みんなで、ほっこり ハッピー・クリスマス掌編賞
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ホーリー
大沢愛
投稿時刻 : 2013.11.28 22:14 最終更新 : 2013.12.02 21:52
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ホーリー
大沢愛


 カーテンの隙間から見える梨地ガラスの内側は細かな水滴に覆われていた。お向かいの阿賀山さんの家では毎年12月になると家の壁に色とりどりのイルミネーンを這わせる。LEDをネトにちりばめてドレープのように流したり、波や花火を象たり。通り過ぎる車ならわき見運転に注意すればいいけれど、道を挟んだこの部屋では一晩中、間近に輝き続ける。今日は12月24日。明日でイルミネーンは終了だ。週末には朝から大掃除を兼ねた撤去作業が行われるだろう。五年前には脚立のそばではしいでいた阿賀山家の男の子も、二年前からは手伝おうともしなくなていた。
 窓枠から離れる。明かりのついていない部屋の中は、ノートPCのLEDが細かく瞬いている。壁際のオイルヒーターが作動しているおかげで、吐く息はかろうじて白くならずにすんでいた。床の上にはコートとセーター、シツが脱ぎ散らされて、なぜかジーンズだけが椅子の背凭れに掛けてある。壁際のベドに視線を移す。弟のヒロトが毛布と布団を互い違いにかけて寝息を立てている。ほんの一時間前に、帰りが遅いと母親に叱られて反論し、父親の一喝に遭て部屋へ引き揚げたばかりだとは思えない。かすかに喉が鳴る。
 週に一度、母親が掃除機をかけて消臭剤も置いてある。それでも部屋には脂じみたにおいが漂ていた。丸またパジマをよけてベドに近づく。暗がりの中で目を凝らすと、ヘドボードの上辺に赤と緑のかわいらしい靴下が掛けてあた。
                    
 ちww、なんだよこれ。もう高校一年生だから枕元に靴下を置くわけがないて思ていたけど。これに何を入れてもらうつもりなんだよ。iPodとか? でもケースとか全部破棄して中身だけ入れることになるよ。殺伐としたプレゼントだな。そんなことをされて嬉しいの? 本当にアンタ、いつまで経ても考え無しのままだね。万札でも入れろてか。もしそうなら、ちとお姉ちんの方へおいで。張り倒してあげるから。小学五年生の弟を張り倒すことに関しち、ちと自信があるからね。ぎりぎりのところで泣かずに踏みとどまて、でも最後のひと言で泣き出すくらいの。泣き声を聞きつけた母さんが飛んで来れば、どうせ私が叱られるんだよ。だからアンタ、わざと大袈裟に泣いてみせるんだよね。本当、子どもて汚いよな。でも私が、すぐ泣くのは男の子じない、泣けば泣くほど萎んでいて女の子になうよて言たら、泣かなくなたんだよね。それからは本気で張り倒せるようになた。馬鹿だけど、可愛かたよ。

 ベドの縁に腰を下ろす。部屋のにおいが濃くなた。暗がりを透かして弟の顔を見つめる。
                    
 なんだかおさんくさくなてない? ああ、鼻の下にうすらと髭が生えているからか。つるつるだたくせに、まあすかりケダモノ化しちて。それにしてもこの香りは、ムスク? ちと勘弁してよ。ああそうか、ミホちんだけ? その靴下、あの子に貰たんじない。五月に告て付き合い始めて、初めてのクリスマスか。プレゼントが靴下てしぼすぎるみたいだけれど、もちろんメインは違うんだよね。一大決心てやつ。それなのにアンタはまあ……。いいんだよ、それで。世の中にはね、いい加減にやてうまく行くよりも、一生懸命にやたけど失敗するほうが気持ちが伝わるてこともあるんだから。あ、でも二度目はないからね。半端な気持ちでなし崩しに、みたいなことをやたら、お姉ちん、本気で張り倒すよ。この件に関してだけは、お姉ちん、弟のアンタよりも女の子の味方だから。

