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【BNSK】月末品評会 inてきすとぽい
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不等価交換  作:◆Gr.Ti1RX5s氏
 投稿時刻 : 2014.03.30 09:15
 字数 : 6113
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不等価交換  作:◆Gr.Ti1RX5s氏
◆BNSK.80yf2


 瞼をゆくりと上げると、闇に沈み込んだ天井が目に付いた。板張り、だろうか。浮かび上がる継ぎ目とは対照的に、木目は煤に黒ずんで姿を隠していた。十分に暖まるとは思えない煉瓦造りの小さな暖炉。外から入り込んでくる朱色を帯びた薄い明かりに照らし出された箪笥や机を見ながら段々と視線を下ろしていくと、床一面に描かれた魔法陣の外側、殺風景な家の片隅に、案外にも若い男が立ていて驚きを覚えた。
「お前か、私を喚んだのは」
 喜びに満ちた瞳で見上げてくる男に、哀れみを込めて声をかけた。
「俺だ」
 言葉少なに、けれども熱の籠もた視線と共に男が答える。その期待に満ちた様子に溜め息を堪えながら足下の魔法陣を見やた。そこには一字たりとも綴りの誤りなく、自分の名前が書かれていた。
 暇を持て余した悪魔を呼び出す為ではなく、望みの悪魔を呼び出す為の陣だ。
「残念だたな。お前は喚び出す相手を間違えた」
……いや」
「あの方と私は名は似ているが、全く別の存在だ。あの方は確かに存在しているが、召還に応じることはまずないから、喚び直そうとしても無駄だがな。まあ、この文字を理解していたら誤りなどしなかただろうが……
 わずかに興奮の色が褪せた表情をした男に笑いかけながら言葉を続ける。あの御方のお陰でいくらか美味しい思いをしてきた。高位のあの御方ほどではないがそれなりに力はある。
 一般的なというにはどこか暗い陰を纏た男から感じる、強い欲求に笑みがこぼれそうだた。欲望が混じりがなく純粋で一途であるほど、代価となる報酬は純度を増して蕩けるような味になる。
「私がお前の願いを叶えようか。まずは聞こう。悪魔に縋るほどの何を抱えている?」
 寛大な振りをして強引に話を進める。
 まずは契約を結ばなければいけない。望みを叶えた場合、代価は必ず払われなければならない。正当なる取引は、取り決められた条件が遂行された場合にのみ完了したと認められる。
 怯えさえ欠片もなく、熱を宿した瞳と向かい合う。
「俺は……
 言いかけた男が言葉を切り、瞼を伏せて足下を向いた。
「なにが望みだ。悪魔を喚び出し、何もない、というわけではないだろう?」
……昔、幼い頃に、一瞬の一時を共にした相手がいる。楽しいことなど何もない愛想としがらみばかりの人生に、十にもならないながらに嫌気がさし、屋敷の裏庭から生垣を抜けたときのことだ」
「その相手と会いたいのか」
 そんな些細な願いなのか。呆気のない内容に落胆した。これでは魂を要求することは難しいだろう。
 一つの欲の気配しか見せない男。その魂に未練を感じながら、冷静になるように家の中を見渡す。屋敷とはとても言えない庶民の家。ベドと箪笥、机以外には書物さえろくにない、埃ぽくも思える生活感の薄い空間。
「会うことが願いなのではない。あの子に俺をあの時の相手だと認識してもらい、名を呼んでもらいたいんだ」
「あの子、とやらがもうこの世にはいなかた場合は? 思うような存在にはなていなかた場合も、その瞬間に罵倒された場合も、願いは叶えたとして代価は払てもらうが、文句は言わないな?」
 遠回しに尋ねる。まあ、魂までは無理でも美味しい思いは何か出来るだろう。
