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- 2014/03/08 23:44:11
- 2014/03/08 23:34:44

　僕はカッとしやすい。
　そのときも気がついたら彼女を突き飛ばしていて、あぁごめん僕が悪かったよって彼女のもとに駆け寄って、痛かったねなんていつもみたいに頭を撫でて、愛しい彼女にこんなことをしてしまう僕はなんてバカな奴なんだって自己嫌悪に陥るはずだったのに。
　彼女が倒れた床の上にはなんだか赤いものが広がっていて、体を横にして倒れた彼女は声をかけてもピクリとも動かなくなっていた。
　ちょっと力の加減を間違えた、彼女が倒れた先にテーブルの角がちょうどあった、運が悪かった、僕が悪かった？　いやそんなまさか。
　呆然と立ち尽くして自問自答を繰り返していた時だった。
　パンッとポテトチップスの袋を勢いよく開けるような、空気が弾けるような音がした。
　彼女の額から顎にかけて、大きな亀裂ができていた。血は出ていない。ただただぱっくりと、肌が割れて峡谷を作っている。
　やがてその亀裂はあごを通過して首に向かい、服の下に伸びて行った。彼女の顔は包丁で魚のお腹をさばいたみたいにぱっくりと割れていて、どちらかと言わなくても丸い目と控えめな鼻口はかわいらしかったのに、左右に別れたそれらは目をそむけたくなるくらい醜いものに変わっていた。顔のパーツをバラバラにして遊ぶ福笑いのリアルバージョンを見ているみたいだ。あんなにも愛しかった個々のパーツが、バランスを崩すだけでこんなにも醜悪なものになるとは。
　何が起こったのかわからなくて、彼女にできた裂け目を見ていた。すると。
　がばっと彼女は上半身を起こした。そして自ら顔の裂け目に両手をかけると。
　思い切り左右に皮膚を引っぱった。
　ビリビリビリ、という筋繊維が裂ける嫌な音がして、声にならない悲鳴が喉の奥から漏れた。ぎゅっと目をつむる。ビリビリはまだ続いている。
「あー、びっくりした」
　なんとも呑気なその声に、ゆっくりと目蓋を開いた。
　彼女の顔はもう裂けてはいなかった。その代わり、その首の周りには取り出したばかりのホルモンみたいな、つやつやした桜色をした皮がマフラーみたいについていた。彼女はやたらと伸縮性があるらしいその皮を引っぱっている。
「脱皮しちゃったみたい」

　風呂場で残りの皮もむいてきた彼女は、一回り小さくなっていた。さっきまで着ていた服がぶかぶかで、袖が余って指先がちょっと覗くくらいになっている。身長も十センチくらい縮んだみたいだ。
　皮をはいだついでにシャワーを浴びたらしい彼女の髪はまだ濡れていたが、僕はそっと手を置いてみた。確かに彼女の髪だった。そのまま顎や首にも触れてみる。ちょっと小さいけど、覚えのある感触だ。
「びっくりしちゃった。思わず死んじゃったじゃない」
　彼女はからっと笑う。
「気をつけてよね」
「うん、ごめんね」
　抱きしめた彼女は小さくて、中学生くらいの女の子を抱きしめているような錯覚がした。
　彼女は僕の手を引き、風呂場につれていった。彼女が脱いだ皮があった。引っくり返った皮の内側は先ほど目にした桜色で、外側は当然、僕が知っている彼女の肌そのままだった。手の爪や髪の毛はついたままで、それも僕が知っている彼女そのままだった。彼女が二人に増えたような気が一瞬したが、すぐに自分が握っている彼女の少し小さくなった手の感触を思い出し、強く握り返した。
「これ、どうしたらいいと思う？」
　どうしたら、と言われても。
「燃えるゴミに出したら……騒ぎになるよね」
　バラバラ死体として扱われそうだ。
「私の皮をゴミに出すの！？」
　急に険しい顔になった彼女に、そんなことしないよ、と必死に謝る。彼女にひどいことをしてしまったばかりなので、今の僕は立場が弱い。
「でも、どうしたらいいかな」
「いいこと思いついた。食べましょう」
　ぽんっと手を叩くと、彼女はシャワーのノズルを捻った。彼女は頭からお湯をかぶってしまうが、気にした様子もなく、拾い上げた皮をお湯に晒し、端っこから順番に伸ばして両手でこすっていく。
「今までお世話になった私の皮なのよ。食べて栄養にするのが一番の供養だわ」
　皮を隅から隅まで丁寧に洗い、どこにそんなものを持っていたのか、梅酒でも作れそうな大瓶を抱えて持ってきて、彼女はその中に切り取った髪の毛や爪を入れた。これは食べられなそうだから、大事にしまっておく、だそうだ。
　残りの皮は小分けにしてジップロックにしまい、冷凍した。それから約二週間、彼女は毎朝自分の皮で色んな料理をこしらえた。
　彼女が作る料理は基本的においしい。料理上手な点も僕が彼女を大好きな理由の一つだった。けど、さすがに彼女を食べるのは僕の本能に近い部分が拒否をした。人として超えてはいけない一線のような気がしたのだ。
　けど、彼女は自分の皮を使った料理しか作ってくれなかった。唐揚げ、フライ、トマト煮込み、カレー。スーパーのお惣菜ばかりを食べていた僕だったが、彼女の料理が食べたくて食べたくて、一週間が経ったある日、とうとう我慢できなくなった。
　彼女の皮の煮込みは、これまでに食べたどんな料理よりもおいしかった。自分が踏みとどまっていた一線のなんとばかばかしかったことか。
　こうして、僕は彼女と一緒に彼女の皮を毎日食べるようになった。
　けど、どんなに美味しい皮でも、いつかは尽きる。
「これで最後なの」
　彼女がそう告げたとき、僕は絶望のあまり彼女に掴みかかった。そんな悲しいことを言わないでほしかった、ただそれだけなのに。
　彼女は足を滑らせ、引っくり返った。そのまま動かなくなった。
　――数分後。
　倒れた彼女の顔が、ぱっくりと割れた。

