三好乃ランと牛乳反射な給食時間
給食当番の子が割烹着を外して席に着くと、先生の合図でみんなが手を合わせた。
「ちょっと待ってください、先生!」
クラスの中でもとびきり可愛いツインテールの女の子が、綺麗に折り目のついた制服のスカートを翻して立ち上がる。
その瞳は生まれたての小鹿のようにくりっと輝いて、みずみずしい真っ白な肌は皮を剥かれたばかりのダイコンのようだ。
「なんだ、三好乃(みよしの)。死にたいのか」
クロのんこと黒野先生、独身25歳彼氏いない歴=年齢が、獲物を定めた黒豹のような目つきで私に銃を向けた。
「一大事です! 私の牛乳がありません!」
「ああん? 水で我慢しろ。トイレならすぐ目の前だろう」
「いやいや、そこにあるじゃないですか。先生の目は節穴ですか? 男を見るときのそれのように」
放たれた銃弾が、私のおでこを貫く。
「あいたっ!」
「喜べ、今日の弾は特別製だぞ。とある薬剤を入れて、かゆみが残るようにしてみた」
なるほど、弾の当たった場所が、蚊に刺されたみたいに痒くなってくる。
「いつも思うんですけど、これって体罰じゃないんですか? いろいろとマズいご時勢ですよ?」
「心配するな、ちゃんと許可は得ている」
クロのんはそう言って、パパとママのサインが入った『お仕置き許可証』を見せてくれた。
「いくらパパとママがいいって言っても、教育委員会とか文部科学省とかが黙っていませんよ」
「心配するな」
お仕置き許可証の裏面には、しっかり教育委員会と文部科学大臣のサインも入っていた。
クロのんが私を目の敵にするのには理由がある。
実はクロのんは、私のパパとママと高校で同級生だったのだ。
壮絶な三角関係の末、ママに負けてパパを取られてしまい、以降、そのショックを吹っ切るため、青春のすべてをサバゲーに捧げてきたという。
だから最近、ママに似てきたと言われる私を見ていると、かつてのトラウマが蘇ってくるのだろう。
クロのんも素材はいいんだから、もっと愛嬌というか、素直な可愛さを出せばいいと思うんだよね。
そう、私みたいに。
「余計なお世話だ。小3のガキに心配される筋合いはない」
うっかり声に出てしまっていたようだ。
クロのんの銃から発射された弾が、さっきと同じ場所に当たる。
ちょっとムズ痒くなってたところだったから、少し気持ちよかった。
「まあ、私はクロのんが行き遅れようが、戦場で大暴れしようが、それはどうでも良くてですね」
「どうでもよくない。あとクロのん言うな」
「百歩譲って体罰は認めますけど、牛乳だけは譲れません」
「三好乃。お前は昨日の給食時間に、自分が何をしたか分かっているよな」
「はい。美少女にあるまじき、鼻から牛乳を噴き出すという失態を犯してしまいました」
「なぜ鼻から牛乳を噴き出した」
「面白いギャグを思いついたのですが、よくよく考えてみると面白くなくて、それで牛乳を口いっぱいに入れたのですが、飲み込もうと思った瞬間に面白くなってしまいまして」
不幸なことに、私は椅子を傾けて座っていたため、後方にきりもみ回転しながら広範囲に牛乳を飛び散らせる大惨事となってしまったのだ。まるで壊れたスプリンクラーのように。
教室のあちこちで悲鳴が上がって、隣のクラスからも見物人が集まる騒ぎになった。
「食べ物を粗末にするやつには、罰を与える必要がある。お前は今日から牛乳禁止だ」
「ええ、そんな! 成長期なのに牛乳を飲まないんじゃあ、体が大きくならないですよ」
「残念だったな。頭の成長が体に追いつくのを待つといい。何十年かかるかわからんがな」
「ど、どうしよう……このままじゃあ、おっぱいも大きくならなくて、貧乳のクロのんがママに敗北を喫した二の舞に……」
クロのんはマイク置きのようなスタンドを教壇において、そこに大きなマシンガンを設置した。
ジャキリ、と弾が装填されて、照準が私に合わせられる。
「いいだろう。最後のチャンスをくれてやる。ただし、また牛乳を噴き出すようなことがあれば、その時は――」
「その時は?」
「法務大臣の許可を取りに行くことになるな」
