電子レンジ
「電子レンジ使いたいから、エアコン消して欲しいんだけど」
妻がパジ
ャマ姿のまま現れて、そろそろベッドから這い出そうとしていた私に言った。
「さっきつけたばかりなのに……」と私は渋る。枕元にあったリモコンでエアコンの暖房を入れたばかりだ。部屋がある程度暖かくなったところで布団から出ようという魂胆だった。それを電子レンジごときのために切らなければならないなんて納得できない。
「エアコンはな、起動する時に一番電気代がかかるんだ。一度、スイッチを入れたら滅多なことでは消しちゃいけない」
私が強く抗議をすると、妻は「ああ、そう」と大人しく引き下がった。
さて、ベッドから無事に降りた私はパソコンラックの方に向かい、おもむろにPCの電源を投入した。朝はやっぱりYahooのニュースと天気予報からチェックしなければならない。それを横目で眺めつつ、大塚さんがいつ電撃復帰をしてもいいように、TVのチャンネルは「めざまし」に合わせる(首になった皆藤愛子のことは忘れよう)。気がつけば11月も半ば、外が明るくなるのも随分遅くなったじゃあないですか。
と、その時、部屋の電気が一斉に消えた。パソコンもTVも蛍光灯もエアコンも何もかもだ。
「大塚さんの身に何かあったのか!」
いやいや、大塚さんと我が家の電気がシンクロするはずもない。それに今年の訃報はアンパンマンの生みの親と島倉千代子と宇多田ヒカルの母で十分だ。大塚さんはきっと完治するはずで、天皇陛下やダライ・ラマ14世もそうだけど、みんなと一緒に次の東京オリンピックの年を元気に迎えるんだ。長生き、バンザイ!
「ねえ、あなた」と妻が現れる。「ブレーカーが落ちたの。直して」
「そんなのスイッチをピッって上げるだけだろう」
「どのスイッチ?」
「わかったよ。俺がやるよ」
そう言いながら、私は妻を手で押しのけ、部屋を出て玄関の所にあるブレーカーのスイッチまで行こうとした。途中、ふと見ると冷凍庫の扉が開いたままになっている。霜の中に冷凍食品がぎっちり詰め込んである。電気が通ってない冷凍庫の扉を開けっ放しにするなんて、どんな神経をしているんだ。
ブレーカーを元に戻すと、部屋中の家電製品が息を吹き返したかのように見えたが、私の苛立ちは収まらなかった。
「ブレーカーが落ちるとわかってて、何で電子レンジを動かしたんだ」
「40秒だから大丈夫だと思って。海軍カレーコロッケ1個に要する時間」
「40秒なら大丈夫? 何を根拠にそんな馬鹿なことが言えるんだ」
「だからさっきエアコンを消してって頼んだじゃない」
「ほほう、人のせいか? だいだいこんな寒い朝にわざわざ弁当を作らなくたっていいよ。今日から社食で定食でも食う。そうしてくれ。ブレーカーも落ちなくて済むし。わかったな?」
そうは言ったものの、妻に見送られ、家を出たところで私は鞄の中を調べ、普段と変りなく弁当が入っているのを確認した。いつもこんな感じだ。妻は私が意図した方向とはまるで別な行動を取ることが多い。まるで嫌がらせのように。
そんな弁当がうまいわけがない。結婚してもう一年が経つというのに、職場の連中は私がまだ新婚気分でいると思っているらしく、社食で弁当を広げていると「おっ、愛妻弁当ですね」などといちいち声をかけてくるやつがいる。今となっては別に愛妻でもないし、それに毎日弁当なんだからわざわざそれを指摘することの愚かさを、もうそろそろ悟ってもらいたいものである。
家に帰ると妻がにこにこしながら待っていた。こういう時は嬉しい報告があると相場は決まっている。しかしそれは本人にとっては嬉しい話でしかなく、私にはどうでもいいことが大半だった。
「ねえ、見て見て」と私は部屋に誘導された。
TVの前には小さな携帯電話が置いてある。「電子レンジを使う時はTVじゃなくて、これでワンセグを見てね」と妻。
パソコンラックの前にはとっくに引退させた林檎のロゴが入ったノートブックが置いてある。「PCはこのバッテリーが着いているのを使って」と妻。
「朝の40秒だけでいいの、お願い」
「お前、俺に対して不平とか不満とか、他に言いたいこととか、ないのか?」
「えっ、何のこと?」
「朝、俺の言い方、ひどすぎたと思って。反省している」
「別にいいよ」
「俺がよくないよ」
すると妻はしばらく考え込んだ様子を見せたが、すぐに笑顔を取り戻し「ねえ、今度はこっち」と言って私を台所に案内した。
「じゃじゃーん!」と言って見せられたのが、バッテリー装着の冷蔵庫(特注品?)。……そして、洗濯機。まさかと思って居間に戻ると、試作品と銘打ったバッテリー内蔵のエアコン。何じゃこりゃ? 一体これだけの物をどうやって揃えたんだ。それにいくらするんだ、この最先端電化製品たち。ちょっと待て、電子レンジは今まで通りなのか。
ああ、何かめまいがしてきた。
「ちょっと、これどういうことだ?」
「どういうことって」妻は満面の笑みで私に告げる。「これでもうブレーカーが落ちる心配はないわ」