味音痴
J-POPは嫌いだ。
流行りに乗るのが嫌だとか、趣味が合わないとか、そういう理由じ
ゃない。
不味いのだ。
不味いというのは言いすぎかもしれない。
要は品のないジャンクフードのような味がする。食べた瞬間その味が口の中に広がってしばらく主張を止めない。下にまとわりついて飲み物と一緒じゃないと食べられたもんじゃない。わかりやすい味だけれど、すぐに飽きる。確かにたまに食べたくなる味かもしれないけれど、その味が毎日となるとうんざりして、舌が馬鹿になったような気がする。
だから、J-POPは嫌いだ。
立ち寄った店でJ-POPが流れていると、すぐ立ち去ってしまう程度には嫌いだ。
JAZZは飲み物の味がする。
軽快で爽快なフルーツジュースや落ち着いて香りも楽しませてくれるようなカフェの珈琲や紅茶、そして酔った気分にさせてくれるお酒の味。
バーや何かでJAZZが流れていると余計に酔っ払ってしまって、記憶が曖昧になることもよくある。
ROCKは肉の味がして、カントリーは素朴なポテト料理。何だか曲にまとわりつくイメージが味に影響しているような気もするのだけれど、必ずしもそういうわけでもない。HIP HOPは何故かうどんだし、テクノなんかは乾き物の味がする。ソウルは饅頭系で、曲のイメージと乖離したものが口の中に広がるともう何がなんだかわからなくなってくる。
一曲に一つの味というわけでもない。転調の激しい曲はめまぐるしく味の濃淡や風味が変わってくるし、ポリリズムな音楽は掴みどころのないような何とも説明しにくいような味がする。長いクラシック音楽はフルコース料理の料理のように何品もの料理が出てくる。一曲聞くだけで満腹だ。
音楽から味を感じるだけというわけではなく、満腹中枢もわずかながら刺激するようで、何だか食べた気にはなる。ただし、実際に空腹が満たされるわけではないし、別腹のようなものなので音楽を聞いて入れば満足というわけではない。
こんな能力があっても何の役にも立たないような気がするが、貧乏だった学生時代や残業が長引いた時に空腹を紛らわすのにはかなり役に立っているのだ。
もちろんこの感覚を共有できる友人はいないので子供の頃は友達から変な目で見られることも多かったわけではあるのだけれど。
色んな音楽聞くんだね、とはよく言われる。
この曲はどんな味がするんだろうと思ってついつい様々なジャンルの音楽を集めてしまうので、家の中にはCDが大量にある。
特に食べるのが好きというわけではないのだけれど、何故か音楽の味に関しては色々と試してみたくなってくる。この能力は自分だけの特権だから、それを味わわないのは勿体無いという理由なのかもしれない。
音一つ一つに味があるわけじゃない。音自体は原子のようなもので、それぞれの原子一つ一つが料理のどんな味に影響しているかなんてわかりはしない。
音楽になってはじめて味がするんだ。
例えばジョン・ケージの4分33秒を聞いても無味だけど、何だか料理の皿でだけを出された気分になる。
料理をするように作曲をしたいと思うようになったのは当然だ。
作曲は料理に似ている。
要は材料の組み合わせとその加工に極意があるんだ。
白紙の五線譜に書いていったりする作業は料理とは似ても似つかないけれど、それでも音楽は全くの無からの想像という訳じゃない。
作られたことの料理が発展して新しい料理が作られていくのと同じように、音楽も過去の音楽を元にして新しい音楽が作られていく。
既にあるパターンにスパイスを加えたり、組み合わせたりして作っていんだ。
この味とこの味を混ぜれば、こんな味になるに違いない。そんな感じで音楽も作っている。
けれども、コツとか技術とかセンスとかは大切だ。
まだまだ、美味しい音楽は作れていないけれども、いつか自分の好きな自分らしい味を見つけてみせる。
たとえそれが人を楽しませるような音楽でなくとも。