第17回 てきすとぽい杯〈GW特別編〉
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スタティック
大沢愛
投稿時刻 : 2014.05.05 23:41
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スタティック
大沢愛


 闇を背にして草叢が揺れている。餌に集る齧歯類の背中のようだ。
 ところどころから突き出した灌木の梢が星空を切り取て闇を吸い上げている。
 長い間、同じところにとどまた意識が繰り返す。
「これて、地面なんだ」
 かたちのない言葉が漏れ始める。

 たしかに靴底は土を踏んで、雑草が脛を払うけどね。ああ、気にしなくていいよ。虫はいないんだ。なぜて? そりあ、用がないんでし。だから心配しないで歩けばいいよ。ここに来るひとがいれば、だけれど。
 でもね、ここはコンクリートなんだよねー。開業直前に大金つぎ込んでた企業が倒産して、内装直前に幽霊屋敷になた。そのまんま放置されているの。土埃は溜まる。風化したコンクリートの粉末も含まれているけれどね。それだけじ、単なる埃の積もたエリアでしかない。
 雨が降るんだ。土埃を濡らして、まとめて。それから、草の種がやて来る。風に乗て? あはは、そういうメルヘン的なのもあたかもね。だけどいちばん多いのは、鳥。
 ほら、そこに転がているの、何だかわかる? サバの頭。なんでこんな丘のてぺんまでて? 確かに、麓の浜辺からここまで銜えて来るのは難しいよね。でもさあ、瀬戸内海のここいらでサバなんて釣れると思う? ほら、そこにあるのはサケの頭部。どんな生態系よてハナシじん。あそこにロジがあるでし。あそこのレストランで塩サバや塩鮭の定食とか出したんじない。裏手のごみ箱からなら、カラスの運搬範囲でし
 そんなカンジでさ、草の実を食べた鳥が飛んで来て、ここで糞をしていく。未消化の種が土埃に埋まて、雨水を含んで芽を出すの。けこうがんばるよ。めちめち根を張てさ、むしろ髭根の方が土埃よりも多い、みたいになてさ。
 だけど、ここて水はけはめいいんだ。晴れが続くとあというまにカラカラになて。倒れた茎もしばらくは緑色。保水してるんだ。それが白ぽくなていて。鳥に食べられてここまできて、やと芽を出したのに枯れてしまう。助けは来ない。もとも、ひとが居たて引き抜かれるだけだけどね、雑草だから。
 雨が降ると、降り注ぐ雨水は排水口へと流れていく。乾涸びてコンクリートに貼りついていた枯れ草の欠片が剝がれて、流されていく。で、排水口のストレーナーに押し寄せて、隙間から排水管へと吸い込まれてゆく。でも、いくつかストレーナーに引掛かたままの穂先が残る。雨が止んだらそこに乾いて貼りついて。次の雨の日にはまた一本か二本、ストレーナーに絡みつく。そのうち排水口のそばにヤブカラシが一株、根付いてね、雨のときに浮き上がて排水口に乗り上げちた。その周りに枯草や土埃が吹き溜またりして。で、奇蹟が起きたの。どしぶりの雨が降た日。いつもならげぼげぼ音を立てて雨水を吸い込むストレーナーが音を立てない。雨水は一面にどんどんたまていく。白ぽくなていた枯草が水を吸て黒くなていく。一帯に「水面」が浮かんでくる。無数の波紋が遠ざかても、風が吹くたびにさざ波が立つ。そこからかな、変わたのは。
 もちろん日照りが続けば水位は下がていく。この県て「晴れの国」てキチフレーズがあるけど、別に全国一晴天日が多いわけじない。正確には「全国一、雨の日が少ない県」。東京に行た子が言てたけ。「東京て雨ばかり降てる!」て。だからまあ、平均以上には晴れも多いんだろうな。よそへ出たことがないからわかんないけど。
 水面があると、土埃を吸い寄せるみたいでさ。晴れの日が続いても、乾いた表面の下には湿た層が残るようになたの。水溜りになた部分には鳥がやて来て、水を飲んで、糞をしていく。有機肥料と種を残していくわけね。たぶん樹木じないと思うんだけど、片手で握れるくらいの太さの茎を持た植物が立ち上がてくる。周囲の雑草よりずと早く。こんなのを一時的にせよお腹の中に入れて、鳥は大丈夫なのて気がするくらい。葉が広がて日陰ができると、そこに苔も生えて、根を張る植物も出てくる。この位置から見ていると、水面を境に別の世界が広がていた。
 
