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第15回 てきすとぽい杯
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「なるはやで桜色に塗ってください」
 投稿時刻 : 2014.03.08 23:24 最終更新 : 2014.03.08 23:26
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- 2014.03.08 23:26:24
- 2014.03.08 23:24:24
「なるはやで桜色に塗ってください」
たこ(酢漬け)


「なるはやで桜色に塗てください」
 そんなことを言われたので、私は今こうして桜色のペンキを調合している。「なんでまた桜色なんだ」なんてことを考えるが、先方がそう言ているのだから仕方がない。私はそれに従うしかないのだ。
 桜色はピンクの中でも比較的白の配分が多い。赤と白を混ぜ合わせてピンク色を作れば、それはそれで要求に近い色ができるはずなのだが、桜をイメージする淡いピンクにするためには白を多めにして赤を薄めるのである。
 同系色の茜色や朱色、それに蘇芳なんかに比べればよぽど軽いイメージのする色である。
 ツン、と薄め液のシンナーの匂いが鼻を衝く。
 でま、そんな風にして調合された塗料を私はいろんなところに塗ていく。今回はどうやらマトリシカに塗るらしく。木彫りのマトリシカが私の机の上に並んでいる。
それも無彩色で。
 無彩色のマトリシカは材料である木がむき出しの、なんだか幾何学的な形をしていた。
 これに近い形は、私は地域のお祭りで使用するお餅を思い出すのだが、それはそれでどうでもいいことなのかもしれない。
 で、今回はそれに筆で彩色していく。エアブラシで一気にやりたい感もあるが、それだと民芸品の感触がうまく出ないそうなのだ。やはり手塗なのである。
 念のため有機ガス用のマスクをして(別にこの程度の塗装じこんな装備いらないかもしれない)さそく塗りに入る。
 平筆と細筆をメインに使う。塗料をなるたけ薄めて、伸びやすいようにしておく。背面は平筆で一気に塗てしまう。それから表側は細筆で丁寧にライン取りしておく。後から顔を書かないといけないし。
 大きいのから、小さいのを順番に。マトリシカのくびれはなかなかセクシーである。
よく、男性が女性のくびれに興奮したりするが、それと同じ魔力がマトリシカにはあるかもしれない。
 マトリシカのくびれ。その幾何学的空間は限りなく宇宙的であり神秘的である。そのカーブの曲がり方は極めて数学的であり、ニトンやオイラーまでもをこの曲線で魅了しうるのである。
 くびれ。いくら微分や積分でその解を求めようとも手に入らないあのくびれ。くびれに恋をした幾何学は宇宙の深淵に落ちてゆく。そこはきとどろどろしたなま暖かい何かが充満していてきと息が詰まりそうになるに違いない。
 それはきと、開いても開いても中身が出てくるマトリシカ的地獄だろう。だからと言て私はあきらめようとはしない。たとえ素粒子レベルになても、そのマトリシカ的地獄を泳ぎ切て見せるのだ。
 マトリシカ的地獄は無限の入れ子構造を見せ、それは終わるところを知らない。箱の中に箱がある。その箱の中にまた箱がある。またまた箱があり、また箱がある。
 そしてマトリシカ的女神。くびれ女神。いくら誠意を見せようとも、いくらお金を積もうとも、いくら尽くそうとも、マトリシカ女神は私になびくことはしない。
 無限の入れ子構造と計算と。果てなき欲望と叶うことのない夢。マトリシカの見せる悪夢に私の精神は悲鳴を上げている。桜色のマトリシカが私の方に迫てくる。やめて。どうか助けて。私を中に入れないで。あなたの中に入たらもう出てこれないかもしれない。あなたの中は無限の入れ子構造。もうだめなの。私とあなたはもうだめなの。

 #
 そんな夢を見て目を覚ました。外では鶯が鳴いている。暖かな陽気だ。桜なんてとくに散ている季節のはずだ。
 目の間にマトリシカが転がている。それは桜色に塗られていて、塗料はもう乾いていた。
 あれ、これ受注したのいつだけ。
 私の頭はずきずきと痛んだ。そんな時、突然電話が鳴る。どうやら、受注先からのようだた。
「あ、マトリシカ、できてる?」
 男性の明るい声が受話器越しに響く。
「あ、はい。何体かはできてます。残りももうすぐ終わる予定で」
「そうそう。それならオケー。ちんと納期守てね」
「はい。分かりました」
 そう言て私は電話を切た。
 桜色のマトリシカが見せた白昼夢が私を何処かへと連れ去た。私はいろんなところに行たし、どこにも行かなかた。
 ずきずき痛む頭を抱えながら私は残りの仕事に取り掛かる。また外で鶯が鳴いた。
 春が私をおかしくする。
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