てきすとぽい
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てきすと怪2014
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盲目の代償
(
みお
)
投稿時刻 : 2014.08.15 22:43
字数 : 4284
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盲目の代償
みお
私が視力を失
っ
たのは、数
ヶ
月前のことである。
その日、私は競馬で負けてくさくさしていた。安酒を浴びるように飲みながら、川沿いの道を歩いていた。
何かに呼ばれたような気がして顔を上げると、まるで熟柿のような太陽が河原の向こうに沈み行くところである。その茜と紺が波打つ空と、大地に伸びた夏の影。
久々に私はその風景に、魅入られた。ああ、何と美しいのだろう。そうか。終わり行くものは、美しい。
柄にも無いことを考えて、私は夕暮れを見る。
……
誰が思
っ
ただろうか。それが私の見た最後の光景とな
っ
た。
お前は随分女を泣かせて来たので、罰が当た
っ
たのだろう。
私が視力を失
っ
た時にかけられた言葉はおおよそ、そうい
っ
た類のものであ
っ
た。世間における私の評判とはそのようなものだと、苦笑するばかりである。
運も金もない、ただの老いぼれ。視力がなくな
っ
たところで、この年だ。あとは死にいくばかりの人間だ。怖いこともあるまいと、虚勢を張
っ
てみせたりもした。
そのくせ、目が見えなくな
っ
たことに恐怖を覚えたのか、私は検査入院中、足を滑らせて階段から落ちた。顔に怪我を負
っ
たが、首が折れなか
っ
たことが奇跡だと、医者は元気付けるように言
っ
た。
しかし私の顔を見た看護師が息を漏らす声が聞こえた。その声を窘めるように、鋭く医者が叱る声も聞こえた。
さぞ、酷い顔にな
っ
たのだろう。顔面はずきずきと痛むし、血も流れたようだ。
しかし叫ぶほど、痛いとは思えなか
っ
た。
目が見えなくな
っ
て以降、眼球の奥が鈍く痛むようにな
っ
たのだ。それは何かに圧迫されるような痛みである。頭痛も酷い、肩も凝る。そのせいで、多少の怪我ごとき、何の痛みも感じない。
「先生、私は生まれた時に母を亡くしましてね。幼い頃は川で溺れた私を庇
っ
た姉が代わりに死にました」
目が見えなくな
っ
て、さらに階段から滑り落ちて、私はす
っ
かり毒気を抜かれた。しかし、昔はろくでもない男であ
っ
た。
「それが契機
っ
てわけじ
ゃ
あないが、それ以降、数十年。女を泣かせてばかりきた。泣かせた、なんていや
ぁ
言葉が可愛いもんだ。酷いことだ
っ
て山のようにした。そのつけが、今きたんじ
ゃ
ねえかなと思う」
60数年生きた。泣かせた女の数は、年の数を軽く超える。ろくでもない人生だ。
「だからね、目がみえなく
っ
ても、私はそれほど辛くもなんともない。罰だと思えばね」
「
……
そうですか」
「ただね。何で見えないのかが分からない。その事だけが気がかりだ。そいつは、気持ちが悪い。ねえ先生。理由だけはは
っ
きりさせて下さいよ」
若いが目の病に詳しいという医者は、力なく頷いたようだ。温かい手で手の平が包まれる。
「普通は目が見えなくな
っ
ても光くらいは見えるものですが」
見えませんか。と医者は言
っ
た。私は頷く。目が見えなくな
っ
てからというもの、光もい
っ
さい感じない。真の闇だ。闇の中に私はいる。
「絶対、治しまし
ょ
う。」
大丈夫です。医者はそうい
っ
た。
しかし不思議なことに私は分かるのだ。
医者は、私から目をそらしてそう言
っ
ている。
盲目とな
っ
てから、不思議なことに目と耳が澄んだ。盲目とな
っ
て世界から色が消えたが、代わりに目と耳で色を感じるようにな
っ
た。
