スタティック
闇を背にして草叢が揺れている。餌に集る齧歯類の背中のようだ。
ところどころから突き出した灌木の梢が星空を切り取
って闇を吸い上げている。
長い間、同じところにとどまった意識が繰り返す。
「これって、地面なんだ」
かたちのない言葉が漏れ始める。
たしかに靴底は土を踏んで、雑草が脛を払うけどね。ああ、気にしなくていいよ。虫はいないんだ。なぜって? そりゃあ、用がないんでしょ。だから心配しないで歩けばいいよ。ここに来るひとがいれば、だけれど。
でもねぇ、ここはコンクリートなんだよねー。開業直前に大金つぎ込んでた企業が倒産して、内装直前に幽霊屋敷になっちゃった。そのまんま放置されているの。土埃は溜まる。風化したコンクリートの粉末も含まれているけれどね。それだけじゃ、単なる埃の積もったエリアでしかない。
雨が降るんだ。土埃を濡らして、まとめて。それから、草の種がやって来る。風に乗って? あはは、そういうメルヘン的なのもあったかもね。だけどいちばん多いのは、鳥。
ほら、そこに転がっているの、何だかわかる? サバの頭。なんでこんな丘のてっぺんまでって? 確かに、麓の浜辺からここまで銜えて来るのは難しいよね。でもさあ、瀬戸内海のここいらでサバなんて釣れると思う? ほら、そこにあるのはサケの頭部。どんな生態系よってハナシじゃん。あそこにロッジがあるでしょ。あそこのレストランで塩サバや塩鮭の定食とか出したんじゃない。裏手のごみ箱からなら、カラスの運搬範囲でしょ。
そんなカンジでさ、草の実を食べた鳥が飛んで来て、ここで糞をしていく。未消化の種が土埃に埋まって、雨水を含んで芽を出すの。けっこうがんばるよ。めちゃめちゃ根を張ってさ、むしろ髭根の方が土埃よりも多い、みたいになってさ。
だけど、ここって水はけはめっちゃいいんだ。晴れが続くとあっというまにカラッカラになっちゃって。倒れた茎もしばらくは緑色。保水してるんだ。それが白っぽくなっていって。鳥に食べられてここまできて、やっと芽を出したのに枯れてしまう。助けは来ない。もっとも、ひとが居たって引き抜かれるだけだけどね、雑草だから。
雨が降ると、降り注ぐ雨水は排水口へと流れていく。乾涸びてコンクリートに貼りついていた枯れ草の欠片が剝がれて、流されていく。で、排水口のストレーナーに押し寄せて、隙間から排水管へと吸い込まれてゆく。でも、いくつかストレーナーに引っ掛かったままの穂先が残る。雨が止んだらそこに乾いて貼りついて。次の雨の日にはまた一本か二本、ストレーナーに絡みつく。そのうち排水口のそばにヤブカラシが一株、根付いてね、雨のときに浮き上がって排水口に乗り上げちゃった。その周りに枯草や土埃が吹き溜まったりして。で、奇蹟が起きたの。どしゃぶりの雨が降った日。いつもならげぼげぼ音を立てて雨水を吸い込むストレーナーが音を立てない。雨水は一面にどんどんたまっていく。白っぽくなっていた枯草が水を吸って黒くなっていく。一帯に「水面」が浮かんでくる。無数の波紋が遠ざかっても、風が吹くたびにさざ波が立つ。そこからかな、変わったのは。
もちろん日照りが続けば水位は下がっていく。この県って「晴れの国」ってキャッチフレーズがあるけど、別に全国一晴天日が多いわけじゃない。正確には「全国一、雨の日が少ない県」。東京に行った子が言ってたっけ。「東京って雨ばっかり降ってる!」って。だからまあ、平均以上には晴れも多いんだろうな。よそへ出たことがないからわかんないけど。
水面があると、土埃を吸い寄せるみたいでさ。晴れの日が続いても、乾いた表面の下には湿った層が残るようになったの。水溜りになった部分には鳥がやって来て、水を飲んで、糞をしていく。有機肥料と種を残していくわけね。たぶん樹木じゃないと思うんだけど、片手で握れるくらいの太さの茎を持った植物が立ち上がってくる。周囲の雑草よりずっと早く。こんなのを一時的にせよお腹の中に入れて、鳥は大丈夫なのって気がするくらい。葉が広がって日陰ができると、そこに苔も生えて、根を張る植物も出てくる。この位置から見ていると、水面を境に別の世界が広がっていた。
高校時代、シンヤと付き合っていたころは楽しかったな。リーダーの女って立場だったから、周りの皆も親切だったし、私も気分良かった。何でも即決でみんなを引っ張って行くシンヤと一緒なら、どんな馬鹿やっても平気だった。
馬鹿といえば、三つ隣の市まで夜中に遠征して、神社に寄ったっけ。ひとが居なくて通報もされなかった。ヘッドライトで照らした絵馬殿に入って、ぶら下げられた絵馬にいちいちツッコミを入れたんだ。
〈○○くんが私のことを好きになってくれますように〉
「知り合いに読まれる可能性を考えなかったのか?」(○○くんに読まれるのも気まずいと思う)
〈席替えで、仲のいい人と一緒の班になれますように〉
「ちっちゃあ!」(真剣だとすればさらに微妙なお願いだ)
〈主人が家族のことを考えてくれますように〉
「こんなところで願っている場合なのか?」(確かに)
〈息子の手術が成功しますように〉
「医者に言え!」(初めての手術を控えた新米医者の母親かもしれない。すごくイヤだけど)
〈志望校に合格しますように〉
「志望校をまず書け!」(よく見ると「望」の字の「月」が「目」になっていた)
〈お金持ちになりますように。AKBと結婚できますように。百歳以上生きられますように。人気者になれますように。お年玉がいっぱいもらえますように。ロードレーサーを買ってもらえますように〉
「自分の名前を書くスペースくらい残せよ」(ある意味、それが幸いだったかもしれない)
〈上知大学に合格しますように〉
「お前は水野忠邦かっ!?」(天保の改革を崩壊させた誤字を書くあたり、それはもう…)
大笑いしたあと、殿内の焼香場に紙くずを盛り上げて火をつけた。目の前が急に明るくなり、炎が天井近くまで届いた。歓声を挙げていると、そのうちに天井板に火が燃え移ったんだ。慌てて絵馬殿を飛び出し、砂利の敷かれた本殿前まで走って振り向いたら、建物全体に火が回っていた。さすがにヤバいってことで車に乗り込んで山道を逃げ出した。麓まで降りて国道に合流する手前で振り向くと、暗い山の中で一箇所だけが燃え上がっていたんだ。きれいだなって思った。
こうしていると馬鹿なことばかり思い出すんだ。山の中を走り回っていて、誰かが鶏舎に突っ込んだことがあっ