　彼女はまた一回り小さくなった。
　身長はさらに縮み、小学生くらいの大きさになった。小さくなったのが身長だけならよかったのに、彼女の体はドラえもんのひみつ道具・スモールライトを当てたように全体が小さくなってしまった。ちょっと、人として不自然なレベルで、僕は彼女を隠すことにした。彼女はこれからどうしたらいいの、としくしく涙をこぼしたが、僕は優しく抱きしめた。すべては僕の責任だから、僕がこれからも君を守っていく、と。
　こうして、また彼女の皮を僕は堪能できるようになった。
　だけどやっぱり、皮には終わりがやってくる。
　冷凍保存していた皮がなくなるやいなや、彼女は僕を見て怯えた表情を見せた。いや、理由はわかるんだけどさ。僕は彼女の皮が食べたくて仕方がなかったんだけど、小さな彼女に首を振って優しく笑んだ。僕は君を守るって決めたんだ。もう酷いことはしないよと。
　その晩、彼女が眠っている隙に、その頭を叩き割った。
　びっくりして目を覚ました彼女の顔はまた割れて、さらに小さな彼女がその中から出てきた。嘘つき、サイテイ、ヒトデナシ！　と僕をなじって泣きながら叩く彼女はでもあまりに小さくて、身長一メートルもなかった。叩かれてもまったく痛くない。
　脱いだ皮は無駄にはできない。小さな彼女にもはやキッチンに立つことは難しくなっていたので、僕は彼女に教わりながら料理を始めた。泣いて怒った彼女だったが、皮をぞんざいに扱われるよりはマシと思ったのか、料理自体は懇切丁寧に教えてくれて、僕はますます彼女を好きになった。
　小さくなった彼女の皮だったので、あっという間になくなってしまった。
　最後の皮スープを飲み干したあと、隠し持っていたハンマーで食卓の向こうに座っていた彼女を殴った。倒れた彼女の顔がパックリ割れて、出てきた彼女はちょっと大きなお人形さんくらいのサイズになっていた。
　ごめんよ、とハンマーを投げ捨て、両手で小さく小さくなった彼女を抱いた僕に、彼女は意地悪く笑った。
「もう脱皮はできないよ」

　今回冷凍した皮が本当に本当の最後。
　もったいなくてもったいなくて、僕はなかなかそれに手を伸ばせなかった。けど、お腹は空く。欲望には勝てない。一週間で僕の断皮生活は幕を降ろした。
　我慢していたせいで、三日も経たずに皮はなくなってしまった。僕は声を上げて泣いた。そんな僕の背中を彼女は優しくさすってくれる。大丈夫、大丈夫、と赤子に話しかけるような声をかける。
「いい考えがあるの」
　今日はもうゆっくり休んで、とお人形さんみたいな手で僕の手を掴んでくれる。こんなに小さくなっても僕を気遣ってくれる彼女を、僕は心から愛しいと思った。
「だから、あなたはなるはやでベッドに入って」
　なるはや、だなんて物言いにちょっと笑って、わかったよ、と僕は立ち上がった。
　ぐずぐずと鼻をすすりながらパジャマに着替え、ベッドに横になった。オレンジ色の豆電球でぼんやりとした寝室に僕は一人でいる。こんなときこそ、人形のように――いや、もはや人形と区別がつかないかわいらしさの彼女を抱きしめたいのに。口の中に溢れてやまない唾液を飲み込みながら、もんもんとしているときだった。
　ガタン、と何かが倒れるような音がした。
　黒い影が僕の顔目がけて近づいてきた。それがベッドの脇に置いていた電気スタンドであると気づいたときには、視界がブラックアウトした。

「……気がついた？」
　彼女の声に、意識を取り戻す。なんだか体全体がごわごわしていて、うまく動けない。
「最初はみんなそんなものなのよ」
　聞き覚えのある、ビリビリビリ、という皮が裂ける嫌な音がして、僕の視界が開けた。
　お人形さんの彼女が僕の顔を見下ろしていた。
「今度はあなたの番よ」
　ゆっくりと体を起こし、顎から首にかけてまとわりついているごわごわした何か――皮膚と髪の毛の感触に気がついた。
「あなたは何回、脱皮できるかしら」

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