てきすとぽい
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第15回 てきすとぽい杯
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さあ、旅立とう
(
みお
)
投稿時刻 : 2014.03.08 23:36
字数 : 4180
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さあ、旅立とう
みお
思えば、入
っ
た職場が悪か
っ
た。広告代理店。紙だけじ
ゃ
なくプログラムだ
っ
て何だ
っ
てする。分か
っ
てはいたが、この業界は一年通して忙しい。
別に人が死ぬわけでもあるまいに、「なるはやで」「それは早めにコンセンサスを取
っ
て
……
」馬鹿らしい。言葉もまともに使えないのか。
……
なんてこと、心中愚痴
っ
ていたのは入社一年まで。
後輩に対して、平然とその言葉を使い始めたとき「俺も社畜にな
っ
たもんだ」と一也は煙草の煙を眺めながらそう思
っ
た。
「先輩、呪いのマトリ
ョ
ー
シカ人形
っ
て知
っ
てます?」
後輩の高木がそう囁いてきたのは、深夜1時のことだ。
今夜はもう帰宅を諦めた。目の前のパソコンの画面からは、延々とエラー
メ
ッ
セー
ジが放たれている。プログラムの不具合だ。しかし、どこがおかしいのか、どう弄
っ
ても分からない。
たぶん、睡眠不足のせいである。
ここ一
ヶ
月、平均睡眠時間は3時間。休日もない。終電ででも、帰宅出来れば御の字で、大体が会社にお泊まりだ。そんなことに不平不満を感じる心さえ、疲弊した。
睡眠不足の目を擦り擦り、黒い画面の青い文字を必死に追う一也には、高木の言葉が飛び飛びにしか聞こえてこない。
「先輩、疲れすぎてません?」
「そり
ゃ
おまえ
……
いや、別に疲れてなんかないさ。これも仕事だからな」
高木は、一也を心配するように見つめてくる。まだ若い高木は、OBでもある一也に憧れてこの会社に入
っ
たと豪語している。
わざわざこんな会社に。と一也は思う。自分のせいで彼を地獄に付き合わせたか。と後悔することもある。
「先輩ち
ょ
っ
とは休んでくださいよ」
「
……
休めないよ。俺しか、プログラムいじれないんだし。
……
で、呪い? なんだそれ」
「マトリ
ョ
ー
シカ、ほら。これですよ。今す
っ
ごく流行
っ
てるんです」
高木は残業がそんなに楽しいのか、若い目をキラキラ輝かせながら一也の前に一つの人形を置いた。
それは、コケシのような形をしたサイケデリ
ッ
クな色合いの人形である。
「中を開けると、なんと11個」
高木が人形を捻ると中からもう一つの人形。それを捻るとまた人形
……
それは10回繰り返された。
なるほど、ロシアのマトリ
ョ
ー
シカ人形だ。多少、顔付きは和風な気がするが。
「
……
で?」
プログラムは不具合を起こし
っ
ぱなし。とうとう熱を持ち始めたパソコンから手を離し、一也は煙草に火を付ける。オフ
ィ
スは禁煙だが、こんな深夜、残
っ
て居るのは二人だけ。誰も文句など言わないだろう。
「呪い。
っ
てい
っ
てるのは後ろ暗いことがあるやつらだけですよ、じつはこの人形
……
」
高木はいやな笑みを浮かべて一也の耳に囁く。
「このマトリ
ョ
ー
シカに祈ると、恨みを晴らせるんです
っ
て。11人までですけどね。この人形の大きさが呪いの大きさ。人形の身体に呪いたい相手の名前を書いていれると
……
」
高木は言葉を止めない。オフ
ィ
スの電気は8割消している。そんな暗闇の中で囁くその言葉は不気味に響いた。
