スターシーター
「
――それで?」
声になるかならないかのわたしの声は、すぐに通訳のインカムを介してモニタの向こう側にいる《彼ら》へと伝えられた。
「
……ええと、それでだね」
日本代表のコバヤシさんがまるでそこに居並ぶ全員の意見をまとめたような顔で私へと向き直る。
「まず、《矛》の件だけども
――キミから見えるかな? こちらのマ
ッケイ特務大使はキミの考えは得策でないと言っている」
額に汗を浮かべるコバヤシさんはわたしを説得したいようだった。
「それから《盾》についてもそうだが、できればもっと時間をかけて選定のための議論を進めたいと」
コバヤシさんはハンカチで汗を拭う。
「頼むから、言う事を聞いてくれないか? キミだって大事な家族や友達はいるだろう、それは我々にしても同じなんだよ」
……くだらない。
わたしはそっとモニタから離れ、彼らに見えないところで溜め息をひとつ落とす。
すると、ずっとわたしの脳波とバイタルをモニタリングしていたアルマがトレイを右手に抱えてやってきた。銀のトレイの上にはスパークリングティーが入ったグラス、パイを装った皿が載せられている。
「ずいぶんと、悠長な話をされているようですね」
「これ、リンゴ?」
さっそく皿を膝の上に乗せたわたしの問いにアルマが頷く。
ナイフとフォークを使ってパイを切り分けると煮詰めたリンゴとラム酒の香りが漂い出した。
「だれも、わたしが一番あぶない目に遭ってるって事を分かってない」
怒りを吐き出すつもりはなかったが思った以上に語気が荒かったようで、アルマはその端正な顔を少しだけ曇らせた。
「誰もあなたの代わりになれないのです。心苦しくはありますが、結局はあなたが選択してゆくしかありません」
「さっきの《どこ》を使うかって話なら、もう決めてあるけど」
切り分けたパイの一切れを口に含む。伸ばした右手にアルマがスパークリングティーのグラスを差し出す。
「美しい自己犠牲は選択肢に入る余地がありません」
「……アルマのそういう冗談、あんまり好きじゃない」
一口でグラスの中身を飲み干すとトレイの上に置く。アルマは黙ったままトレイを下げ、わたしの心を読んだようにモニターを再表示させた。
――責任を取らない大人たち。
突然頭に浮かんだその言葉の意味を追いかけようとして、やめる。怒りはさっき吐き出したはずだ。
「あと五時間で《敵》がこちらの攻撃射程距離に到達します」
そう告げた後で、一拍間を置く。
「《盾》は北極圏半径3000キロ、《矛》は北米大陸東岸からロシア東岸にかけて約6000キロ、詳しい位置や範囲はデータにしてそちらに送信しました」
「早すぎる! 早すぎるよ!」
コバヤシさんは血相を変えていた。しかし他の面々の表情を伺うと、どうやらわたしの言った内容は伝えられていないようだ。
「音声を遮断したんですね」
わたしの質問にコバヤシさんは答えない。
「せめてその指定地域の住人たちが避難できるまで時間をくれ」
「その避難が終わる前に私が殺されちゃいますよ」
「いや……ちょっと待ってくれ」
脇から英語の怒声が上がり始める、口汚く罵った白人の男をコバヤシさんが怒鳴り返した。
シャラップ、ユーバスタード。多分こんな場では普段聞くことのない言葉だろう。
「せめて、無人の場所にはできないのか! 海なら陸の二倍以上面積が取れるだろう」
「――人のいない場所では意味がない」
そうひとりごちたのはアルマだった。手にしたトレイはすでに消えている。
「上層のアルマから通達がありました。三十分前に《敵》の攻撃を確認、とのことです」
意外な報告にわたしの脳裏に「早すぎる」という文句が浮かび、すぐにそれが先ほどのコバヤシさんの言葉だと気づく。
「三十分前にって、どういうこと?」
「敵が三十分前に攻撃したのを先ほど確認した、という意味です。およそ三十七秒後、敵の攻撃があなたを直撃します」
三十七秒? ほとんど何もできないじゃない。
「アルマ、モニター出して!」
そう言う直前にすでにモニターを用意している。
「攻撃が来ます! 防御行動を開始しますから、逃げられる人はすぐに逃げるように伝えて!」
言い捨てるように叫ぶとわたしは通信を一方的に切った。
偽善だった。たった一分にも満たない時間で何ができるだろう。ベッドに潜り込んで無力感に浸りたいところだが、すでに戦いは始まっている。
「アルマ、重力や空気の心配はしなくて良いのよね?」
「ご心配なく。あなたがスターシーターを活性させている間は上層が完全に管理しますので」
アルマの声の後半は殆ど耳に入っていなかった。わたしは走っていた。それはこの星のためでもあり、わたしの命を守るためでもある。
夜の空に星座があるように、この地球にも《座》がある。それが地中深くに眠っているここ、スターシーターだ。
もう猶予は二十秒を切っていた。敵は攻撃可能距離のはるかかなたにいる。防御に回るのに精一杯だ。
「アルマ! 《盾》の準備!」
空間の真ん中に切り抜かれた北極圏が走査される。わたしはそこに駆け寄ると同時にその《盾》を左腕に装着した。
「防御行動開始、攻撃到達時間まで十二秒、十一秒、十秒……」
アルマの声が響くなか、目の前のモニタには人工衛星から撮影された映像が映しだされていた。ゆるやかな弧を描く地球の北辺が雲を引きちぎりながら急激に隆起し、深い渓谷を刻んで浮き上がってゆく。引き剥がされた大地の裏側には、大地を支えるアトラスのように巨大な、少女の手があった。
間違いなく、それはわたしの手だった。
「四、三、二、一……」
アルマのカウントダウンが聞こえるなか、《盾》を身構えるわたしの前方に青い光がきらめいた。
あれか? そう思った瞬間に光が広がり、左腕を衝撃が襲った。
「わあうっ!」
獣のような悲鳴が、自分の発したものであったと気づくのに数秒が必要だった。
わたしはスターシーターの床に崩れ落ちていた。モニタに映っていた衛星からの映像はブロックノイズにまみれた静止画となっている。こなみじんになった大地の《盾》とアトラスの左腕のもぎ取られた光景がそこにはあった。
自分の姿を見るのが怖い、とわたしは思った。激しい衝撃は痛覚を麻痺させていたが、じわりじわりとわたしに現実を教えようと訴えかけている。
「あなたの左腕のダメージは修復可能です」
まるで家の壁でも壊れたような物腰でアルマが言った。
「じゃあ《盾》は?……」
アルマは答えない。
「今の攻撃で何人のひとが死んだの?」
わたしは自分の血でできたぬかるみに手をついて身体を起こした。
「次の《盾》の選定に影響を及ぼしますので」
それから先をわたしは聞くことができなかった。千切れ飛んだ左腕と対面したわたしは気を失ったのだ。