 高校時代、シンヤと付き合ていたころは楽しかたな。リーダーの女て立場だたから、周りの皆も親切だたし、私も気分良かた。何でも即決でみんなを引て行くシンヤと一緒なら、どんな馬鹿やても平気だた。
 馬鹿といえば、三つ隣の市まで夜中に遠征して、神社に寄け。ひとが居なくて通報もされなかた。ヘドライトで照らした絵馬殿に入て、ぶら下げられた絵馬にいちいちツコミを入れたんだ。
〈○○くんが私のことを好きになてくれますように〉
「知り合いに読まれる可能性を考えなかたのか?」(○○くんに読まれるのも気まずいと思う)
〈席替えで、仲のいい人と一緒の班になれますように〉
「ちあ!」(真剣だとすればさらに微妙なお願いだ)
〈主人が家族のことを考えてくれますように〉
「こんなところで願ている場合なのか?」(確かに)
〈息子の手術が成功しますように〉
「医者に言え!」(初めての手術を控えた新米医者の母親かもしれない。すごくイヤだけど)
〈志望校に合格しますように〉
「志望校をまず書け!」(よく見ると「望」の字の「月」が「目」になていた)
〈お金持ちになりますように。AKBと結婚できますように。百歳以上生きられますように。人気者になれますように。お年玉がいぱいもらえますように。ロードレーサーを買てもらえますように〉
「自分の名前を書くスペースくらい残せよ」(ある意味、それが幸いだたかもしれない)
〈上知大学に合格しますように〉
「お前は水野忠邦か!?」(天保の改革を崩壊させた誤字を書くあたり、それはもう…)
 大笑いしたあと、殿内の焼香場に紙くずを盛り上げて火をつけた。目の前が急に明るくなり、炎が天井近くまで届いた。歓声を挙げていると、そのうちに天井板に火が燃え移たんだ。慌てて絵馬殿を飛び出し、砂利の敷かれた本殿前まで走て振り向いたら、建物全体に火が回ていた。さすがにヤバいてことで車に乗り込んで山道を逃げ出した。麓まで降りて国道に合流する手前で振り向くと、暗い山の中で一箇所だけが燃え上がていたんだ。きれいだなて思た。
 こうしていると馬鹿なことばかり思い出すんだ。山の中を走り回ていて、誰かが鶏舎に突込んだことがあたな。シンヤは即、「三羽捕まえて車に載せろ」て。暗いせいか、あんまり暴れないんだ。
 海沿いの駐車場に乗りつけて、みんなに薪集めと買い出し、それに砂浜での穴掘りを命令した。私は一羽、逃げないように抱きかかえていた。「顔をそむけていろ。目を突かれないようにな」シンヤはそう言いながら、穴の深さを確認すると、三羽のニワトリを首だけ出して砂に埋めさせた。
 薪が集まて、買い出しが戻て来ると、ニワトリの周りに薪を並べて火をつけた。炎が上がると、ニワトリは苦しがてくちばしを開いて鳴く。「くちばしが開いたら、そこに醤油を流し込め」そう言うと、買い出し袋の中から醤油のボトルを取り出してプルタブを抜き、一羽のニワトリの口に醤油を入れ始めた。ほかのみんなも内心、ビビていたはずだけど、無理に笑いながら醤油を入れて行く。炎に照らされたみんなの顔は、目だけがものすごく見開かれていたけ。
 どのくらい続いただろう。薪が残り少なくなるころには、砂から出た頸部分はすかり炭化していた。醤油もほとんどなくなていたけ。火が消えて、しばらくしてからニワトリを掘り出した。羽根はすかりなくなていた。紙皿の上に置いて、果物ナイフで切り分ける。ひと口、食べてみた。喉の奥から呻き声が漏れた。
 おいしい。
 みんなも口々に声を挙げる。蒸し焼きにされた鶏肉には醤油が沁みこんでいて、脂肪のこくに覆われた濃厚な味になていた。雌鶏だたんだろう、お腹の中に卵になる途中の卵黄が連なて入ていた。口に入れる。半熟だた。指先を脂肪でべとべとにしながら、私たちは食べ続けた。レバーに当たた子は一口食べて叫び声を上げて、他の子に追い回されていた。三羽分の骨を砂浜に埋めた。満腹感で動きたくなくなる。眠気が襲てきて、そのまま夜明けを待た。「田舎のじーんが内緒で食わせてくれたのを見て憶えた」凭れかかると、シンヤがそう言てぎと抱いてくれた。手は脂だらけだたけれど、気にならなかた。