齢60を超えてはじめて味わう感動であ
っ
た。もちろん、それは虚無感に包まれた感動ではあ
っ
たが。
「甘い香りがするんだ」
そして、この年にな
っ
て私は電話のよさを知
っ
た。
固い受話器を耳に押しつけて私は呑気に喋る。相手は往年の友である。
外を出歩くのは億劫であるし、足下もおぼつかない。人に会
っ
て喋るのも気を使わせる。
その点。電話は気楽であ
っ
た。お互いに、声という情報しか持
っ
ていない。
「おいおい、糖尿でも患
っ
てるんじ
ゃ
ねえか。俺の兄貴もそれで命を縮めたんだぜ」
口の悪い旧友はそんなことをいう。
「いやあ、血液検査は正常だ
っ
たぜ」
しかし実際、ここ数
ヶ
月やけに鼻がきくようにな
っ
た。甘い香りが常に漂うのである。花のようであり、ミルクくさくもあ
っ
た。
妙に落ち着くので、構わずにいた。闇の中にいる私の些細な幸福である。
「まあ今度見舞いにい
っ
てやるよ。その年で目を患うのはきつかろう」
かかか、と悪友は笑う。笑うついでに軽口もたたく。
「ああ、でも。そんな必要もないか」
「なぜそうおもう」
「いい女が側にいるんだろう、この色男め。盲目にな
っ
ても女を泣かせるか」
「女なんかいねえよ」
私も笑
っ
て返す。いつもの軽口だ。と思
っ
たのだ。
しかし、彼は真剣な声で言
っ
た。
「隠すな隠すな。すぐそばで、髪をとかす音が聞こえるよ」
ああ。この甘い香りは女の整髪料の香りではないか。私はふと、そう思
っ
た。
ざく
ざく
ざく
何故、これまで聞こえなか
っ
たのか。友のいうように、髪をとかす音が聞こえはじめたのは、その電話以降である。
し
ゅ
、し
ゅ
、し
ゅ
。ざく、ざくざく。
それはた
っ
ぷりと重い髪を、櫛でとかす音である。艶やかな黒髪をとかすような、そんな音である。
それは目の奥から聞こえてくるようである。そしてその音が聞こえるたびに、痛みが増すようである。
医者に言
っ
ても取り合
っ
てくれない。そのせいで、私はずいぶん荒れた。荒れたというのは、恐怖の裏返しである。どうしようもない恐怖に、私は荒れるしかなか
っ
た。
音と香りに包まれ、酒を飲んでも眠れない。眠
っ
たところで闇は闇。夢の中にまで音と香りは迫る。
ざく、ざく、ざく。
気が狂いそうになる頃、私の元に友人が来訪した。
「おう。会いに来たぜ。ふさぎ込んでる
っ
てきいてな。ほら、酒もも
っ
てきた
……
でも、あんま飲むんじ
ゃ
ねえぞ。目くらいなんだ。それよか、肝臓を壊す方がこええからな」
酒の香りをぷん、と漂う。それは友の香りだ。救われた気がして、私は布団から身を起こす。目を冷やしていたタオルをと
っ
て、私は久しぶりに笑
っ
た。
「ああ、来てくれて助か
っ
た。もう気が狂いそうだ」
「
……
なあ、おまえ」
友の動きがふと、止ま
っ
た。声に恐怖がにじむのが感じ取れる。近づくと、彼は反射的に身をそらしたようだ。
酒瓶が、床に置いて激しい音を立てる。
「
……
ん、すまん。なんでもない」
「いや、い
っ
てくれ」
手を伸ばすと友の服に触れる。ざらついたその感触は私にと
っ
て蜘蛛の糸だ。離すまいとつかむ。
友の身体は震えている。
「い
っ
ていいものか」
ざくざくざくと、音は相変わらず不快に響く。香りも強い。私は闇の中で一人、苛まれている。
「
……
お前の顔」
「ああ、転けて怪我をしたのだ」
「むむ」
友は口ごも
っ
た。私の顔から目をそらしている、そんな気がする。
それはかの医者と同じ態度である。
「転けたか。顔から落ちたか。うん、そうだな。顔にな、痣が残
っ
てる。それは奇妙な具合に落ちたみたいだな」
「なぜ」
「お前の目の周り、まるで
……
」
ふと私の眼球がずきりと痛んだ。それは、まるで目を押しつぶされるような痛みである。
触れると、熱い。私の体温よりも酷く熱い。ああ、熱を持
っ
ている。
「
……
お前」
