真実と動機
逃げても、逃げても、わたしには逃げ場所などどこにも無か
った。
『……なお、警察は殺人事件と見て調査を進めており、重要参考人として、現在行方が分からなくなっている……』
街頭に置かれたテレビから、ニュースキャスターの声が響く。
――……まただ。
思わず唇をぎゅっと噛みしめる。
――やっぱりここも駄目だった。
テレビの音声を振り切るように歩み去るわたしの耳に、今度は周囲の人の話し声が届く。
「やだ、この街で殺人事件ですって!」
「おいおい……。人殺しがこの街にいるとか、勘弁してくれよ……」
「人殺しなんか、とっとと死刑にしちまえばいいんだよ!」
「そうそう! 刑が軽いから人殺そうって言う連中が後を絶たないんだよ!」
――うるさい。うるさい!
人気のない通りを早足に進みながら、わたしはギュッと手を握り締めた。
――あなたたちに何が分かるっていうの!? ただニュースを聞いただけの連中に!
悔しかった。
少し前までは、わたしだって彼らと同じだったはずなのに。
殺人は重い罪。それを犯した者は厳しく罰せられるべき。
そう、考えていたはずなのに。
――どうして、こんなことに……。
わたしは過去を振り返る。
その時まで、わたしは何も悪いことなどしていない筈だった。
それとも、騙されたことは悪なのだろうか?
最悪の相手に出会ってしまった事は、責められるべきなんだろうか?
分からない。ただ、分かっている事は一つだけ。
アイツは、最低のクズだった。
ほんの一欠片の悪意で誰かを破滅に追いやることを生業としていた、クズ中のクズだった。
アイツに目を付けられたわたしに残されていた道は――破滅だけだった。
それでもわたしは奴の不正を警察に訴えるべく、証拠を掴もうとした。
だがしかし、奴にとって生業だったからこそ、都合の悪い証拠は徹底的に隠されていた。
だから、それ以外に方法は無かったのだ。
――アイツが生きている限り、わたしは幸せにはなれない……。
だから、殺したのだ。
徹底的に。
容赦なく。
これで、幸せになれると信じて。
……だがしかし。
わたしは人目を避けて裏路地を歩いていた。
電灯さえまばらな、薄暗い通り。
今、マスコミの報道はアイツが善良な市民であったかのように報じられていた。
――どうして……。
結局、警察やマスコミも未だに奴の不正の尻尾すら掴めてはいないのだ。
それだけ奴が狡猾だった、とも言えるだろう。
無論、もうしばらくすれば警察もアイツがどんな人間だったか気付くはずだ。
だが……。
「なぁ、この街で起こった例の殺人事件、まだ犯人捕まってないらしいぞ」
「警察は何してんだよ……」
「あの重要参考人が殺したんだろ? とっとと捕まってくれないかねぇ……」
悪意なき野次馬たちは、警察がアイツの不正の証拠を掴めていないことではなく、未だにわたしを捕まえていないことを責める。
――ねぇ、どうして……? どうしてわたしが追われなくちゃいけないの……?
無力感が胸に満ちる。
一体、誰が悪いのだろうか?
アイツなのか? それともアイツを殺したわたしなのだろうか?
真実を掴みきれない警察やマスコミ? あるいは無根拠な噂で人を貶める野次馬たち?
本当のところは分からない。
だけど、これだけは言える。
――誰も、わたしを助けてはくれなかった……。
その思いが胸に溢れ、嗚咽となって口から洩れる。
――結局、こうなるまで誰も助けてはくれなかった……。なのに、わたしが責められるの……?
どうして。
わたしはただ……。
――幸せでいたかっただけなのに……。
その時、わたしの背後で足音が響いた。
「ちょっと、そこの君!」
振り返ると、警官が二人、道を塞ぐように立っていた。
――ああ……。これでもう、逃げられない。
その時わたしの胸に宿ったのは、諦めだったのか、安らぎだったのか。