そして私は、自らの命を担保として、一本の牛乳を受け取った。
ほっぺたにヒンヤリと冷たい牛乳瓶の感触は、まるで死神に撫でられたかのようなトキメキを感じる。
私が席に戻ると、クラスメイトたちは机を教室の端へ移動させた。
広い教室の真ん中には、机が三つだけだ。
「ふえぇ……ランちゃん、本当に大丈夫なの?」
痒み止めクリームを差し出してくれたのは、私の親友で、ふえぇ系女子のサーヤちゃん。
ハーフのサーヤちゃんは、月夜のススキのような、銀色でサラサラの髪の毛をしている。
心配性でおっちょこちょいなサーヤちゃんは、私の悪戯心を十二分に満たしてくれる最高のパートナーだ。
「黒野先生の言うことも正しいよ。ちゃんと座って、変なことを考えないようにしないと」
ジト目で私をたしなめるのは、私の親友で、似非クール系女子のシオリちゃん。
背が高くて、運動神経が抜群なシオリちゃんは、女の子にすごい人気があって、バレンタインデーにはたくさんのチョコレートが集まってくる。
しかしクールな外見と言動に騙されるなかれ、シオリちゃんはこう見えて、だだ甘のゆるゆるなのだ。
人見知りが激しいからクールな印象を与えるんだけど、心を許した相手にはとことん甘い。
例えば、シオリちゃんの家に遊びにいって、シオリちゃんを抱き枕代わりに使っていると、シオリちゃんは私が飽きるまでじーっとしているし、おしりとかふとももとかぷにぷに触っても、ピクッと反応はするけどされるがままなのである。
でも甘いだけじゃなくて、私のことを心配して厳しいことも言ってくれるシオリちゃんは、私の最高のパートナ-なのだ。
心配そうに見つめる二人の親友をおいて、私は死ぬわけにはいかない。
それはともかく、今日の給食の献立を確認しよう。
まずは小学生の永遠のアイドル、きなこパンだ。
ふかふかと柔らかな焼きたてパンに、さらさらと甘い香りの幸せが散りばめられている。
校内美少女コンテスト第一位である私でも、きなこパンを相手にしては分が悪い。
次に、お野菜と肉団子がたっぷり入ったスープ。
細かく刻まれたホウレン草とニンジンが、表面に浮いた油にきらきらと輝いている。
きなこパンの甘みがスープのしょっぱさを、スープのしょっぱさがきなこパンの甘みを求め合う最高の組み合わせだ。
デザートはイチゴと生クリームが乗った焼きプリン。
私はこのデザートのためなら、一日に算数が5時間あっても学校に来るだろう。
私が牛乳を手に取ると、教室がざわっとした。
サーヤちゃんとシオリちゃんも、少しだけ後ろに身を引いた。
昨日の一番の被害者は、目の前にいた二人だったのだから、それも仕方の無いことだ。
「ホントに大丈夫なの?」
サーヤちゃんが、ふえぇって顔で私を見ている。
「ダメかもしれない」
私は正直に答えた。
「今は大丈夫なんだけど、牛乳を口に入れた瞬間に、いろいろ込み上げてきそうな予感がする」
「少しずつ飲めばいいじゃないか」
シオリちゃんの言うことはもっともだけど、勢いよく飲まなければ牛乳ではないのだ。
私は、おいしいものは後に取っておくタイプだ。
今日の献立の中で、牛乳が一番好きなわけじゃなけれど、ある意味おいしいのは牛乳なので、まずはそれ以外から手に付けることにする。
教室は静かな緊張感に包まれている。クロのんのマシンガンは、相変わらず私の方を向いている。
「変なことを考えないようにしようとすると、余計に考えちゃうんだよね」
きなこパンを頬張りながら、私はアンニュイなため息をついた。
「ランちゃん、何を考えているの?」
言葉通りに受け取ると、少しショックな感じがする言い方だけど、サーヤちゃんに悪気はない。
「単なる、つまらないギャグだったんだよ」
「どんなの?」
サーヤちゃんが私に聞いたタイミングで、あちこちから牛乳瓶を置く音や咳払いが聞こえてきた。
教室が静まり返ったのを確認して、私は私を窮地に追いやったギャグを明らかにする。
「『ウマがふっとんだ』っていうギャグなんだけど」
なにそれ、という二人の表情は正しいリアクショ