きよき鉄槌を振る者は
「不正選挙?」
遠見七季ことナナキが、僕の伝えた言葉を繰り返すように叫んだ。彼女は出窓の下に足を投げ出して座
っていて、折りたたみテーブルの上に置いたノートPCとサブディスプレイを眺めていた。
ここはナナキの家の二階の部屋。僕こと峠楓と吾川風昂、通称フーコーは、担任の先生から受けた相談についてナナキにお願いしに来たのだ。
僕もフーコーもナナキも同じ高校の同じクラスのはずだけど、ナナキは不登校のひきこもりだったから。
「なんでまたそんな面倒な相談を受けるかなあ、カエデは」ナナキが呆れたように言う。「どうせ、私を学校に関わらせようとかでそういうこと頼んでるだけでしょ、あの住めば都先生が」
「普通の宮古先生ね」
僕は凡人で、フーコーは空手部副主将の秀才、そしてナナキは天才と言えばわかるようなおかしな人。僕ら三人は幼なじみで、家から滅多にでないナナキのために、よく彼女の部屋に集まっている。そんな話をしたから、宮古先生も担任としてナナキを学校に呼び寄せるために、こんな話をしてきたのだろう。
フーコーはずっと黙って部屋の端に座っている。彼は無口で、ほとんど話さない。根暗というよりは外界に興味がないタイプだと思う。
「めんどくさいなあ」
ナナキが言った。耳にイヤフォンを刺していて、コードが揺れている。だけどそこに音楽は何も流れていない。先には古いカセットレコーダがつながっていてテープもカセットも入っていないのだから鳴るはずがないのだ。そしてそんなことを学校に通ってたころから授業中でも続けていたのだからたちが悪い。
これで勉強ができなかったりすればよかったのだけど、できすぎる天才少女であったからこそなおのこと。
「話は聞くよ、カエデの頼みだから」
「ありがとう」
「解決したらチューしてくれる?」
「世界の紛争を全部解決したらしてあげる」
「ちぇっ」
ナナキは僕のことが好きだとこの前の春休みに告白してきた。僕は友達としてなら好きだけどと断った。そうしたら、ナナキは不登校になった。それが二ヶ月前のこと。ナナキに言わせれば、僕といちゃつけないスクールライフなんて考えられないということらしい。
だから僕とナナキとフーコーは、今までと変わらず、三人で遊んでいる。口にはしないけど、エターナル・トライアングルという奴だ。
「説明するね」
僕は少しだけフーコーの方を見る。僕とナナキのほうを見ていたけど焦点はあっていない。何を考えているのだろう。それが知りたいと思う反面怖い。
「えっと……」
僕は学校の生徒会選挙であった、一部の事件について話はじめた。
ことの発端は、ある候補者の陣営が、ガムを配ったことだった。紹介文のビラに合わせて、薄っぺらいガムをひとつ配っていたのだ。それだけならすぐに怒られて終わることだと思う。だけどそれだけではなかったのだ。
候補者は三人いて、そしてどの陣営もが不正を働いていたという。無論、学校の生徒会選挙にそこまで明確なルールなんてないから、倫理的にどうなのか、という問題になる。
ある綺麗な女性候補者は彼女の水着写真をばらまいた。
「それで、カエデは興奮したのその写真? エッチ!」ナナキが言葉をはさんだ。
「僕はたまたま受け取らなかったよ」普通に返す。「フーコーは受け取ってたけど、ね?」
フーコーは不思議そうな顔をしている。たぶん、受け取ったことを忘れているのかもしれない。
「フーコーはどうでもいいよ。カエデはどうなの? 私の水着写真とかいる?」
「いらない」
ナナキがなんで僕みたいな凡人に拘るのかはわからない。僕がこの二人の家の近くに引っ越して来る前は、フーコーとナナキが美男美女のお似合いのカップルだと言われていたらしい。まだまだずっと小さかったころのことだけど。
僕はそこに入り込んできたよくわからない凡人なのだ。頭もよくない。
