パンデミックへの局地的勝利~この勝利は未来への一歩たり得るか?~
一昔前、コンピ
ューターウイルスに感染しないために、マスクをしてパソコンに触る高齢者がいたという。
それは笑い話のはずだった。コンピューターウイルスが人間に感染などあるわけがない。
そう、笑い話のはずだったのだ。
いつからだろうか、それが笑い話にならなくなってしまったのは。
20XX年のある時点から、人間に感染するコンピューターウイルスが確認された。
このウイルスに感染した端末の画面を見ると、そのウイルスに人間が感染してしまう。
感染した人間の脳内で、ウイルスは人格を消去し、二つの欲求のみに生まれ変わらせる。
食欲と、色欲のみの獣に。
世界中が混乱に陥った。情報端末を触らない人間なんて、それこそ赤ん坊しかいないような世の中だ。だれしもに感染のリスクがある。
そのコンピューターウイルス、ビーストウイルスによって、人間の社会は崩壊への道を歩んでいた。
◇
俺の名前は西原東郷。三年前まではプログラマーをやっていた。
俺の作るプロテクトプログラムはどんなコンピューターウイルスも寄せ付けない完ぺきなものだと自負していた。実際、その道では結構有名だったと思う。
だが、あの忌々しいコンピューターウイルス、ビーストウイルスによって職を失ってしまった。
パソコンや携帯といった情報端末を使う事、即ちビーストウイルスに感染するリスクが伴うようになったこの世界で、プログラマーの居場所などなかった。
まあ、職を失うことくらいどうってことない。かつてプログラマーをやっていた人間にとって、命があること、いや、人間であることが幸運なのだから。
あのウイルスによって多くの人間が獣になってしまった。特に、パソコンや携帯などを扱う人間は、パンデミックの初期に感染しているため、こうして人間でいる元プログラマーの俺は、本当に運がよかった。いや、俺の作ったプロテクトプログラムが良かったというべきか。
とにかく、画像を扱う端末がほとんど使いようがなくなったことと、多くの人間が獣になってしまったため、人間社会は崩壊への道を歩んでいる。
獣にならずに済んだ人間も、食料や水を奪い、争っている。人間が助け合えるのは、余裕があるときだけだという事を嫌というほど痛感したよ。
だが、何とか理性を保った人間もいる。そういった人間が、車などで作ったバリケードの中にあるコロニーに俺は所属している。
俺はコロニーの中で、パソコンに向かいプログラムを組んでいる。
このパソコンは部品から組み立てたもので、ウイルスに感染する可能性がないよう、外部から完全にシャットアウトされている。
俺が作っているのは、ドラックプログラムと呼んでいるもの。病気には、それに合った薬を投与しなければならない。この、ビーストウイルス感染症も、病気なら薬が作れるはずだ。そう願い、俺は三年の時間をかけてようやく、ドラックプロクラムのひな型というべきものを完成させた。
これのプログラムを人間の脳に投与できれば、獣となり、今もコロニーの外で暴れる人たちを正気に戻せるかもしれない。
だが、ここで問題が生じた。このプログラムを、そもそもどうやって脳に投与するのだ。
まず、QRコードのような画像にして見せる方法はどうだろうと、試してみた。
コロニー外から一人、獣人間をとらえてきて、画像を見せてみると。何とか正気のようなものを取り戻してくれた。
かなり記憶混濁が激しいが、一応の成功だろう。とはいえ、世界中に蔓延しているのだ。いちいち画像を見せていてはきりがなく、現実的ではないだろう。
どうすればいい?と、皆で知恵を振り絞り、一人がこんな意見を言った。
「このプログラムを、霧状にして散布できればいいんだけどなぁ……」
なるほど、確かに、霧状にして、吸いこんで取り込めば楽だろう。だが、情報をどうやって霧にするのだ。
すると、別の人が思いついた。
「このプログラムを、遺伝子操作かなんかで、ウイルスの遺伝情報と置き換えて、人間に感染するウイルスとしてばらまけばどうかな」
面白い意見だ。確かに、人間に感染し、人間の体内に遺伝情報を打ち込むウイルスにこのプログラムをいれ込めれば、もしかしたら。
だが、俺はプログラマーだが生物学はさっぱりだし、このコロニーに学者の人はいない。しばらく悩み、ふと思いついた。
そうだ、学者といえば大学だ。どこかの大学に、ここと同じくコロニーを作っている場所があるかもしれないと。
一番近くの大学までは少し距離があるが、背に腹は代えられない。貴重なガソリンと、まだ動かせる車で、獣となった人たちを突破し、なんとか付近の大学の前まで到着した。
道中の景色は地獄そのものだった。だから、一刻も早く、プログラムを投与しなければ。
大学前には、バリケードがあり、どうやらコロニーができていると、一緒に来た人と喜び、何とか内部に入った。
その大学で生き残っていた大学の先生たちに俺のプログラムを説明し、この事態の打開策を説明した。
先生たちは最初、難色を示した。なにせ、プログラムをウイルスの遺伝情報に入れるのだ。難しく、また前例がない。失敗どころか、できるかどうかもわからないのだ。
だが、こうやって生き残っていても、状況は打破できないとやってくれることになった。
先生たちが生物学的なことをやってくれているうちに、他の人たちで霧を発生させる装置を組み立てることになった。
これが無ければ、せっかくウイルスができても、獣となった人たちに投与できない。
時間はかかった。1年。とても辛く、果てしない時間だったように思う。
だが、装置と、ドラック・プログラムウイルスは完成した。これを高いビルの上に設置し、ばらまけば……
俺を含めた決死隊が、その任務に就いた。そして、ビルの屋上、装置を作動させた!
他のいくつかのビルでも、同じく決死隊が装置を置き、作動させたようだ。都市部に、霧が充満する。
しばらくした後、俺たちはビルを降りた。そこでは、今まで何をしていたのかわかっていない人たちが、きょろきょろとしたり、困惑した様子だった。
俺たちは、やったんだ! と、コロニーの人たちと抱き合って喜んだ。
そう、俺たちは、コンピューターウイルスに、勝ったんだ!
◇
日が昇ろうとする時間帯、都市部を霧が覆う。
獣となった人間へと、薬となるウイルスを含んだ霧が覆う。
この勝利は、局地的なものだ。まだ、世界中で獣となった人間が暴れている。
だが、確かに一歩、勝利したのだ。
これから、一度崩壊した世界でどんな未来が始まるのか。
それとも、この局地的勝利で、終わってしまうのか。
それを知る者は、誰もいない……