ラララ・フィフティ
「お客様の中二病指数は329です。これは中二病としては一般的なレベルですので、どうぞご安心ください」
セラピストの笑顔に安堵して、田崎泰友は中二病シ
ョップを後にした。
中二病、中二病。
泰友は自分がその状態になっていることを自覚して以来、恥ずかしく、またいつ人に知られるのではと恐ろしく、そうしてついに意を決して、インターネットで調べた「中二病ショップ・専門家による中二病指数診断」というものを受けてみたのである。
その結果、
「普通レベルですよ」
と言われた。
これは、たとえば、退屈な午後一番の教室に唐突にテロリストが現れるとか、あるいは放課後、体内にわき起こるすさまじい力の奔流が、光の波動となって黒板を破壊するだとか、そういう理不尽な空想を相当程度、現実感を持って日常的に妄想しているということで、それ自体は、
「別におかしなことではありませんよ。みんな妄想していますからね」
と、セラピストが言った通りであろう。
が、そうだとして、それで彼は安心できるのだろうか。
みんなが通る道だから、みんなが中二病を患っているのですよ――と言われたからといって、泰友が安心して良い理由にはならない。
なぜなら泰友は、この春には五十歳になるのだから。
五十歳の中二病。
なるほど、彼の職業が作家だとか、漫画家とかであれば、この年まで中二病を維持できるというのは、かえってすばらしいことであろう。だが彼は、しがない、といってはこれまでの人生がむなしくなるが、実際、日々無能な公務員なのである。
日々、決りきった作業を右から左に流して、判を押すだけ。
課長補佐の職位にあるから、毎月振り込まれる給料は業務内容に比すれば悪くないが、悪くないだけで、月毎、年毎の増減があるわけでもなく、そこに何の楽しみもない。男心が勇み立つようなプロジェクトが舞い込むこともないし、といって、仕事時間中に株のデイトレードに心血を注げるほど暇でもない。決まり切った仕事は、一日七時間四十五分きっちりあって、余計なことを考えずに済むかわり、思考を遊ばせることはない。
と、そういう典型的無人格的な存在が中二病だというのは、何とも恥ずかしいというか、恐ろしいというか、馬鹿らしいことである。
数日して。
泰友は、何となく悶々としながら、いつものデスクでポンポン判を押していたが、ふと、窓口に来た、建設業者めいた男が、
「田崎課長補佐はいらっしゃいませんか」
と言ったことに気付いた。
すぐに、受付担当のパートがこちらを振り返って、
「あの、課長補佐――」
と呼ぶ。
それで窓口に来ていた業者の男と目が遭ったが、その刹那、
あれは、テロリストだ――。
泰友は直感し、椅子を蹴って立ち上がるなり、
「みんな、伏せろ!」
大音声で叫んでいた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
響き渡った泰友の大声に、当然、役所内は静寂というのもおろか、ぽかーんとした。
十数人の一般市民と、何十という周辺部署の人間すべての目が、彼を、信じられない物体であると見ていた。
いうまでもなく、誰も伏せていない。
というか、田崎泰友自身、伏せるのを忘れている。
ちなみに、泰友の職場は公共施設であり、稀に、知的欠陥を有する人が現れ、わけのわからぬことを叫んで警備員につまみ出されることもある。が、だからといって、課長補佐の五十歳男が、わけのわからぬことを、しかも、飛んでもなく大きな声で叫んだことを無視できる者はいなかった。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
数々の沈黙。
だが、どうしたんですか――と、聞く者は、まだいない。
泰友の声があまりに確信的だったし、目も、真剣そのものだったからだ。それは今も同じである。
「あ……」
と、その時、一人の若いというか幼い職員が、がたがたと音を立てて、自分のデスクの下へ身を潜ませた。
伏せろ、と上司が命じたことに、ようやく反応したのだ。
その刹那だった。
「もはや手遅れじゃあ!」
叫んだのは、カウンターの向う、業者の男だった。
ブチッ、と、首筋から伸びていた紐を引きちぎるなり、
「おおッ!」
叫びながらカウンターに飛び上がり、仁王立ちしたまま、
「厭離穢土欣求浄土じゃあ!」
どかーん!
わけのわからぬ爆死によって職員一般市民を大勢巻き込み、その役所を崩壊させたのであった。
身体が木っ端微塵に砕けたため、動機はもちろん、彼が誰だったのかも不明である。
ただ、彼は爆死するために現れ、実際に爆死したのだった。
ちなみに、あとで調べてみると、泰友の声に反応してデスクへ潜り込んだ若い男は、たまたま「職業体験」により役所で働いていた、市内の中学二年生の男子生徒だったということである。彼は、無傷だった。
(了)