 星が見える。空にいちばん近い場所だ。でも、星にどれだけ近いかなんて、考えるだけで虚しくなる。
 だて、星はこちのことなんか見ていないもの。

 もともとシンヤは女の子にもてるんだ。どんな子にも気軽に話しかけるし、自分でどんどん押して行くから、切れ長の目許が印象的なルクスに惹かれる子ならすぐに落ちてしまう。私はシンヤの彼女で、同時にリーダーの女だたから、みんなの彼女ともうまくやる必要があた。彼女たちの中には、二股かけられた、浮気された、みたいな子たちがいくらでもいた。そんな子の話を聞いてやるのは欠かせないし。いちいち嫉妬していたらきりがない、ということは身に沁みて感じていた。
 話のついでに「あのさ、ヨウガミワてどんな子?」とシンヤが言た。私が形だけ籍を置いている女子バレーボール部のセンターた。背が高くて、気が強くて、かわいい子だよ、と答えると、ふーん、とだけ言てそれきりになた。女の子の話になると、どんな子か細かく訊き出して、私がへそを曲げるまで続ける。怒た私を上手に宥めてようやく終わるのがいつものパターンだた。
 「シンヤくん、ヨウガさんが気になるみたいですよ」男の子の一人が教えてくれた。「結構、人気あるんですよ。いいカラダしてるな、とか」
 ミワがトノウチシユウヘイと付き合い出したのはミワの口から聞いていた。シウヘイはシンヤの先輩のグループに時々顔を出していて、顔を合わせたことはあた。親父が警察のお偉いさんだとかで、いろいろと大目に見てもらていたけれど、場違いな感じはずとしていた。ミワと付き合い出したら、たぶん離れていくだろう。バスケトボール部のパワーワードとしてそこそこ期待されているようだ。シンヤのグループにはバスケ部員が何人かいて、放課後、シンヤの都合が合わないときには一緒に遊んだりした。ミワからすれば、男バス部員をとかえひかえしているように見えたかもしれない。
 どの女の子が可愛い、なんて話はしうで、一月もすれは他の子に話が移る。でも、ミワの話は思い出したように繰り返された。メンバーの中によぽど執心している子がいるのか、と思ていた。そうであてほしかたんだ。でも、泊まりに行て同じベドで過ごしているとき、ある瞬間にシンヤの口から「ミワ」という名前が聞こえた。耳を塞ぎたくても両手は使えない。目をつぶた。閉じた瞼の裏に、ミワの顔が初めて浮かんだ。