「ほら、一番小さなマトリ
ョ
ー
シカも開くようにな
っ
てるでし
ょ
。この中に入れるんですよ」
「はは。なんだそんな馬鹿みたいな」
「馬鹿
っ
ていわないでくださいよう。これす
っ
げえ流行
っ
てて、俺も買うの苦労したんですから」
「買
っ
たのか。お前なあ、金は大事に使えよ。そんなに高くないんだから、この会社の給料は」
パソコンの画面はす
っ
かり冷えた。手の煙草も半分以上灰にな
っ
てる。一也はそれをもみ消して大きく伸びをした。
「しかし。そんなものが流行るなんて、世も末だな」
「試しになんか入れてみません? 先輩」
「そうさなあ
……
」
正直、疲れていた。
納期は毎日来る。呑気な営業は、現場の人間の気持ちも知らず、仕事を取
っ
てきて投げるばかり。しかも俺が会社を回してるんだ。なんてデカイ顔をする奴もいる。くそくらえ、実際会社を支えているのは一也のような現場の人間だ。
「じ
ゃ
あ、そのち
っ
こい奴に、営業の
……
山田。あいつの名前を書こうか。そもそも、この残業はあいつの取
っ
てきた短納期の仕事のせいだし」
「いい
っ
すね!」
若さだろうか。高木ははし
ゃ
ぎながら付箋紙に山田と書いて、マトリ
ョ
ー
シカにしまいこむ。酷い悪筆で、これじ
ゃ
肝心の呪う対象も分からないだろう。と一也は苦笑する。
「
……
はい。休憩は終わりだ。仕事にもどる」
「これ、納期いつです?」
「なるはやだ」
さ
っ
きまで吸
っ
ていた煙草の残り香が苦く口の中に蘇
っ
た。
事件を知
っ
たのは、数日後のことである。
営業の山田が、階段から足を踏み外して骨折したのだという。高木は興奮しきりの顔で一也に語り、一也は驚きのあまり手からコー
ヒー
をおとしかけた。
しかし。
「
……
偶然だ、偶然」
引きつるように笑
っ
て、一也は手を振
っ
てみせる。名前を書いただけで骨を折
っ
た? そんな馬鹿な!
「えー
先輩。絶対呪い
っ
すよ。じ
ゃ
、次は中ぐらいの試しまし
ょ
うよ」
嫌だ。と一也は思
っ
たが口にはできなか
っ
た。高木は悪戯少年の顔をしている。ここで止めようと言えば、一也がマトリ
ョ
ー
シカを信じていることになるし、恐れていると思われるだろう。先輩としての沽券に関わる。
「もう一気にいきまし
ょ
。そんで一気に事件が起きたら先輩だ
っ
て信じるでし
ょ
」
「じ
ゃ
あ
……
」
名前を出したのは、ほんの気紛れ。ち
ょ
っ
と気にくわない上司、営業、取引先。
何とか名前を捻り出せた9名分、名前を仕込まれたマトリ
ョ
ー
シカは、一也のロ
ッ
カー
に安置された。
そして数日後。
「
……
営業の●さんは交通事故で意識不明。課長は突然、電車に飛び込んで
……
取引先の●さんは
……
」
通り魔に殺されました。
と、高木が珍しく真剣な顔で言
っ
て来たとき、一也は初めて吐き気を覚えた。
「嘘だ」
「本当
っ
す」
「じ
ゃ
ああれは」
二人はロ
ッ
カー
に走る。周囲を見渡し、恐る恐る人形を見る。一番小さな人形から延々10個目までそのサイケデリ
ッ
クな身体の中には名前が書かれた付箋紙が収ま
っ
ている。
一番大きな人形にだけは、何も名前が仕込まれていない。仕込まなくてよか
っ
た。と一也は思う。被害者は10名で留められたのだ。
「
……
このことは、忘れよう」
「
……
」
今度
……
いつくるか分からないが
……
休日の時にでも寺に持
っ
てい
っ
て、燃やしてもらおう。一也は神妙にそんなことを思
っ
た。
呪いなど、実際は無いのかもしれない。しかし、名前を書いた人物だけが事件に巻き込まれた。それは隠しようのない事実である。