 契約の不備による破棄を防ぐために、考えられる可能性を提示する。既に輪廻の輪に乗ている可能性も否めない。
「この世にいない場合は、出来る限りを尽くしてもらいたい。どんな存在になたとしてもあの子はあの子だ。死して人外の物になていても、輪廻の壷に入ていなければ此の世と彼の世の何処かには存在しているのだろう」
「ほう。嘘偽りばかりとされる書物も是とするのか」
「ああ」
「願いの代価として何を差し出す」
「魂だ」
 男の顔を見る。火の灯されていない薄暗い空間で見やたその表情は、至極真面目で、願いは既に叶たとでも言うように満ち足りていた。
「生憎、俺は俺自身しか持ち合わせていない」
「是、としよう。もしあの子とやらが私の力よりも上の存在となていた場合、そのときはその願いを叶えることは不可能だ。聖職者である場合も難しい。そのときは契約を互いに無効とする。それでも良いか」
「良い」
 ああ、こんな話が有ていいのだろうか。震えそうになる声を必死で押さえ込み、今にも溢れそうになる欲望の器に蓋をする。
 珍しいほど、欲に対して愚直でそして欲の浅い男に出会えたのだろうか。それとも愚かな男なのだろうか。この契約ならば、決して損はしない。いや、無駄な時間となてしまうことはあるにせよ、何もかもが有利だ。
 これが若さなのだろう。この男は、遠い幻のような過去に出会たあの子とやらのために、全てを投げ出そうというのだ。これが、愛なのだろうか。恋情などという瞬間的で不確かな物に己さえ省みず悪魔に捧げられてしまう衝動。愚かだ。
 いや、冷静にならなければならない。
 蕩けそうなほどの欲に染また男から視線を外し、すかり闇へと落ち込んだ外の景色へと目を向ける。
 この男が悪魔殺しの可能性はないのだろうか。しかし聖の気配はかすかにさえ感じはしない。同族の気配もない。もし残酷な性質の上級悪魔だたとしても、この内容だたら私に害を与えることは出来ないだろう。余りに力量差が大きい場合、魂を喰らう際に力を吸収しきれず命を失うかもしれないが。そもそも、魂の欠片を失た悪魔の方も消えない傷が残るのだから、その線はまずあり得ない。己よりも下位の悪魔に、という汚名を一生背負うことになるのだ。
 プライドの高い悪魔にとて死よりも恐ろしい屈辱。私も、昔では考えられないくらいに自己愛が強くなた。
「では、あの子とやらにお前のことを思い出させ、名を呼ばせる。私がこの契約を果たすことは不可能だと判断した場合、双方契約の鎖から解き放たれ全てが無効となる。私がこの願いを叶えた場合は」
「ああ。代価として俺の魂を食らてくれ」
「よかろう」
 男に向かて手を伸ばす。冷たい月明かりに浮かび上がていた精悍な顔が、空中に生じた魔法陣の青白い光を受けて陰を濃くした。円や記号が幾重にも重なり複雑な模様を生み出し、外側の二重の円に沿うように文字が入り込んで契約の言葉を刻む。
「契約者、お前の名は」
「ヴイデル・クロン」
「ヴイデル。お前の願いは、代行者に聞き入れられた」
 魔法陣に男の名前と自分の名前を刻み込む。一層強く、眩しいくらいの輝きを放ちながら、揺らめいた陣は同じ姿を留めたまま二つに分裂し、男と私の胸へとそれぞれ融け込んでいた。これで、この甘美な欲望の塊は私の物だ。 
 弾力のある塊を喰いちぎり、溢れ出す濃厚で芳醇な気を口にする瞬間を思い出す。広がる甘みを帯びた香り。のどを潤し胃へと落ち体の底から満たされていく至福の時。これほどの純粋な欲だ。きと、今までに口にした何よりも勝る味をしているはずだ。
 興奮に震える体を抱きしめる。幸せを噛み締めるような表情で胸を押さえる男を見やた。
 気が早い人間だ。最も、失せ物探しなど悪魔にとては造作もない事だから、間違いではない。
 契約は代価を要求し、合意を以て締結される。悪魔の契約は取引だ。契約者は代価を払わなければいけない。
「それで、あの子とはどんな人間だ」