「話し、つづけるよ」
「どうぞ、あとで写真あげるね」
僕は無視した。
フーコーも無視しているけど、これはいつものこと。
僕はナナキに説明を続ける。もう一人の候補者はどうやら先生を協力者に迎え入れたらしい。そして、それが一番の問題だった。どんな関係なのか、どれほど協力してしまったのか。
結局、選挙では、その男性教師を協力者とした彼女が当選した。
「それで、それを調べろというの? ひきもりで不登校の私に」
「うん、調べて欲しいんだ。学校専用の裏SNSを管理しているナナキに」
ナナキはさまざまな情報サイトを持っていた。学校のもの町内のもの、僕が知らないものまで、いろいろ持っているだと思う。彼女は天才で、情報の海に溺れるのが趣味だった。わざと溺れて危なくなったら泳ぎ出す不真面目なイルカみたいな存在。
「援交党に清き一票をお願いします」ナナキが天井を仰ぐようにして言った。
「なに、いきなり」僕が言う。
「そういうことでしょ?」
「当選した人が先生とそういう関係だったということ?」
僕は少しだけしどろもどろに尋ね返す。
「違う」ナナキは微笑んだ。「カエデはかわいいな」
僕は赤面する。
「どういうことか説明してよ」
「私が言いたいのはどんな答えが望まれているのかということだよ」
ナナキが話をはじめる。
「当選した女子高生、協力者は大人の男。教師。それだけで、人の頭にストーリーができあがる。カエデはどんなストーリーを作った?」
僕は黙っている。
「フーコーは興味がないから考えない。でもカエデは考える」
図星だから何も言えない。
「ごめん、別にカエデをいじめようというわけではないんだ」ナナキが悲しそうな顔を見せた。「普通ならそうするってこと。私だって数十はストーリーを作り上げて思い浮かべるよ一瞬で」
その数と短い時間は彼女の性能を物語っている。
「ただ、みんなそういう下世話な話が好きだよねということ。非難しているわけじゃない」
ナナキがテーブルに載っていたパソコンのキーを叩く。
「望まれているような情報はなにもないよ」
「えっ?」
「その当選した彼女は、私がわかる範囲でその教師となんら噂になるようなことはしていない。本当にほのかな恋愛感情的な話しすらもゼロ。これはただ観測できていないだけの可能性ももちろんあるけれど、まったく別の情報もある」
「どういうこと?」僕が尋ねる。
「誰かが流した」
フーコーが重たい口を開いた。
「そう。なんでこういう良いところだけフーコーは言っちゃうかなあ」
フーコーは答えない。たぶん大事なところだから、彼の中で話すべきというラインを超えるのでは、と僕は思う。
「この情報には明らかに不自然な流れがある。そしてそれを追っていくと辿り着いたのは……」
「別の候補者?」
「違う。これって彼女の友達って人かな」
ナナキが名前を読み上げる。知らない人だけど当選した彼女と同じクラスで同じ部活であることは確からしい。
「なんでそんなことを」
「さあね。嫉妬とか寂しさとかいくらでもあるんじゃない? 問い詰めれば何かしらは言うとは思うけど、きっと本当の動機は加害者にもわからない」」
「どうして?」
ナナキはそれがとても当然のことだと言うように続けた。
「友達だから」
ナナキの手によって、生徒会不正選挙疑惑は簡単に解明された。事件なんてものにはならず、ミステリィでもない。ただ情報を持っていたものがそれを素早く整理しだけ。
天才は言った。
友達だからと。
それはなんの理屈にもなっておらず、ただ受け入れることしかできない。人間の行動に全て説明を付けるのはたとえ天才でも無理なのだ。
だからどうしようもなく残留し漂ってしまう。
なんでそんなことをしてしまうのかという問いが。
誰にも解明されることが不可能な、
謎として。