 暗がりの中に机が見える。鞄が置いてある。奥の本棚にはところどころ逆向きに参考書が挿してある。上には英和辞典の箱が載ていて、中にプリントが詰め込まれている。辞書の中身は見当たらない。
                    
 ああ、こり勉強してないね。高校入試をひーひー言いながらクリアしたのをもう忘れたのか。ちとは懲りなよ、またくもう。あの鞄、家に帰てから一度も開けていないし。そり未提出のプリントが溜まて点も引かれるよ。ていうか、こんな感じで12月まで来てち、けこうやばくね? あと、枕の下から覗いているそれ、絶対にばれてるよ、母さんにも。あの子と会て来たときくらい控えろての。それにしても、なんかこう、うすらデカくなたね。後頭部に蹴りを入れても大丈夫だたりして。小学校のときには私が右手でアンタの喉を掴んで肘を伸ばしたら、いくら手を振り回しても足を振てもまるきり届かなかたんだよね。アンタ、ぴーぴー泣いてさ、かわいそうていうよりもおかしくて。げらげら笑てたら母さんにぶん殴られたけ。あれは痛かた。なんだか涙が出た。いや、痛かたからじないと思う。何だたんだろ。ねえ、アンタ、憶えているかな。

 棚の上に丸い影がある。サカーボールだた。小学校のときに両親にねだて買てもらたものの、地面の上で蹴るのは汚れるから嫌だと言て、以後は飾たままになている。
                    
 アンタてそうだよね。どう頑張ても体育会系にはなれない。小学校のときてスポーツができる順に人気があるから、まあどうしようもなかたね。中学校も三年くらいになるとさすがにスポーツ馬鹿の底が割れて来るから相対的にランクが上がるけれど、でもアンタは単なる馬鹿だからな。汗臭いイメージがなくて坊主頭でもないてだけで。でも背が伸びてきたおかげでそれなりに見てくれはよくなた。あのころ175㎝だけ。私と同じか。生意気な。頭が回らなくてあんまり喋れないのをクールだと勘違いした女の子を一時的に惹きつけるくらいにはモテたでし。でもさ、アンタに寄て来たのて、ヤンキー系の男の子ともめて続かなくなた子ばかじん。うかり付き合てたらシレにならないことになたかもよ。まあ、いざとなたらヘタレで自分じ何も決められなかたからよかたけれど。

 床に落ちたコートに、カーテンの隙間からイルミネーンが射し込んでいる。ポケトからはみ出したリボンが、ときどき金色に光る。
                    
 でもさ、こうやて普通にクリスマスイブを祝えるようになたんだね。なんだか安心したよ。だいたいさ、キリストの誕生日と命日が重なるて、どういう冗談だよて。祝ていいんだか悔やんでいいんだか。父さんも母さんも、アンタが中学二年になるまではケーキも買て来なかたよね。世間じロウソクに火をともしているときに、うちじロウソクと一緒にお線香にも点火してたんだから。お仏壇に手を合わせて、冥福を祈るような誕生を祝うような。死と再生? 再生と死? 前者にしとこう、うん。サンタクロースにプレゼントをお願いするていうギミクはあという間に廃れたけ。直前になて父さんがぼそと、欲しいものはあるか、て訊くんだよね。あ、思い出した。あのときアンタ、いらないて言たんだよ。欲しいものいぱいあたのにさ。本当、馬鹿だねー。予算は二倍になたんだからガツリ頼めばよかたのに。

 ベドの上で軽く飛び跳ねる。何の音もしない。弟が口をもごもごさせながら寝返りを打つと、マトレスのスプリングが軋んだ。
                    
 アンタ、もし起きていたら絶対言うよね。「イブの夜に弟の部屋で何してるんだよ。ささと男のところへ行けよ。」てさ。はいはい、ていうか、うるせ! 行てきたよ、一応は。けど、他の女としぽりくついてるそばで何しろてのよ。なんかああいうのてさ、腹が立つていうか萎えるよね。いいオサンになりやがて。よく見り女の方もけこうな年齢じん。あんなのと昔は同い年だたなんてね。五年前のあのころも私に隠れて逢てやがたんだけどさ。それから五年間、飽きもしないで続いてたんだ。ほといてやるよ。「他に行くところはないの。」……ねえよ。正直、アンタの部屋でこうしてたかたんだよ、今夜はね。

