ホーリー
梨地の磨りガラスの向こうでは色とりどりの光がたえず形を変えながら明滅している。お向かいの阿賀山さんは、毎年、12月になると家の壁にイルミネー
ションを這わせる。LEDをネットにちりばめて、ドレープみたいに流れ落ちたり、波や花火を象ったり。日が暮れると、通りを走る車がわき見運転で事故でも起こさないかと心配になる。道に面したこの部屋にいたっては一晩中、間近で輝き続けることになる。安眠妨害になりそうだけれども、いざとなれば窓にはカーテンを引くし、場合によっては雨戸も閉める。電気コードを縦横に這わせて雨戸も閉められなくなった阿賀山さん宅の方がむしろダメージはありそうだ。五年前には小学校に入ったばかりだった男の子も、そろそろ何か言い出すころかもしれない。なんにせよ、今日は12月24日だ。明日でイルミネーションは終了して、週末には阿賀山さんの撤去作業が行われるだろう。五年前には脚立のそばであれこれとはしゃいでいた男の子も、二年前からは手伝おうともしなくなっていた。
明かりをつけずに部屋に入る。ノートPCのLEDが細かく瞬いている。壁際のオイルヒーターは作動していたけれど、空気はひんやりとしている。床の上には脱ぎ散らしたコートとセーター、シャツが投げ出されて、なぜかジーンズだけが椅子の背凭れに掛けてある。壁際のベッドに、弟のヒロトが毛布と布団を互い違いにかけて寝息を立てている。ついさっきまで、帰りが遅いと母親に叱られて反論し、父親の一喝に遭って部屋へ引き揚げたとも思えない熟睡ぶりだった。
週に一度、母親が掃除機をかける部屋には脂っぽいにおいが漂っている。ベッドに近づいて目を凝らす。赤と緑のかわいらしい靴下がそこにあった。吹き出しそうになる。
もう高校一年生だから枕元に靴下を置いたりしないと思っていたけど、これに何を入れてもらうつもりなんだよ。iPodとか? でもケースとか全部破棄して中身だけ入れることになるよ。殺伐としたプレゼントだなぁ。そんなことをされて嬉しいの? 本当にアンタ、いつまで経っても考え無しのままだね。万札でも入れろってか。もしそうなら、ちょっとお姉ちゃんの方へおいで。張り倒してあげるから。小学五年生の弟を張り倒すことに関しちゃ、ちょっと自信があるからね。ぎりっぎりのところで泣かずに踏みとどまって、でも最後の一言で泣き出すくらいの。泣き声を聞きつけた母さんが飛んで来れば、どうせ私が叱られるんだよ。だからアンタ、わざと大袈裟に泣いてみせるんだよね。本当、弟って汚いよなぁ。でも私が、すぐ泣くのは男の子じゃない、泣けば泣くほど萎んでいって女の子になっちゃうよって言ったら、泣かなくなったんだよね。それからは本気で張り倒せるようになった。馬鹿だけど、可愛かったよ。
ベッドの縁に腰を下ろす。弟の顔は、なんだかオッサン臭い気がした。
ああ、鼻の下にうっすらと髭が生えているからか。つるっつるだったのに、よくもまあ育ったもんね。それにしてもこの香りは、ムスク? ちょっと勘弁してよ。ああそうか、ミホちゃんだっけ? あの子に貰ったんじゃない、その靴下。五月に告って付き合い始めて、初めてのクリスマスか。プレゼントが靴下ってしょぼすぎるみたいだけれど、メインは違うんだよね。一大決心ってやつ。それなのにアンタはまあ……。いいんだよ、それで。世の中にはね、いい加減にやってうまく行くよりも、一生懸命にやったけど失敗するほうが気持ちが伝わるってこともあるんだから。あ、でも二度目はないからね。半端な気持ちでなし崩しに、みたいなことをやったら、お姉ちゃん、本気で張り倒すよ。この件に関してだけは、お姉ちゃん、弟のアンタよりも女の子の味方だから。
暗がりの中に机が見える。鞄が置いてある。奥の本棚にはところどころ逆向きに参考書が挿してある。上には英和辞典の箱が載っていて、中にプリントが詰め込まれている。辞書の中身は見当たらない。
ああ、こりゃ勉強してないね。高校入試をひーひー言いながらクリアしたのをもう忘れたのか。ちっとは懲りなよ、まったくもう。あの鞄、家に帰ってから一度も開けていないし。そりゃ未提出のプリントが溜まって点も引かれるよ。ていうか、こんな感じで12月まで来てちゃ、けっこうやばくね? あと、枕の下から覗いているそれ、絶対にばれてるよ、母さんにも。あの子と会って来たときくらい考えろっての。それにしても、なんかこう、うすらデカくなったね。後頭部に蹴りを入れても大丈夫だったりして。小学校のときには私が右手でアンタの喉を掴んで肘を伸ばしたら、いくら手を振り回しても足を振ってもまるっきり届かなかったんだよね。アンタ、ぴーぴー泣いてさぁ、かわいそうっていうよりもおかしくて。げらげら笑ってたら母さんにぶん殴られたっけ。あれは痛かった。なんだか涙が出た。いや、痛かったからじゃないと思う。何だったんだろ。ねえ、アンタ、憶えているかな。
棚の上に丸い影がある。サッカーボールだった。小学校のときに両親にねだって買ってもらったものの、地面の上で蹴るのは汚れるから嫌だと言って、以後は飾ったままになっている。
アンタってそうだよね。どう頑張っても体育会系にはなれない。小学校のときにはスポーツができる順に人気があるから、まあどうしようもなかったね。中学校も三年くらいになるとさすがにスポーツ馬鹿の底が割れて来るから相対的にランクが上がるけれど、でもアンタは単なる馬鹿だからなあ。汗臭いイメージがなくて坊主頭でもないってだけで。でも背が伸びてきたおかげでそれなりに見てくれはよくなった。あのころ175㎝だったっけ。私と同じかぁ。生意気な。頭が回らなくてあんまり喋れないのをクールだと勘違いした女の子を一時的に惹きつけるくらいにはモテたでしょ。でもさあ、アンタに寄って来たのって、ヤンキー系の誰かと続かなくなった子ばっかだったからさ、うっかり付き合ってたらシャレにならないことになったかもよ。まあ、いざとな