 そして、代行者として悪魔は必ず契約者の願いを叶えなければならない。
「俺が昔住んでいた屋敷に通いで来ていた使用人の子供だ。人手不足のときには手伝いもしていたな。リズ、という愛称で呼ばれていた。歳は同じくらいだたと思う」
「リズ、か」
 ありふれた愛称だ。私も同じように呼ばれていた。もう何十年も、いや、百年以上昔の事だが。
「避暑の為の屋敷だたから、一夏を過ごす間だけの滞在だた。最も、父が政争に負けて没落するまでだがな」
 語りながら男が蝋燭に火を灯し、一人分の食事でも置けば場所がなくなりそうな机に置く。柔らかな光が家の中を照らしだして壁に男の影を映した。揺れ動く影を視界の片隅に見ながら、そういえばと男の案外にも品のある静かな動作に納得がいた。このようなありふれた家に住んでいる人間が、小難しい言葉で書かれているはずの魔術書を読めた理由も。
「それで、没落してからは会えなくなたのだな。リズに」
「そうだ」
「そういえば先ほど、十歳にもならない頃、といていたな。ということは十年以上前のことか。なんとも一途なことだ」
「仕方がない」
 ベドに座り込んだ男は、口の端を少しあげてこちらを見つめてきた。視線が絡む。細められた目にはネトリとした暗い熱が宿ていた。
 昔の主人に覚えていてもらえることは光栄だろう。しかし、悪魔まで呼ぶような男に執着されるとは同情する。静かに身振り少なく思考を巡らせる目の前の男は名を呼ばれるだけで満足するようには到底見えなかた。名と居場所を知られたリズはどれほど求められ追いつめられるのだろうか。この男の魂を喰らうのを待て、様子を見たいような気もする。
 場合によては、リズもまた私の契約者になるだろう。
 うそりと笑みを刻む。
「では、リズを探そうか。使い魔がお前の記憶に触れるがいいな?」
「ああ」
 使い魔を呼び出す。手の上に現れた蝙蝠は小さな体を震わせ、私の指に足でしがみつきぶら下がた。蝋燭の明かりを受けて影に彩られた男の顔を、使い魔は見透かすように静かな瞳で見始めた。
 男が陶酔したような表情を深める。小柄な獣はいつまでも記憶を探り続けていた。
 いつもより記憶の探索時間が長い。使い魔に声をかけようとすると、黒真珠のような一対の瞳と目があた。ようやく終わたのか。
 リズを探しに行くよう促す。けれども、小首を傾げた蝙蝠は指を離れず、不思議そうに見上げてくるだけだた。
「リズと会たのは、この王都より北の地、馬車で一週間かかるガーラという地だた」
 いつにない使い魔の様子を窺ていると、男がぽつりと語り始めた。
 ガーラ。懐かしい地名にわずかな郷愁を覚える。そういえば、父母が使えていた主は、なんという家名だただろうか。遠い記憶は朧気で、よみがえてはこなかた。
 優秀な使用人になるために隣町へ修行に行き、帰て来ようとしたころにはその家は途絶えてしまていた。結局、正式に使用人として仕えることはなかたから、父母の話してくれた思い出話だけがあの方々に対する記憶だたと思う。
「リズを知た次の夏も、その次も、声をかける事が出来ずに無為に過ごしてしまた。リズは乳母でも執事でもなんでもない使用人の子だたからな。けれど、リズを屋敷で見かけなくなたときに酷く後悔し、父上があの領土を手放すことになた頃には奥手だた自分に怒りを覚えて政敵も自分も家族もあらゆるものが恨みの対象になた」
「そうか」
「必ずリズを手に入れる。機会はもう逃さない。あのとき、そう、決心した」
 男が立ち上がる。見つめてくる瞳は強く熱を孕み、まるで愛しい者を見るかのようだ。
「リズ。君を見つけることが出来たとき、俺は運命の神に例えようもないほど感謝した」
 ゆくりとした足取りで目の前に迫た男の手が頬に触れる。動くことが出来ず、愛でるように優しく肌の上を滑るすべらかな感触を感じた。
 馬鹿な。
「まさ、か……
