第64回 てきすとぽい杯〈夏の24時間耐久〉
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駆ける記憶
投稿時刻 : 2021.08.22 13:23
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駆ける記憶
住谷 ねこ


「あ。奥さんっ奥さんっ 田柄さんの奥さんっ」

頭の上から声が聞こえる。

「奥さんたらっ こっちこっち 聞こえないの?上よっ うえっ」

うるさいな。

振り向くと隣の家の2階
ベランダに干した縞々のシーツをバックに
おばさんというには褒めすぎな感じの
でも、おばあさんと言うにはまだ早いのかと思うくらいの
女がこっちを向いて手を振り、がなり立てていた。

周りを見渡すと住宅街で似たような家がいくつも並んでいる。
太陽が真上にあり炎天下の道はただ白く、方向がよくわからない。

あれ?なんでここにいるんだっけ。
今日は念願かなってやっと憧れの先輩とデートにこぎつけたのに。

「奥さんっ 田柄さんの奥さんっ」
ベランダの女がまだ叫んでいる。

後の塀に付けられたガラス板でできた表札を見ると「田柄」とある。
その隣はと、少し覗き込むと隣の表札も同じガラスで「音羽」とあった。

あぁ。田柄の奥さんが庭にでも居てそれを音羽の奥さんが呼んでいるのか。
こっちを見てる気がしたけどそんなわけないもんね。
私は田柄じゃないし。
まだ、独身だし。

それより、駅。
どっちかな。
え?あれ? 約束は夜じゃなかったっけ?
なんでこんな真昼間に歩いてるんだろう。

「ねえったら。もうっ今降りていくから待ってて そこにいてよ」

音羽の奥さんと目が合った気がした。
えっ? 私?
今、降りて来る?
捕まったらめんどくさい。
そう思って私は走り出す。

「奥さーん、奥さーん……」
音羽の奥さんの声が追いかけてくる。
なんだやっぱり私じゃないじゃん。

それでも走ると、声はどんどん遠ざかった。
早く会いたい。先輩。
どんどん走る。どんどん走るのに
なかなか前に進まない、夢の中のように進まない。
ーーーーーーーーーーーーーーー
ゴミ集積所で近所の人達が立ち話をしている。

「えー。そんな事ある?なんか、怖いねぇ」

「なになに。どうしたの?」

「田柄さんね。もう危ないんだって、なのに音羽さん昨日、見たんだって家から出ていくところ」

「え?田柄さんて、ECMOじゃなかった?」
「そうなのよ。でも昨日家の前に立ってるからベランダから呼んだのよ、退院したのかと思って」

「いくら呼んでも返事しないから降りてったらもういなくて。家も鍵が掛かってたし」

「えー」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
コロナ病棟勤務の看護師が引継ぎをしている。
「あと最後に、5番の田柄さん、だめかもしれません」

「はい」

「でも、なんか笑ってるんだよね」
「え?」
「笑ってるんだよね」
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