第18回 てきすとぽい杯
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あなたを思う
投稿時刻 : 2014.06.15 00:30
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あなたを思う
ゆずはらしの


 月の光が、静かに庭を照らしている。

 ゆるゆると歩く。大気には、雨を思わせる香りがした。立ち止まるとどこからか、つい、とミントの香りがして、その後にほんのりと、タイムやローズマリーが混じる。

 不意に、ゼラニウムの香りがした。

「月の光に濡れると、帰りたくなくなるんだてさ」

 振り向くと、呆れたような顔をした彼女がいた。

「いつまでうろうろと、さ迷ているつもり?」

「ここは美しいからね」

 わたしは答えた。

「月の光に濡れながら、緑の中を歩く。ぜいたくなひとときだ」

「堪能したなら、あとは安らかに休みなよ。眠いだろ、こんな夜更けにいつまでも」

「もう少し、いても良いだろう?」

 わたしは庭に目をやた。

「昼間はざわざわと騒がしい。月光の元の世界がこんなにも静かで心を安らがせるなんて、もう何年も思い出しもしなかた」

「忙しい日々だたんだろうね。それは想像がつくよ」

 彼女は言うと、近くにあた東屋に歩を進めた。わたしも後に従た。

 東屋に着くと、そこにはお茶の用意がしてあた。使い込まれた感のある白いポトとカプは、どこか花の形を思わせる、優しげな形をしていた。

 ゼラニウムの香り。

「何かつけている?」

 温かい紅茶を注がれたカプを差し出され、わたしが尋ねると、彼女はちと考えてから、「虫除け」と答えた。

「虫除け?」

「咬まれるとかゆいから」

「現実的なことを言うね。こんな場所なのに」

「わたしにロマンを求めるな」

 紅茶を一口。のどを通り過ぎる温かさ。冷えていたのだ、と気がつかされる。

「それ飲んだらもう、終わりにしな」

「うろつくのを?」

「そう。ほどほどが一番なんだからね、どんな事も。月光は美しい。でも、いつまでもふらついてはいられないよ。

 美しいものは、美しいと認めて。手放す覚悟もしないとね」

「手放す」

「これが欲しいと、自分のものにしようとした途端、本当に綺麗なものは、見えなくなるものだからさ」

「哲学的なことを言う」

「そうか? 当たり前のことだろ。人間には」

 彼女はふう、と息をついた。

「きれいなものに心惹かれるのも、それを欲しいと思うのも。人間には普通だ。でもそのあと、それを自分のものにしてはいけないと気がついて。手放す勇気を持たないと、なんだよ」

「そうだな」

 わたしは微笑んだ。

「そうなんだろうな」

 どこかで鋭く、鳥の声がした。ミントの香り。しめた大気。温かい紅茶。

 ゼラニウムの彼女。

「わたしはでも、手放したくないと思たんだ」

「ああ」

「手放したくない。忘れたくないんだ」

「わかるよ。でも、もう終わりにしないとね。次に進めない」

「進みたくない」

 涙がこぼれた。

「ここにずといたい」

 月光。静かな光。優しい紅茶の味。静かな花の香り。

「わかているんだろ?」

 彼女の声。

「あなたはもう、行かないと」

 いやだ、と言いたかた。

 でも、それは、言てはならないことなのだと、知ていた。

「お茶を、もう一杯もらえるかい」

 だから、わたしはその代わりにそう言た。

「それを飲んだら、終わりにするよ」
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 しじまを破り、鳥が鳴いた。庭に、月光が降り注ぐ。

 東屋の人影は、ひとつになた。

 紅茶のカプを置くと、彼女はつぶやいた。

「ととと行ちまいな」

 もうひとつあるカプの元にあるのは、古びた写真。落ち着いた笑顔の青年と、彼女に似た女性が写ている。

「話ができて、楽しかたよ。蚊に喰われるのは困りもんだけどさ」

 ぽりぽりと、足をかく。

「まだ迷ているなんて思わないじん、祖父さん」

 ロマンチストだたからなあ。ため息をついて、彼女はもう一口、紅茶を飲んだ。
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