第9回 てきすとぽい杯
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投稿時刻 : 2013.09.21 23:40 最終更新 : 2013.09.21 23:43
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- 2013/09/21 23:43:57
- 2013/09/21 23:41:28
- 2013/09/21 23:40:17
父である日
゚.+° ゚+.゚ *+:。.。 。.


「カタギになろうと思うんだ」
 助手席で唐突にそう言い放たユーリの表情はいつになく柔らかく見えた。
……なんの冗談?」
 その表情を横目で一瞥して、私の眉は知れず力が入て、寄た。信号が黄色に変わて、ゆくりとブレーキを踏む。赤になる頃には私たちの車は一旦停止線の手前で穏やかに止また。
「安全運転だな」
 と、ユーリは言う。
「当たり前でし、今は私たち、国税局員なんだから」
「国税局員のフリな」
……そうよ」
 言わなくたてわかりきているはずの、当たり前のことを、わざわざそう訂正する彼の意図がわからず、私は今度ははきりを顔をそちらに向けて、様子を伺た。いくばか自嘲的にも見える、笑みを浮かべて、ユーリはますぐ前を見つめている。
 スーツは似合ていなかた。見慣れていないだけかもしれないが。20歳過ぎで、どういう因果か、この世界に足を踏み入れたという。今はメイクで見えにくくなているが、顎の近くに、深い傷が一筋あるのを私は知ている。普段は無精ひげを生やしているが、今日は変装のためにきちんと剃た。身だしなみをチクしたのはパートナーとなた私だ。徹底的に身だしなみや着こなしを指導したけれど、それでもスーツなんてのは似合わない、と思う。服を着ているのではなく、まるで着られているみたいだ。
 そのグレイのスーツの襟元を、ユーリはそとなぞた。それからふと、吐き出すような小さなため息をつく。
「悪くねえなて思ちまたんだよな」
 私はなんだか嫌な予感がして、かすかに震えた。その後に続く陳腐なお約束の展開が目に見えるようだた。
「スーツ着て、毎日同じ時間にオフス街に出社する。つまらねえ決まりきた仕事だけど、日に当たる場所で定期的な収入がある。そういう生活を自分がしてるとこを、想像しちまたんだ」
「無理よ」
 思わず口から出た言葉が、案外いつも通りの、何の感情も篭ていないかのような冷たい声で紡がれたことに、私は安心したし、失望もした。
「無理よ。ユーリが今更、カタギのサラリーマン? ありえない。そんなの無理よ。だいたい、一体自分をいくつだと思てるのよ。もうすぐ40も過ぎて、人に言えるような職歴もない男を、どんな会社が雇てくれるていうの」
「常識的な説教をしてくれるんだなあ」
 苦笑しながらそう言てユーリは頭をかく。それからしばらく沈黙した後、恐れていた言葉を放た。
「一緒になりて女がいるんだ」
 私が何も言えずにいると、言葉を一度切たユーリがまた続けた。
「40も過ぎて、なあ。全くだ。年甲斐もなく、馬鹿みてえだろ。でもなあ、ガキが出来たて言われたとき、なんだか、馬鹿みてな事を願ちまたんだよ」
 私はしばらく言葉を捜していた。何も見つからなかた。40も過ぎた殺し屋は、見た目はもと若くて、そこそこに女を寄せ付けても不思議ではない整た顔立ちをしている。同じ裏の世界の女と何度かねんごろになり、何人かの本気になた女と揉めた事もあるらしい。そのうちの何人かはユーリが手にかけたことがあるとも聞く。そんな男が、何故、今になて。
「すまねえな」
 黙りこんだ私に対して、ぽつりと、ユーリが言た。
「ボスとは話したんだ。誰にも言わずに、今日の仕事が終わたら消えろて言われたんだが、どうしてもお前にだけは言ておきたかたんだよ。コンビ組むようになて、もう、何年だ?」
「6年」
……6年か。長よな。赤ん坊が小学校に入るぐらいの年数だ」
 その言葉が終わると同時、長かた信号がようやく青に変わた。私はゆくりとブレーキから足を離し、アクセルを踏む。

* * *

 部屋中が死臭で満ちていた。狭い工場の倉庫のあちらこちらに、血痕と肉片が散らばている。ユーリの仕事はいつも容赦なく、そして完璧だた。絶命した死体から、銃を収める彼に視線を移す。スーツが僅かに返り血を浴びている。こんな事をした人間が、明日から今度は別の綺麗なスーツに着替えて、一般人に紛れ込もうと言うのだから、笑てしまう。
「ねえ、ユーリ」
「ん?」
 声をかけると、軽く喉を鳴らすようにしてユーリが答えた。
「なんで私には、話したの」
 問いかけながら、真直ぐに彼の顔を見つめる。5人もの人間を惨殺した直後だというのに、彼の表情はまるで穏やかだた。彼は、裏社会の人間だ。カタギになどなれるはずがない。
……だからよ、お前の事は可愛がてたんだぜ。そうだな、娘みたいなもんじねえか。俺がもしカタギの人間で、まとうな人生送てたら、お前ぐらいの娘もいただろうなあ」
「結婚」
 感慨深げに言う彼を遮て、私は更に問う。
「結婚、今までに、しようと思たこと、一度もなかたの」
「あ? なんでそんなこと――
「ねえ、ユーリ」
 それを聞く自分の声が、思ている以上に激しくみともなく震えたことに、私は失望したし、同時に少しだけ安心した。
「覚えてる? マナミ・ヤマモトて名前の女のこと」
 ユーリがそれに何がしかの反応を示すのを確認するより前に、私は引き金をひいた。6年間彼に仕込まれた技は完璧に決また。油断しきていたユーリはこめかみを撃たれそのまま倉庫の冷たい床に倒れこむ。もはや彼が母の名前を覚えていたのかどうか知る手段はなくなてしまた。
……どうして私に話したのよ」
 呟きはむなしく倉庫の冷え切た空気に溶け込んでいく。
 私が、自分の娘の存在すら知らずに生きてきた父から教えられたのは人の殺し方で、最後に来ていたスーツは血を浴びていた。
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