てきすとぽい
X
(Twitter)
で
ログイン
X
で
シェア
第75回 てきすとぽい杯
〔
1
〕
«
〔 作品2 〕
»
〔
3
〕
〔
4
〕
…
〔
5
〕
あの頃の長電話
(
浅黄幻影
)
投稿時刻 : 2024.04.13 23:33
字数 : 1694
1
2
3
4
5
投票しない
感想:2+
ログインして投票
あの頃の長電話
浅黄幻影
むかしむかし、令和や平成が始まるよりず
っ
と昔の時代、私は昭和という時代を生きていた。もうあの時代は、最近の進歩・発展のめまぐるしいペー
スによ
っ
て、ずいぶんと過去のものにな
っ
ている。き
っ
と、昭和に生まれた私が一昔前を想像するとモノクロの絵や動きにな
っ
てしまうように、今の人たちは昭和もモノクロだ
っ
たと思
っ
ているかもしれない。
現代人にと
っ
てモノクロ時代の人々は何もかもが古めかしい。カメラのレンズを一直線に見つめた人の写真など、私なら思い浮かべる。あるいは、これは私でも理解出来るが、発色のおかしな、どこか赤色が強い現像された写真も、時代を感じる。
さまざまなものが生まれ、生活の一部・ブー
ムになり、やがて役目を終えて去
っ
てい
っ
た。変わ
っ
ていくものはいくらでもある。もしかしたら、必要のないものが必要のないものに置き換わ
っ
ているだけかもしれない、そんな風に思えなくもない。
公衆電話もそのひとつだろう。
昭和のころ、高校生の私には彼女がいた。初めての恋人だ
っ
た。彼女は彼女が通う女子高をはさんで反対の街に住み、私たちは学校帰りの短い時間に街角で言葉を交わし、手を握
っ
たりしたものだ
っ
た。暖かく、少し緊張して湿
っ
た互いの手のひらを感じたことを私は今も忘れない。
女の子は話好きなもので、家に帰
っ
たあとにも私によく電話をくれた。私の方では電話を受けるに問題なか
っ
たし(彼女からかか
っ
てくる時間は指定され、電話の近くをうろうろしていた)、彼女のことをそれほど語らなか
っ
たので家族にもバレはしなか
っ
たが(と、思
っ
ていた)、彼女の方では家からかけることはできなか
っ
た。交際はまだ許されていなか
っ
たし、友達の振りをしてかけたときも何度も長時間話してしまい、ついに夜の電話を禁止された。
そうなるともう電話は出来ないはずだ
っ
た。公衆電話を使いに夜に出歩くなんて不良少女も甚だしい、私の方からかけるわけにはいかない。
そんな折りだ
っ
た、彼女の家の風呂が壊れた。そう、夜に銭湯に行くのだ。彼女のお母さんはお父さんの帰りを待ち、あとで二人で入りにいく。彼女が一緒に行くのはお姉さんとだ
っ
た。お姉さんには本当のことを打ち明け、何とかして欲しいと泣きついて、私への電話をこれまでよりず
っ
と短くかけてきた。彼女も、そして私も、これまで聞けていた声を求め、わずかな時間で多くのことを話そうとして詰まり、笑い、焦りながら名残を惜しんだ。
電話は計
っ
たところでは約九分。三分十円だ
っ
たから、三十円使
っ
たことになる。あそこの銭湯が七十円だから、なかなかのお値段だ
っ
た。そんな風にして、お姉さんが見守るなか、裸電球が上でひか
っ
ている電話(そこは電話ボ
ッ
クスではなく、簡易な板で囲まれていたものだ
っ
た)で彼女は電話をしてきた。き
っ
と、風呂上がりに握りしめた十円玉を慌てて投入していたことだろう。私にしても、彼女からの電話を待つのは楽しみだ
っ
た。何より、いつまでも長電話でないことも、実を言えばうれしか
っ
た。延々と続くのは結構、しんどか
っ
たし、ち
ゃ
んと聞いているのかと怒られるのにも困
っ
ていた。
だが、彼女の家の風呂はやがて修理された。夜に外出する口実は消えてしま
っ
た。公衆電話からかか
っ
てくる電話はなくなり、私は寂しい夜を過ごすようにな
っ
た。私の公衆電話についての思い出話だ。
今の時代もやがて過去にな
っ
ていく。今を生きるこどもたちも、未来には「令和なんてずいぶん昔で、あんな時代になんて私は生きられない!」と言われる時代が来るはずだ。あるものは古くな
っ
て新しいものに交換され、またあるものは役目そのものが終わ
っ
て消えていく。ひとつの時代は終わり、新しい時代がや
っ
てくる。
ところで、先日、公衆電話を使う機会があ
っ
て十円玉を一枚入れてみたが、驚くほど早く切れてしま
っ
た。なんと、全国一律で五十六秒しか使えないのだという。
そこでふと、彼女との電話の話を思い出したわけだが、私の思い出も錆びた十円のようにくすんでいるような気がした。私もまだ今という時代を生きているのだから仕方がないのかもしれないが、すべての昭和がモノクロになるにはまだ時間がありそうだ。
←
前の作品へ
次の作品へ
→
1
2
3
4
5
投票しない
感想:2+
ログインして投票