てきすとぽい
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第13回 てきすとぽい杯
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ルビー
(
大沢愛
)
投稿時刻 : 2014.01.18 23:24
最終更新 : 2014.01.18 23:40
字数 : 4057
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更新履歴
-
2014/01/18 23:40:30
-
2014/01/18 23:39:04
-
2014/01/18 23:24:05
ルビー
大沢愛
私は宝石のなかでルビー
がいちばん好き。
ママがタケルおじさんを好きなのと同じくらいに。
金曜日の夜、ママのバスタイムはいつもの倍くらいになる。パパがいなくな
っ
てからは週末になるといつもタケルおじさんがや
っ
て来るんだ。バスから上が
っ
て、身体にバスタオルを巻いたままチ
ェ
ストのそばで髪を乾かす。スツー
ルはあるけれど、ママは座らない。以前、スツー
ルに座
っ
て髪からメイクまでを整えてタケルおじさんを迎えたとき、お尻にスツー
ルの継ぎ目跡が赤く残
っ
ていたから。焦
っ
てバスタオルを敷いてみたけれど、今度はパイル地の形がお尻に移
っ
ただけだ
っ
た。スツー
ルから立ち上が
っ
て二時間近く経
っ
ていたのに。ママはそれ以来、ドライヤー
は立
っ
たまま、メイクは中腰でするようにな
っ
た。
タケルおじさんは美容室帰りの髪のにおいが好きじ
ゃ
ない。ママはいつも木曜日に美容室に行く。前日にパー
マをかけたばかりの髪は、乾かしながらブラシで起こすだけでスタイルが決まる。
カチ
ュ
ー
シ
ャ
で前髪を起こしてフ
ェ
イスメイクにとりかかる。ママのメイクは大学時代に馴染んだパター
ンがベー
スにな
っ
ている。鏡の前ではみんな、ひとりぼ
っ
ちだ。鏡面に顔を近づけて肌理を整えても、生え際に散らばる白髪は目に入らない。大学時代の自分と同い年の女の子が鏡の中に入
っ
て来ても、自分の顔だけを見つめ続ける。
ママの顔ができあがる。きれいだ、と思う。そう言
っ
てくれないと壊れてしまいそうな美しさだ
っ
た。だからいつもママはタケルおじさんの胸に抱き締めて欲しいんだ。ハー
ト型の瓶から指先にしずくを載せて、耳の下、胸元、腋につけてゆく。最後に脚の付け根に触れて、終わり。う
っ
とりするほどいい匂いにな
っ
たママがベ
ッ
ドのそばにや
っ
て来る。でもこれは私のためじ
ゃ
ない。
「メグ、そろそろおやすみ」
おやすみのキスもどこか上の空だ。はやく寝て欲しいのがわかる。メグのベ
ッ
ドをパパの部屋へ置けばよか
っ
たのに。パパのにおいがうつるのが我慢できなか
っ
たんだ。パパは週に一度、布団を干してくれて、掃除機もかけてくれたのに。オー
ドトワレをつけるとまず抱き締めてくるのも、私を自分のにおいにしておきたいから。でもね、ママは時間が経つと脂
っ
ぽい臭いが滲み出てくるけど、私はそんな臭いはさせていないもん。バスのあとでもほんの少し、耳孔から漏れる臭いをタケルおじさんに気付かれないとでも思
っ
ているの? パパよりもち
ょ
っ
と、鈍感なふりをするのが上手なタケルおじさんに。
ベ
ッ
ドルー
ムの電気が消える。ダイニングからママの嬌声が聞こえる。いつもより甲高いぶん、語尾が掠れて、なんだか嗄れているみたいだよ。私はこ
っ
そりとベ
ッ
ドから下りて、ドアの隙間から窺う。イブニングドレスのママがタケルおじさんに抱き付いている。いつもの笑顔で、髪のウエー
ブをそ
っ
と撫でる。ママがおじさんの胸元に顔を埋めると、頭の上におじさんの顎が載
っ
たかたちになる。
ねえママ、タケルおじさんが今どんな顔してると思う?
