てきすとぽい
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第三回 てきすとぽい杯
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庚午のジョリーパスタにて
(
なんじや・それ太郎
)
投稿時刻 : 2013.03.16 23:34
最終更新 : 2013.03.17 08:00
字数 : 1999
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2013/03/17 08:00:13
-
2013/03/16 23:34:35
庚午のジョリーパスタにて
なんじや・それ太郎
買い物のために外出した時のこと。ジ
ョ
リー
パスタの前で店のバイトのイケメンなお兄さんが、自転車に乗
っ
た若い女性と、何やら話していた。
「ああ、青春だなあ」と思い眺めていたのも束の間、お兄さんの方は店に戻
っ
て行
っ
た。
しかし、女性の方は自転車に乗
っ
たまま、そこから動こうとはしない。いや、動かないというのは、正確にいうと間違いである。なぜなら彼女は自転車に跨
っ
たまま、もぞもぞと後ろを振り返
っ
たり、自分の足元を覗きこんだりしていたからだ。それでいて、自転車で走りだそうとはせず、ずー
っ
とそこに立ち止ま
っ
たままなのである。
僕は普通に歩いていたため、次第に彼女との距離が縮ま
っ
ていく。そして、近づくにつれ、どうやら彼女の長いスカー
トの裾がチ
ェ
ー
ンに絡みつき、身動きできなくな
っ
ていることに気づいた。
これは僕の想像だが、さ
っ
きの店員も外で掃除か何かしている時に困
っ
ている彼女を見つけ、助け舟を出そうとしたのである。しかし、彼女の方はなぜかそれを断
っ
た。そんな想像をしてみると、先ほどの二人のやり取りもし
っ
くりと理解できる。
まあ、イケメン男子の申し出を断るくらいだから、デブ夫さんである僕の出る幕などあるまい。そんなことを思いながら彼女の脇を通り過ぎようとした時、僕は自転車の後ろに貼られた所有者の住所と名前を書いたシー
ルに目を止めたのである。
「広島市西区観音町・星多真子」
「星多」と書いて「せいた」と読む苗字は、ないわけではなかろうが珍しい。だけど、僕はこの名字に聞き覚えがあ
っ
た。その名前は僕は子供の頃、八月六日が来るたびに祖母から聞かされた名前だ
っ
たのである。
☆☆☆
祖母はあの日、幟町(当時は上流川町)の会社で仕事をして原爆に遭
っ
た。しかし、即座に気絶してしま
っ
た祖母は、その時のことをあまり覚えてはいない。気がつくと祖母は白島の近くで見知らぬ男性に背負われて逃げる途中だ
っ
た。祖母は男に声をかけ、い
っ
たい何が起こ
っ
たのか尋ねた。すると、男は「あんたが道に倒れてたから助けたんじ
ゃ
」と答えた。祖母は両腕と両足を脱臼した状態で、道端に横たわ
っ
ていたとのこと。「せいた」と名乗るその男性は街を襲
っ
た火事から逃れる途中で祖母を見かけ、柔道の心得があ
っ
たため脱臼を治した。その上で喝を入れてみたのだが目を覚まさなか
っ
たため、一度助けようと思
っ
たこの命を最後まで面倒見よう、と決意し祖母を背負
っ
てここまで走
っ
て来たのであ
っ
た。
祖母は礼を言
っ
て星多氏と別れた。そして万が一のことがあ
っ
た場合に集合場所として指定されていた祇園の事務所まで、逃げ延びた。先に逃げていた同僚たちは、祖母の姿を見て悲鳴を上げた。なぜなら祖母はと
っ
くに焼け死んだものと思われていたからである。詳しく聞いてみると、祖母は爆風で気絶しており、手足もふらついて運びにくか
っ
た。そこで避難の足手まといになると判断され、道中置き去りにされたとのことであ
っ
た。
「ああ、いい所に置いてくれて助か
っ
たわ」と楽天的な祖母は負い目を感じる同僚たちに言
っ
た。「おかげで生き延びることができたんよ」
子供の頃から何度も何度も聞かされたその話。そして話に最後に祖母はこう付け加えるのであ
っ
た。
「星多さんという人がいたら、絶対に助けるんよ。おばあち
ゃ
んが死んど
っ
たら、あんたもおらんのんじ
ゃ
けん」
☆☆☆
僕は通り過ぎるのをやめ、一歩彼女に近づき、「スタンドを立てて、冷静にな
っ
てみてはどうでし
ょ
う」と提案した。
「あ、はい」と彼女が答えたので、ハンドルを持
っ
てスタンドを立てるのを手伝う。
そうしてスカー
トの裾を引
っ
張
っ
てみたり、ペダルを回してみたり、チ
ェ
ー
ンを押してみたり
……
。
そんな中、彼女が不意に自分の長いし
っ
ぽのようなスカー
トの裾をひ
ょ
いと引
っ
張ると、それは簡単にチ
ェ
ー
ンから外れ、しばし僕の目の前で宙を舞
っ
た。さ
っ
きまで何度も同じことを繰り返したのに、最後はあ
っ
けないほどの幕切れであ
っ
た。
僕は大したことはしていないし、問題を片付けたのは彼女自身なのだが、それでもお礼のことばだけは散々受け取
っ
た。それから間もなくして彼女が立ち去ろうとしたので、僕は思わずその背中に向けてこう言
っ
た。
「金行あやめの孫です。祖母がお世話にな
っ
たかもしれません」
彼女は自転車を停め、こちらを振り返
っ
た。そしてにこやかに微笑みながら、「ほし・たまこです」と自分の名前らしきものを告げた。
「すみません、人違いでした」
「え
っ
?」
ばあち
ゃ
ん、ひどいよ。自分の命の恩人の名前を間違
っ
て覚えるなんて。「星多」は「ほした」だよ。どうせ漢字の印象が強くて、読みをどこかで間違えたんだろう。俺は恥掻いたじ
ゃ
ないか。「ほした・まこ」を「ほし・たまこ」に聞き違えた俺も、ばあち
ゃ
んの血を引いてるな。
だけどな、ばあち
ゃ
ん。そんな星多さんも、もうすぐ俺と同じ名字になる。とても素敵な女性と引きあわせてくれてありがとう。
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