友人の怯える声が静かに聞こえた。
「お前それ
……
子供の小さな掌が、目隠しをする具合のような、そんな痣が浮いている」
目の奥に何かごりごりと動くものがある、と気付いたのはそれから一週間ほどのことである。
病院にはもう長く足を運んでいない。どうせ医者は同じ事ばかりをいう。治りますよ。き
っ
と治ります。治しまし
ょ
う。
しかし、治らない。
友も、もう電話に出てくれない。私は部屋の隅で息をするばかりの、ただの生きた屍とな
っ
た。
しかし痛みと音と香りが、私をたやすく屍にはしてくれない。涙なのか血なのか、なにかが目から溢れて止まらない。
目にそ
っ
と触れると、体液の隙間に何か細いものを探り当てた。
最初、それはただの糸であろうと思
っ
た。布団の糸が、体液につられて顔に付いたのだろう。そう思
っ
た。
「
……
ああ」
指に絡んだのは細い糸。いや、糸のような、細い細い。
……
それは、顔に付いているのではない。目だ。目の奥からちろりと漏れている。
「髪か」
引くと、ずに
ゅ
り、と眼球が揺れた。激痛より、甘い痛みだ。それは何か柔らかいものに舐められたような痛みである。
指に絡んだその髪をずるずると引き出せば、ぬるぬると目の奥より驚くほどの量が溢れでた。
つられて涙がぼろぼろと溢れる。それとも血か。それでも私は引くのをやめられない。髪の毛はいまや、掌い
っ
ぱいに溢れている。指に、手の甲に、掌に、髪がずるずると纏わり付く。引けば引くほどに、髪がずるずると引き出される。
それは女の細髪だ。私の体液に混じり、ぬるぬると黒く輝く、美しい、ああ。これは美しい女の髪だ。どの女の髪であ
っ
たか覚えていない。いや、全ての女か。女の髪は、美しい。
ぬるぬると、髪は私の眼球に絡むのだ。女の優しい声。優しい性質。ひ
っ
くり返せば粘着な、まとわりつく、重い愛情。
「ああ、ああ」
私は呻く。嘆きながら最後の一本を取りだし終わ
っ
たとき、目の前に光が溢れた。
痛む目を開けば、数
ヶ
月ぶりに世界が見える。世界とはこんなに明るか
っ
たのか。
目の前に見えるのは、茜の色に染まる河原。ああ、いつか見た。そうだ、視力を失う直前に見た、それは熟柿のような太陽。
熱を持
っ
てゆるゆる沈むその太陽を背に、幾人もの人影がみえる。それはち
ょ
うど、川岸に立
っ
ている。女たちだ。数十人もいるであろうか。
影だけで女だと思
っ
たのは、いずれも長い髪を持
っ
て居るからだ。彼女たちは背に太陽を背負
っ
ているので、顔はよくわからぬ。
しかし、私にはその顔がは
っ
きりと分か
っ
た。思い出せた。美しい女達。そして母、そして姉。
あれほど美しい女達だが、私が最後にみたのはいずれも泣き顔であ
っ
た。今は、笑
っ
ている。皆、無邪気に笑
っ
ている。
おいでおいでと影が囁く。髪がゆるゆると蠢いて、まるで私を招くように揺れるのだ。
どこかで赤子のおぎ
ゃ
あと無く声、私の顔の傷がまるで顔を掴むようにぎ
ゅ
うぎ
ゅ
う痛む。
「ああ、いいこだ、いいこだ」
私は痛む顔を押さえて微笑んだ。
なぜ今まで気づかなか
っ
た。私の頭に、幾人もの赤子がとりついている。生まれることもなか
っ
た、皺の寄
っ
た小さな手のひら。生きたいと叫んで泣く子供。殺さないでと泣く子供。赤い指が私の目に食い込む。
女たちは甘い整髪料の香りをまき散らしながら、髪をといていた。ざく、ざくざく。
私は一歩、一歩と足を動かす。見れば足下にも、子供の影だ。女の髪だ。巻き取られ、引きずられ、私の体はどんどんと重くなる。
しかし顔を上げればそこには美しい夕陽なのである。腐
っ
たような茜の色は、悲しいほどに優しい色合いなのである。
ああ、なんと心地のよい灯りだろうか。
それが、私の見た最期の光景とな
っ
た。
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