「成人後流行病で死んだ俺は、気がついた時には人外の存在となていた。死してようやく家に縛られない身となり、リズを探し始め、何十年と見つけることが出来ず諦めかけていたのだけれど」
 両頬に手が添えられて顔が固定される。喜色に満ちた表情を浮かべる男は、そういえば、遠く記憶に残るあの方に似た雰囲気が有るような気がする。あの、儚い日々を共に過ごした、屋敷の主人のご子息に。
 次第に記憶が鮮明によみがえる。そう、確かにこの方だ。絵姿で見た屋敷の主人によく似ている。あの日々の面影がある。どこかで術が展開されている気配を感じながら、しかし打ち消すことは出来なかた。抵抗することが出来なかた。
幼心に感じたこの方こそが主であるという思いは、望みがついえた絶望にも長きに渡る年月にも、消えずに残ていたのだろうか。
「ご、子息様……、ヴ………
 声が震える。覗き込んでくる顔を見上げながら、柔らかな木陰で教えていただいた名前だけが心中で響きわたていた。
「リズ。俺達は既に契約の鎖に結ばれている。選べ。俺の名を呼ばずに永遠に契約に結ばれ続けるか、名を呼び魂を喰らい、上位の力に潰される前に隷属の鎖に縛られるか」
 選べ。圧倒的な力の籠もた声に晒される。
 何を選べというのか。どちらにしても、主と共にいる選択肢しか残されていない。隷属の鎖から解放された瞬間、主からの力の供給が途絶えて私は本来の運命通りに消滅する。契約の鎖は絶対であり、代行者と契約者が全てを履行するまで消えることはない。
 リズは私だ。私が私の力を越えることはなく、そして私はリズを見つけてしまた。契約は破棄条件を満たすことが出来ない場所まで進んでしまた。
「わたし、は……
 真直ぐに刺さるような瞳から視線を逸らすことは出来ず、よみがえてしまた幼き日の思いは、ここ百年で感じたことのない、あらがうことの出来ないような何かがあた。
 そう、選べることはただ一つだ。
 この方の名を呼ぶことが出来る未来か、拙い反抗として決して名を呼ぶことのない未来だ。その、どちらか一つだ。
「わたし、は」
 主の笑みが深まる。その背後に、蝋燭の火を受けてぼんやりと浮かび上がる大きな刃があるような気がした。
 ああ、今の主は。
 悪魔にも力を気付かれずに近づくことの出来る存在。我々と同じく闇の配下として生きる者であり、そして同時に別の理に支配された種族。
 万人に等しく終焉を突きつける執行者。
……さま、……デル、さ、ま」
 悪魔という種族は、欲望に敏感だ。特に、純度が高く強い欲望に。対価を得るためには他者の欲望を満たさなければいけない。他者の望みに敏感でなければ、そうそうに味わうことなど出来ない。
 そして、他者だけではない。己の欲求に対しても非常に正直だ。なぜかは知らない。しかし、それが、悪魔という生き物だ。
「ヴイデル、さま。ヴイデルさま、ヴイデル様……
 私と主との間に青白い光が生まれる。契約の時に互いに刻み込まれた魔法陣が展開された。その中心に、主へと細い糸でつながた光の玉が姿を現した。目が、眩みそうだ。月よりも沈みゆく太陽よりも強く輝く、主の全て。聖職者の白い衣よりも白く美しいこれを、この汚れた身で触れても良いのだろうか。この、全ての根源を。
 葛藤が胸を苛む。けれども、欲望が抑えきれない。
 主の顔を見上げる。許すようにゆくりと頷くそのようすにただ喜びが胸を詰まらせ、見下ろした場所に浮かぶ光球を手で包みこみ抱きよせた。口付けをし弾力のある魂に牙を立てる。口に広がる芳醇な味わい。臓の奥がざわつく。
 果たして私の一番の望みは、この主に仕えることなのだろうか。それとも、甘美な魂を味わうことだたのだろうか。
 背中にのばされた腕に引き寄せられ、砕けそうになる腰と震える体を支えられながら、墜ちていく意識の片隅に主と色が交わていく気配を感じた。
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