食欲の秋!くいしんぼう小説大賞
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味音痴
茶屋
投稿時刻 : 2013.10.27 09:51
字数 : 1590
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味音痴
茶屋


 J-POPは嫌いだ。
 流行りに乗るのが嫌だとか、趣味が合わないとか、そういう理由じない。
 不味いのだ。
 不味いというのは言いすぎかもしれない。
 要は品のないジンクフードのような味がする。食べた瞬間その味が口の中に広がてしばらく主張を止めない。下にまとわりついて飲み物と一緒じないと食べられたもんじない。わかりやすい味だけれど、すぐに飽きる。確かにたまに食べたくなる味かもしれないけれど、その味が毎日となるとうんざりして、舌が馬鹿になたような気がする。
 だから、J-POPは嫌いだ。
 立ち寄た店でJ-POPが流れていると、すぐ立ち去てしまう程度には嫌いだ。

 JAZZは飲み物の味がする。
 軽快で爽快なフルーツジスや落ち着いて香りも楽しませてくれるようなカフの珈琲や紅茶、そして酔た気分にさせてくれるお酒の味。
 バーや何かでJAZZが流れていると余計に酔てしまて、記憶が曖昧になることもよくある。
 ROCKは肉の味がして、カントリーは素朴なポテト料理。何だか曲にまとわりつくイメージが味に影響しているような気もするのだけれど、必ずしもそういうわけでもない。HIP HOPは何故かうどんだし、テクノなんかは乾き物の味がする。ソウルは饅頭系で、曲のイメージと乖離したものが口の中に広がるともう何がなんだかわからなくなてくる。
 一曲に一つの味というわけでもない。転調の激しい曲はめまぐるしく味の濃淡や風味が変わてくるし、ポリリズムな音楽は掴みどころのないような何とも説明しにくいような味がする。長いクラシク音楽はフルコース料理の料理のように何品もの料理が出てくる。一曲聞くだけで満腹だ。
 音楽から味を感じるだけというわけではなく、満腹中枢もわずかながら刺激するようで、何だか食べた気にはなる。ただし、実際に空腹が満たされるわけではないし、別腹のようなものなので音楽を聞いて入れば満足というわけではない。
 こんな能力があても何の役にも立たないような気がするが、貧乏だた学生時代や残業が長引いた時に空腹を紛らわすのにはかなり役に立ているのだ。
 もちろんこの感覚を共有できる友人はいないので子供の頃は友達から変な目で見られることも多かたわけではあるのだけれど。

 色んな音楽聞くんだね、とはよく言われる。
 この曲はどんな味がするんだろうと思てついつい様々なジンルの音楽を集めてしまうので、家の中にはCDが大量にある。
 特に食べるのが好きというわけではないのだけれど、何故か音楽の味に関しては色々と試してみたくなてくる。この能力は自分だけの特権だから、それを味わわないのは勿体無いという理由なのかもしれない。
 音一つ一つに味があるわけじない。音自体は原子のようなもので、それぞれの原子一つ一つが料理のどんな味に影響しているかなんてわかりはしない。
 音楽になてはじめて味がするんだ。
 例えばジン・ケージの4分33秒を聞いても無味だけど、何だか料理の皿でだけを出された気分になる。

 料理をするように作曲をしたいと思うようになたのは当然だ。
 作曲は料理に似ている。
 要は材料の組み合わせとその加工に極意があるんだ。
 白紙の五線譜に書いていたりする作業は料理とは似ても似つかないけれど、それでも音楽は全くの無からの想像という訳じない。
 作られたことの料理が発展して新しい料理が作られていくのと同じように、音楽も過去の音楽を元にして新しい音楽が作られていく。
 既にあるパターンにスパイスを加えたり、組み合わせたりして作ていんだ。
 この味とこの味を混ぜれば、こんな味になるに違いない。そんな感じで音楽も作ている。
 けれども、コツとか技術とかセンスとかは大切だ。
 まだまだ、美味しい音楽は作れていないけれども、いつか自分の好きな自分らしい味を見つけてみせる。
 たとえそれが人を楽しませるような音楽でなくとも。
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