいたが、要するに、明確な感染源の感染源は不明ということになた。
よくわからないが、まあ、こうして市中感染も無くなたので、ベトナム国内は平和だということになた。

ベトナムは今日も平和である。


 
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