「
……
ねえ、先輩。このマトリ
ョ
ー
シカ、何かに似てません?」
「もう見るな。忘れようぜこのことは」
「いや、見て下さいよ」
高木は恐る恐る、それを持ち上げた。マトリ
ョ
ー
シカは笑うような、悲しむような顔をしている。不思議と引き込まれる顔だ。
「11個あるところからもピンときました
……
11面観音に似てる気がしません?」
言われてみればどことなく仏像に似ている気もする。しかしそう考えてぞ
っ
とした。仏が人を呪うのか。
「11面観音は、苦しむ人を見つけるためにこれだけの顔がある
っ
ていわれてるんです。苦しむ人がいたら、すぐに救えるように」
一つ一つ顔が異なるのは、それぞれの役割があるからだろう。一番大きなマトリ
ョ
ー
シカは穏やかな、まさに仏像前とした顔をしている。
「それが人を
……
殺したり、呪うなんて」
「この世は苦しみである。というのが仏教でし
ょ
? じ
ゃ
あ、死ぬことは救いの
……
」
高木が真剣な表情でマトリ
ョ
ー
シカを見つめている。その目の奥が、らんと輝いてるのをみて一也の背筋が凍る。
「マトリ
ョ
ー
シカからすると、救われることなのかもしれない」
「おいおい
……
妙な事をいうなよ。お前、ち
ょ
っ
と変だぞ。仕事に疲れたか?」
冗談めいて声をかけるが、高木の顔付きは変わらない。何かを決意したような、その目つき。
「
……
先輩、俺、先輩をまじで尊敬してます」
高木の声と、館内放送の声が重なる。
会議をはじめます。皆さんすぐに会議室に集ま
っ
てください。
呑気なアナウンスの下。高木だけが不気味なほどに真面目な顔をして一也を見つめている。
ここはどこだ。と、一也は思
っ
た。
良い香りがする。そして暖かい。確か季節は冬だ
っ
たはずなのに、ここは春のような心地よさ。
どこかに寝転んでいるらしい。背は温かく、柔らかい。最高級のベ
ッ
ドに寝転が
っ
ているようだ。
「
……
ああ」
春のはずだ。一也は思
っ
た。目の前は見事な桜の園。花弁が風に踊
っ
ている。桜色の風が吹いている。
花見なんて、もう十年はしていない。春は一番忙しい時で
……
。
そこまで考えたとき、一也の目がは
っ
きりと覚める。
「まずい、仕事の納期!」
立ち上がると、目の前が揺らいだ。目前はどこまでも続く桜の園。こんなに見事な場所なのに、誰もいない。
花見は人がいるからいいのである。誰一人いない桜の園は、恐怖しかない。
「
……
ここは、どこだ」
ぽとりと目の前に人形が落ちてくる。それはかの、マトリ
ョ
ー
シカである。
恐る恐る拾い上げ、捻
っ
て開ける。しかし中にあ
っ
たはずの10個の人形はもう無か
っ
た。闇だけである。
ひ
っ
くり返すと、一枚の紙がひらりと舞い落ちる。
……
それは。
「あなたは来世に旅立ちます」
身体をぱくりと割られたマトリ
ョ
ー
シカが、慈悲の声で喋る。口は開いていないが、確かにマトリ
ョ
ー
シカの声である。
男とも女ともつかない。穏やかな声である。
「いつ、旅立ちまし
ょ
うか」
一也はマトリ
ョ
ー
シカを掴んだまま唖然と立ちつくす。そして叫ぶ。その声は桜に吸い込まれる。叫び疲れたあと、やがて全てを悟
っ
た顔をして微笑んだ。
「いつ旅立ちますか?」
「なるはや
……
いや」
問いかけるマトリ
ョ
ー
シカを見つめる。まるで笑
っ
ているようだ。それは、嫌な微笑みじ
ゃ
ない。それは慈愛だ。一也の新しい旅立ちを喜ぶ顔だ。
一也はゆ
っ
くりと大地に腰を落とした、空は晴天。舞い散る桜は青空に広が
っ
て、それはそれは見事な風景である。