ロボットの見る夢
高層ビルが建ち並ぶ町に茜色の夕闇が広がり、熟柿のような太陽が西の地平線に沈んでいく。道を走る車のヘ
ッドライトが闇を切り裂く頃、彼はようやく目を覚ました。
「オキャクサマ」
固い関節、重い頭、たどたどしい滑舌。
それでも市営電車の社員を現す深緑色の制服を着こなして、彼はよろめきながら電車の中を闊歩する。
「オキャクサマ、シュウテンデス」
車内はすっかり真っ暗闇。電源は全て落ちた。隙間から、寒の戻りの冷たい風が吹く……いや、吹いている。彼の身体に備えられた、温度計がそれを示している。人間にとって、この気温は酷く寒いはずだった。
「オキャクサマ、シュウテン」
「これだからポンコツは」
コツン、と何かが彼の頭を叩いた。彼はミシミシと、金属の音を立てて振り返る。そこに、赤い顔をした男が立っている。
「オキャクサマ、アシモト、オキヲツケテ」
「おいおい、生意気にもアルコール検知付きか。このポンコツ」
「やめなよ、ロボットをからかうのは」
「電車で客を起こすロボットねえ……昔は沢山いたもんだが、まだあったのか。この路線、いよいよヤバイな。どこの会社も、もうこんなのもいねえよ。今じゃ、もっと高性能だ。アナログなんだよ、ここはさ」
男は酷く酔っている。彼は首を傾げる。この時間、電気の落ちた車内に人が居ては危険なのだ。どんな事故に繋がるかも分からない。
だから、彼はお客様を無事に帰す義務があった。
「オキャクサマ、シュウテン」
「わあってるよ」
吐き捨てて、男は彼の頭を傘で殴り付ける。彼はよろめくも、倒れることはなかった。重心がしっかりと作られているのだ。しかし、頭に付けられたライトが赤く、青く、黄色く点滅した。
「やめなよ、壊れたら弁償だぜ。こんなのでも高いんだ」
「俺は腹がたつんだ。こんなロボットのせいで、俺等の若い頃はさんざ苦労した。ロボットに仕事取られてよ。まあ、その頃のロボットもこうして用済みになって、いまじゃこのザマさ。人間様の苦労をちったあ思い知れっての」
ががが、と男は笑う。さんざん小突いて満足したのか、非常口の扉を押し上げて男たちの姿は闇へと吸い込まれた。
「マタノ」
彼は小突かれた格好のまま、闇に向かって頭を下げた。
「マタノ、ゴリヨウヲ、オマチシテオリマス」
人の熱を感知する熱源サーチがぴこぽこ音を立てて動く。誰もいない。この電車には誰もいない。今夜の彼の仕事は、終わった。
深々と頭を下げたまま、彼は唐突にフリーズした。最近、こんな事が多い。充電がうまくできないのだ。充電器に向かって自動走行を始めるが、その間も幾度も警告アラームが鳴り響く。
彼の身体が悲鳴をあげた。生身の肉体などありはしないが。鉄でできた身体が、電気でできた血管が、幾度も震えて闇の中で散々に音を立てた。
苦しみなど覚えるはずもない。疲れなど、知るはずもない。しかしその身体は確かに悲鳴を上げている。
彼の身体から狂ったように、声が飛び出す。
「オキャクサマ」
「オキャクサマ、シュウデン」
「シュウデン、マタノゴリヨウ」
「ゴリヨウ」
「お客様、終点ですよ」
ふと、声が聞こえた。
皺を帯びた手が彼の身体に伸ばされて、背に隠された小さなボタンを押す。それは、彼を作った人間だけが知る秘密のボタンである。
暴走を始めた鉄の身体の奥で、シュンと音がする。アラームの音が止まり、光が消えた。彼は久々に、身の軽さを知った。
「ほら、同じ言葉を、続けてみてごらんなさい」
ボタンを押した手が、離れる。その手を持つのは白髪の老人である。老人は、彼と同じ制服を着込んでいる。皺一つない、深緑の制服だ。胸には、赤いワッペンが輝いている。
老人は彼の前に腰を落とし、穏やかな笑顔を見せた。
「お客様、終点ですよ」
「オキャクサマ、シュウテンデスヨ」
声はスムーズだ。言語エリアのメモリが、正常に動いている。あれほど回っていたファンも、もう動いていない。
老人は、彼の頭を優しく撫でた。
「そう、よくできました。あなたの言葉のおかげで、何人の人が救われるでしょう。目覚めて、誰も居ないのは寂しいですから」
「シュウテンデス……オキヲツケテ……」
「疲れて眠って、目が覚めて。誰もいなくても、あなたが隣にいれば、どれほど嬉しいでしょう。仕事の愚痴に自慢話に、悩み事。色々聞くでしょう。そう、何十年も。聞いてきたでしょう、あなたは」
「キョウモイチニチ、オツカレサマデシタ」
「その物語を、私にも聞かせてください」
老人は彼の身体を充電器に近づけた。充電器はいつも車両の隅にある。彼がそこに近づけば、身体が自動的にセットされ、電力が供給されるはずである。
が、もう動けない。自動的に吸い寄せられない。彼は知っていた。充電器と繋がるための、ケーブルが焼き切れている。充電器から流れる甘露な電力は、もう二度と彼の身体を潤さない。
老人の目が寂しげに潤み、嬉しそうに円を描き、やがて憐れむように諭すように閉じられた。
「ね。もう、あなたも終点です」
「シュウテン」
「ええ、終点です。私が遠い昔に終点を迎えたように」
「シュウ……」
「かつてあなたが私に、人生の終点を教えてくれたように。私もあなたに伝えにきたのです」
老人は彼の焦げたコードを巻き取って、断ち斬った。
「いきましょう。終点ですよ」
古びた車両の扉が開く。そこは、終点の駅であった。しかしその向こうに、光があった。
翌朝のことである。
「終点ロボットが壊れたってよ」
深緑色の制服を着た男達が、ひそひそと囁いてる。その声は、時に大胆に大きくなり、すっかり囁きではなくなっていた。
「ああ……あれな。あのロボット作ったのが、大昔の車掌で」
「そうそう。かわりものの、理系の車掌な。朝に社内で死んでたっていう……」
「その死体の横で、終点です。終点です。っていってたんだろ、あのロボット」
「不気味だよなあ。何ですぐ廃棄しなかったんだか」
「金がなかったからなあ、うちの会社……」
こらぁ、と間の抜けた声が響く。その声を聞いて、囁いていた男達は慌てて背を伸ばした。朝礼だ。終点である車庫に収まった電車の群れを背景に、またいつもの朝礼がはじまるのである。
古びたロボットが壊れた話題はほんの一言二言で伝え終わり、続けて無事故キャンペーンの話がはじまる。
欠伸を噛み殺す若者たちの列の向こう、朝日を浴びた車両だけが妙に明るく光って見えた。
あと数分後。この終点から、今日も電車は滑り出していく。