 シンヤと一緒に先輩のトウチさんに会た。県道沿いのスナクだが、店をやている風はない。シウヘイの名前を出すと、先輩の顔が曇た。アイツ調子に乗てるな、最近。勧められたウイスキーをストレートで飲み干したシンヤは、黙て頭を下げた。今度呼び出す。「どうせなら可愛い彼女も一緒の方がいいでしう」その方が話をしやすい、というのは経験上、分かる。先輩は頷いた。
「なんでよけいなことを言た?」
 帰り道、シンヤは私の両肩を摑んだ。酒臭い息が顔に掛かる。
「ミワ、やられるぞ。シウヘイに護る根性なんざあるわけねえ」
 アルコールに弱いシンヤは、ウイスキーのストレート二杯でふらついていた。そのせいだろうか。私の前で「ミワ」と呼び捨てにしたのは二度目だた。
「やられたくらいでガタガタ言うような子じないよ」
 言葉にしてみると、予想外に突き刺さてくる。握られた肩口が痛い。それでもシンヤの顔を見詰めていた。
「お前と一緒にするな」
 肩が自由になる。シンヤの背中がふらふらと遠ざかて行く。バンドエイドを貼た踵が思い出したように痛み始めた。

 こうしていると、昔のことばかり思い浮かべてしまうな。当たり前だけれど。
 ミワは少なくとも見た目は変わらなかた。シウヘイが逃げ出してからも、普通に女バレは続けたし、何よりも私とずと友だちでいてくれた。もし、あれがフリだたとしても、何も文句はないよ。
 私だてあのときはしんどかた。まだ中二だたし。それに、そばに彼氏がいるなんて状況じなかたし。
 短大出て就職した先がガテン系職種の事務だたから、あんまり代わり映えしない連中ばかだたけど、初めて大卒で好きな奴ができたんだよな。トシキ。何か勝手が違てパニクしてるときにミワが助けてくれた。バレンタインにちんとした本命チコを贈るために買い出しに付き合てもらけ。前の晩から考えて、いちばん安いチコを買おうとした私を必死で止めてくれた。「なに考えてるのキウコ!?」「だて、こんだけ不況なのにクソ高いチコとか贈て『コイツ経済もわかんねーバカじねーのか』とか思われるの、いやだもん!」ミワ、笑わなかたな。「キウコの『好き』は日本経済よりも大事でし」そう言て、いちばん高い棚のチコをひとつひとつ見ながら、これを受け取たらトシキくんはこう喜ぶ、みたいな話をしてくれた。あのとき買たチコ、めちめち喜んでもらえたし。
 付き合い始めて思た。トシキて、どこかシウヘイに似てたんだな。優柔不断そうなところが特に。ミワもシウヘイと付き合ているとき、結構イラとしたんじないかと思う。なんであんなにうしろ向きなんだろう。どんだけ甘ちんなわけ? こちとら、うしろを向いたら死にたくなるようなことばかだから、前しか見てねーてのに。でも、こうなてみるともう、うしろしか見えないからねー。おーい、生きてるんだろ? しかりしろよー
 いちばん新しい記憶て、酔てたから憶えていないんだよね。ミワの部屋で家飲みしてたんだ。なんか、すごい楽しかたな。トシキと一緒に遊ぶ約束して、ミワが笑てて。そのあとはどうなけ。どうしてここにいるんだろう。いやなことはなかたはずなんだけど。ありがとうね、ミワ。ごめんなさいは言わないよ。言い始めたら永久に言い続けなきならなくなるから。
 
 夜風が草叢を吹き分ける。触れれば崩れそうに枯れたセイタカアワダチソウの茎が折り重なている。
 大小さまざまな枯草に混ざて、夜目には枝に似た白ぽいものが散らばている。昼間なら緑がかて見える泥土のところどころが丸く盛り上がている。
 ひときわ大きな隆起の中ほどに、ピンポン玉ほどの黒い穴がひとつ見えた。

 
 
 
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