 部屋の隅に四角い影が聳えている。床からの反射光がフンシーケースのカトレア模様を撫でる。
                    
 ああ、あれ、私の部屋にあたやつだ。あれ超ダサくて、嫌いだたんだよね。早く壊れないかなて、わざと乱暴に開け閉めしていたらチクのところが裂けて。やたー、これでウドの衣装ケースにしてもらえる……え? うわ、コレ補修してある。それもボンドで!? 貧乏くさ。ていうか、アンタの仕業よね。こんなの使てないでささと買い換えてもらえばいいのに。本当にもう、馬鹿なんだから。

 ベドに掛かる羽毛布団がかすかに上下している。腰を下ろした周囲に窪みはできていない。仰向けに寝転がる。左の手のひらで弟の顔を思い切りひぱたく。規則正しい寝息が続いていた。
                    
 最初になくなるのは、触覚と味覚なんだよね。実際、必要ないんだけど。最後に触れたのは、あのときのトラクのバンパーたな。固かたー。いや、バンパーていうかボデの鉄板かな。そのあとのタイヤはもう分からなかた。じあ味覚はて? 気分悪いけどさ、アイツのキス。いや、照れてるんじないよ。ごまかそうとしてるのがみえみえだたから、思い切り突き放した。怒鳴りつけて走り出して、最後の触覚まで20秒か。最低のキスだわ。どうせならコンビニに寄て、おでんでも食べとけばよかた。お腹空いてたんだよ。一緒にデナーのつもりだたから。それがまさか、ね。最後の食事はお昼のお茶漬け。一週間前からダイエトしてやと、あのデニムのスカートが入るようになてたんだよ。あー、腹立つ! 嘘。もう五年経つからね。何だかな、もうどうでもいいや。父さんと母さん、めちめちてたよね。アイツがお葬式に来なかたから。あれさ、家でびびてたんだよ。警察が調べに来るんじないかて。よかたね、お巡りさん来なくて。皮肉じないよ本当に。

 弟の顔を間近に見下ろす。頬のにきびあとを爪で弾く。毛布を握て鼻のところまで引き上げる。思わず笑いが漏れる。
                    
 アンタさあ、馬鹿だけど、変なことに気づいてたよね。父さんや母さん、それから友だちがみんな、私が「あの世」とか「天国」とかに行て言たとき、ひとりだけ「姉ちんはここにいる!」て譲らなかた。アレて正しいんだよ。火葬場で人生最高にスリムになた私をつまんでみりわかるでし。私はそこにいたんだよ。どかへ行たのはアンタたちの方。死ぬてね、船から川べりに降ろされるようなもん。そこからずうと、離れていく船を見つめているの。ひきりなしにひとを降ろしながら世界は進んで行く。二年前に凄い爆発が起きたよね。あれだて船の中で起きたことだから。忘れたつもりでもそのまま一緒に進んでいるんだから。甲板の上をいくら移動してみたて同じだよ。船からはね、逃れられない。川べりから眺めているとよく分かる。

 こぶしを握て、弟の額を軽く叩いてみる。指先で鼻の頭を擦る。よく似た鼻がふたつ、向かい合う。

 船が遠ざかると、そのうちに川べりからは見えなくなる。だから次に失われるのは視覚なんだ。波の立たない川面ばかり見つめていてもしうがないてことなのかな。ちうど五年目の命日が終わると何も見えなくなるらしいの。初めは怖かた。でも五年かけてゆくりとわかてきたよ。すこしずつアンタは変わていくし、この家や町、それこそ船そのものまでが別のものになて行く。変われないままに見つめ続けるのは川べりと船との埋めようもない距離を数えているだけだて。だからね、何も見えなくなるのはいいことじないかて。今はそう思ている。ぎりぎりで間に合たな。あのときは間に合わなかたけど。