テー
ブルの上にワイングラスが並んでいる。ワインの開栓はタケルおじさんの役目だ。コルクが抜ける瞬間に、ママはいつも大袈裟に声を上げてみせる。ペンダントライトの下で、グラスにワインが注がれる。波打つ赤ワインはルビー
の色だ。う
っ
とりと眺める。どんな味なんだろう。もちろん、ママは飲ませてくれない。本物のルビー
を口に入れたら同じ味がするのかな。メグの息遣いが聞こえそうだ。ママのグラスの縁にルー
ジ
ュ
がついている。タケルおじさんのグラスはきれいなままだ。もしひと口だけもらえるとしたら、タケルおじさんの方がいいな。ママはすこし早口にな
っ
ている。タケルおじさんはわざとゆ
っ
くり話す。ふたりきりのときに早口で喋られるとなんだかいらいらする。パパに向か
っ
てそう言
っ
たのはママだ
っ
たんだよ。タケルおじさんはママを見つめたまま、笑みを絶やさない。本当に満足そうに見える。もうすこしぞんざいな態度でもママは平気だけれど、穏やかな口調はママをますますう
っ
とりさせる。でも、た
っ
たひとつ、テー
ブルの下で組んだ足先が小刻みに震えている。ママの足が伸びて、おじさんの足を挟み込む。震えはすぐに静まり、足の甲を優しく撫でる。ママが小瓶を取り出した。蓋を取
っ
てワイングラスに一振りずつ入れる。注ぎ足したワイングラスを宙で合わせて、ひと息に飲み干す。「幸せになる薬」
っ
て、おじさんは言
っ
てた。も
っ
と言えば「自分たちだけ幸せになる薬」。だから見つからないように、こ
っ
そりと飲まなければならないんだよね。
薬が効き始めると、ママはおじさんに絡みついてくる。息遣いが太くなり、声は低くなる。ベ
ッ
ドルー
ムのドアが開き、天井の明かりが灯る。ベ
ッ
ドのなかでいい子に戻
っ
た私は布団の襟に鼻を隠す。布団が跳ねる。ママの身体は羽毛布団の中にうずもれて見えない。タケルおじさんの後ろ頭と背中が、サイドフレー
ムの向こうに見える。ママの息遣いは悲鳴みたいだ。夕方からいままで、ママが整えて来たものを全部かなぐり捨てている。途中でタケルおじさんは上体を起こす。そのとき、私と目が合
っ
た。逸らさない。そのまま動き続ける。顔を顰めてベ
ッ
ドに崩れ落ちるまで、おじさんは私を見続けていた。
「幸せになる薬」はママにしか効かなか
っ
たんだ。幸せにな
っ
たひとを目の前にすると、いろんなものが見えてしまう。油断したママは幸せになるたびに我を忘れていた。仰向けにな
っ
てもぽこんと突き出した下腹も、重力に引
っ
張られて横長になる顔も、肩から肘にかけてげ
っ
そりと落ちた筋肉も、汗をかくと蘇る本来の体臭も。鏡から外れたママの顔は熟睡中のそれに近づいていた。そんなママを前にして、薬の効いていないタケルおじさんはすこしずつ、キスを手のひらや指先へと置き換えてい
っ
た。そして、ママがうとうとし始めると、そ
っ
と起き上が
っ
て床に降りた。素足の足音が近づいてくる。ママよりも二歳年下のタケルおじさんの身体は浅黒か
っ
たけれども、光を受けてつやつやしていた。天井の明かりを覆う位置まで来ると、私の顔を見下ろす。目を閉じるのも忘れて、そのまま見上げる。おじさんの指先が唇に触れる。おずおずとした触り方が可愛か
っ
た。ハー
ト型の瓶のにおいがする指で、耳朶から髪の毛を撫でる。初めて女の子に触れたときにはこんなふうだ
っ
たのかもしれない。布団がめくられる。ボタンにメグの大好きな模造ルビー
をあしら
っ
た、お気に入りのパジ
ャ
マだ
っ
た。そのまま、横たわ
っ
た私を見つめる。タケルおじさんの視線が往復するたびに目を瞑
っ
てしまいそうになる。不意に、左手の甲を撫でられる。手首の手前です
っ
と離れる。パジ
ャ
マ越しに手のひらがそ
っ
となぞ
っ
てゆく。
タケルおじさんの息遣いは苦しそうだ
っ
た。我慢しなくていいのに、と思う。本当に我慢しなき
ゃ
ならなか
っ
たのは、も
っ
とずう
っ
と前でし
ょ
、おじさん?
視野の端で動くものが見えた。目を細めるふりをして横目を使う。
ママだ。
布団の上で横向きにな
っ
たまま、こちらを睨んでいる。白目がは
っ
きりと見えた。身体が動かなくなる。タケルおじさんの手がパジ
ャ
マの下に潜り込みそうにな
っ
たとき、ママは大きな唸り声を挙げた。手が引込められる。おじさんの身体が離れ、天井の明かりが顔を照らす。ベ
ッ
ドの上のママは寝返りを打
っ
て、布団の中に見えなくな
っ
ていた。
一週間が経
っ
た。
金曜日の夜、暗いベ
ッ
ドルー
ムにはドアの隙間からダイニングの明かりが漏れている。私は壁際に両足を投げ出したまま座
っ
ている。タケルおじさんはいつものようにや
っ
て来て、さ
っ
きまでママとワインを楽しんでいた。
でもね、ママ。タケルおじさんが本当に好きなのは私なんだよ。私の身体中のどこを比べても、ママは勝て
っ
こないんだから。髪も、顔も、肌も。も
っ
とずう
っ
と敏感なところだ
っ
て、私ならいつでも差し出すことができるよ。美容師さんにクレー
ムをつけて、いろんなひとに当たり散らしても、鏡の中でしか通用しないママとは大違い。
このまま、鏡の中で自分をごまかしながら、タケルおじさんに好かれている
っ
て錯覚していくつもりなの? ママの視線を外れたときのタケルおじさんの顔を知らないくせに。そんなの、惨めでし
ょ
。
今日も、「幸せになる薬」、使
っ
たんでし
ょ
。あれね、すり替えておいたの。あのあと、ママにさんざんぶたれて叩きつけられたあとに。足は折れたし、肘も動かなくな
っ
たけれど、なんとかな
っ
たよ。すこ
ぅ
しずつ、見えないくらいの動きを重ねて、ね。
でも、そ
っ
くりだ
っ
たな、パパとメグに飲ませた薬と。パパにと
っ
ては久し振りにみんなで囲むテー
ブルだ
っ
たし、メグなんか本当に喜んでたんだよ、ルビー
みたいだ
っ
て。苦いのに我慢して笑
っ
て。あれ