顔と生きる
おれの左の手のひらには三点の黒子がある。人間は顔への執着心が強いから、一度見たことのある顔は一生忘れないし、三つ点があるだけで顔と認識するとテレビでや
っていた。おれが手のひらに顔を見出したのは七歳のとき。算数の授業中に強烈な尿意に催されたおれは、意識を膀胱から遠ざけるべく手のひらに鉛筆を突き刺しぐりぐりとやっていた。より尖った鉛筆に変えようとしたとき、眉間に銃弾を打ち込まれた顔をおれは見た。おれはそいつをジョニーと名付けた。
ジョニーとおれは何をするのにもどこに行くのにも一緒だ。アルコールで酔っぱらっているときはジョニーも赤い顔をしているし、転んだときはジョニーも泥だらけになる。海に行ったときも、森に行ったときも、インドネシアに旅行に行ったときもジョニーは一緒だった。ジョニーは実に色んな経験をしてきている。
ジョニーはすっきりとした指の髪を立てた美男子だった。おれは右利きだからジョニーの顔面に醜い鉛筆だこができたことはなかったし、毛先の爪もいつも美しく切り揃えられていた。酷使されていた右手と比べるとその差は歴然としていて、おれは両手を見比べるたびに労働の過酷さを思い知ったものだった。
おれが右肩のマーティーに気付いたのはほんの二か月前のことで、ジョニーはしわの加減によって怒ったり泣いたりしたが、マーティーはいつもポーカーフェイスの気取り屋なのでまだ親睦が深められていない。マーティーに気付いたのは明美で、こんなところに顔があるよと明美が言ったのがきっかけだった。明美は細かいところによく気がつく性格だから、おれが二十六年間存じ得なかった寡黙なマーティーにも気づくことができたんだろう。おれは明美のそういうところが好きだった。
天井のジュリアンに気づいたのは一週間前のことだ。木目の顔をしたジュリアンはいつもどこか不安げな顔をしていて、寝る前にジュリアンの顔を見るとおれの気持ちもざわついた。ジュリアンは一体何が不安なんだい、そんなところでひとり気を揉んでいたところで何も解決しないぞ、まずはその不安の正体を突き止めて誰かしらに話すといいや、気持ちを言語化するだけで思考がすっきりするもんだよ、と三日前に言ってみたがジュリアンは浮かない顔をするだけだった。
ジュリアンの不安はジュリアンの隣にいる顔、スーザンからきているのかもしれないと気が付いたのは昨日のことだ。スーザンの左下には好色のフィリップがいて、奥手のジュリアンが参るのも仕方がないことだろう。スーザンも満更でもない様子なのもいけない。ジュリアンには柱のマリーのような、見た目は悪くても純朴な娘がいいとおれは思う。なあジョニー、お前もそう思うだろう?
今日は特にたくさんの顔が現れた。カーテンのアーサーとトム、壁のメアリー、床のサイードにアイリーンにジャック。どこもかしこも顔、顔、顔だが、天井は特に顔だらけで全員の名前を把握しきれないぐらいだ。こんなにたくさん顔があると、はらりはらりと顔が落ちてきておれの顔に貼りつくようなこともあるんじゃないかと怖くなる。もしおれにジュリアンとフィリップの顔が貼りついてしまったら? もしおれの顔にぴったりとジュリアンの顔が貼りついたらおれはジュリアンになるのか? 右半分はジュリアンで、左半分にはフィリップの顔がくっついてしまったら? 明美はおれの不在に加えて、どちらの顔に話しかけたらいいのか分からない状態に陥るわけだ。好色のフィリップが明美を放っておかないだろう、そういった懸念もある。これからおれが共に生きていかなければならない顔たちのことを思うと、腹の上にタンスの隆が乗っかっているような気持ちになった。
なあジョニー、たくさんの顔に囲まれるというのは落ち着かないものだなあとおれが弱音を言うと、どんなに顔があろうとお前がお前であることには変わりはないのだから、とジョニーはおれの瞼を優しく閉じてくれたのさ。