 羽毛布団の膨らみに身体を添わせる。膝を立てて足の付け根をぐりぐりと擦る。シーツの丸みは柔らかく上下を繰り返している。

 最後まで残るのは聴覚と嗅覚らしいよ。ほら、お仏壇で鈴(れい)を鳴らしたりお線香を焚いたりするでし。お墓に香華を手向けて、お盆には迎え火をするのも同じ。炎てね、はぜる音がかすかに聴こえるし、薪の燃える匂いもする。そういうのをよすがにしてこうやて家までたどりつくんだ。川のせせらぎを越えて。だからね、気をつけたほうがいいよ。このあいだのお盆明けにお墓参りに来てくれたよね。ミホちんもいに。なんで家族の墓に恋人連れて来るのかて話だけど、アンタ本当はチンスを狙てたでし。いくらひとがいないからて、お墓の前でキスするのはやめてくれないかな。そりガン見したけどさ。これから先だて聴覚と嗅覚で何してるかは分かるんだからね。ていうか、お姉ちんから特に言とくよ。アンタね、真夏の昼間、制汗デオドラントとUVカトを必死でキメてる女の子に、シワーも使えないところで迫る男にだけはなるな! そういうのが積み重なてある日、気持ちがすうと離れて行くんだからね。そのときには気づかなくても別れたあとで思い出してブチ切れそうになるのて、そういうところなんだよ。あとね、いきなりいなくなたりするな。それは本当に反則だから。私が言うと説得力あるだろ? 別にいい男にならなくてもいいんだ。アンタにそんな大それた期待はしない。振られるのはかまわないんだよ。帰て来てから泣けばいいんだし。枕の下とか、そういうのも見逃す。来年からは私よりも年上になるんだろ。無自覚で自分に甘い大人になるんじないよ。目は見えなくなても、腹くらい立つんだからさ。

 梨地の磨りガラスが少しずつ白み始める。色とりどりのイルミネーンがすこしずつ、力を失てゆく。何度か寝返りを繰り返した弟は大きなくしみをした。

 そろそろ夜明け、なのかな。さきまで眩しかた阿賀山さんちの飾りが見えにくくなてきた。空は白み始めているはずなのに、不思議だね、部屋の中はどんどん暗くなている。ぎりぎりまでここにいるつもりだけど、最後に見たのは弟の顔だたなんて格好悪いな。まあアンタだてせかくのクリスマスイブを不発弾を抱えたままお姉ちんと朝まで過ごしたんだから、おあいこ。そうだよね、同い年なんだもんね。まさかアンタとタメになるなんてびくりだよ。五年前のあの日もこんなふうにして過ごしていたら、ちんと翌朝を迎えられたんだろうな。ふふ、なんにも考えていないのが丸わかりのぼーとした顔してさ。あれ、アンタの顔が影になてきた。ああ、そろそろなんだ。もう一回ひぱたいてやりたいけれど、もうどこにあるのか分かんないよ。ぴーぴー泣きながらお姉ちんにかかてくるところ、見たかたのにな。ね、せめて寝言でもいいから何か言てよ。男はここぞというときには照れてないでちんと言えなき駄目なんだからね。そんな根性無しを相手にしている女の子の身にもなれよまたく。どうしようもない馬鹿なんだから。何べんでも言てやる。馬鹿馬鹿ばか。この馬鹿。
 

 カーテンの隙間から冬の陽射しが床に落ちている。ガラスを覆ていた水滴は四隅を残してほとんど乾いた。羽毛布団と毛布を抱きかかえて、弟はまだ眠ている。もうしばらくすれば、洗濯を始められないことに業を煮やした母親が怒鳴り込んでくるだろう。布団から出た背中を丸めて、ときどき洟を啜ている。よく見ると、毛布を挟み込んだ両足は、いつの間にか赤と緑の靴下をきちんと履いていた。

                       (了)
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