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第60回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・紅〉
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無の集会
 投稿時刻 : 2020.12.13 00:00
 字数 : 717
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無の集会
小伏史央


「もうだめだ。おれのことは置いて逃げてくれ」
 さきまで早鐘を打ていた心臓が、徐々に大人しくなていくのを感じる。つとめて冷静に伝えようとしたはずが、声は震え、うわずていた。仲間たちはおれの様子を見て、言葉の通りもうだめだと察したのだろう、申し訳なさそうな顔をしながらも迷いなくその場を走り去ていた。



 おれはひとりだ。



 アスフルトの小さなひび割れが、遠く消えていく背中とおれとを分断している。脚の感覚はもうない。ないのにおれは立ている。ひび割れは跨げず、そもそも脚は動かそうにも動かせず、自由を奪われたままただ立ている。
 ゾンビがあーあーと言いながらおれをのろのろと追い越していく。その声はいつだか聞いた猫の集会を思わせた。この心臓が止まれば、おれもきとああなるのだろう。獣のように鳴きながら、ただ意思もなくふらついていく。石になた脚から徐々に冷気が立ち上ていくような感覚に陥る。頭まで完璧に浸かる自分を想像し、もう誰も助けてはくれないのだと理解する。
 心臓は穏やかになていく。何もできずただひび割れだけを見ている。いつか見た浜辺の光景がよみがえる。しかし眼前のそれは波打たず、静止し、唐突におれは浜辺ではなく海のほうに立ているのだと理解する。浜辺を走ていた仲間たちの姿は、もう見えない。
 そしておれは頭まで浸かる。無音のさざ波。空気が舌を撫でる。足元によだれが落ちる。何をこぼしているのか、もうわからない。
 無。


 あー、あー、と声がする。無が群れを作ている。猫の集会を思い出すという記憶が彼らのものになる。おれは無であり、無とは彼らであるから、おれは彼らになる。
 おれはもうひとりではないのだと、
 理解できないまま理解する。
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