第21回 てきすとぽい杯
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投稿時刻 : 2014.09.20 23:43
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結婚しよう
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 誰かの携帯電話が鳴った。ような、気がした。
 幻聴だ、と自分に言い聞かせる。
 聞こえた、ような気がした、のは、昔ながらのちゃちな甲高い発信音だ。ピロロロ、ピロロロ、ピロロロ、……こんな昔ながらの着信音、長らく聞いてない。こんな、若い女性ばかりがいる喫茶店で、そんな音がするわけがない。幻聴だ。
 僕はいつもこんな状況にいると、携帯電話の幻聴を聞いてしまう。手足が震えて足が真っ白になる。
 小学校五年生の冬の、あの舞台のせいだった。
 学習発表会は毎年十二月に行われた。保護者や学校の近所の人々が体育館に集まり、彼らの前で各クラスがそれぞれ出し物をする。
 僕のクラスは走れメロスの演劇だった。
 物心ついた時にはすさまじいあがり症で、小心者で、人前に出るなんて機会は徹底的に避けてきた内気な僕が、そのとき主役のメロス役に立候補したのは、子供らしい理由だった。クラスのアカリちゃんのことが好きで、振り向いて欲しかったからだ。震える手を挙げた。周囲の同級生たちは無邪気さを捨て適度に目立たないことを望むようになる時期だった。意外なほどあっさり決まった。
 舞台の練習は極めて苦痛だった。たった二十五人のクラスメイトの前で、大声を出すのも辛かった。声は震え足が震え貧血を起こしまくった。担任にはどやされたが役を代わってくれるクラスメイトもいなかったのでメロス役は続投となった。アカリちゃんはいつの間にか王さま役のタカシくんと付き合っていた。
 そんな苦痛にも耐えているうちに台詞も覚え多少はマシな演技ができるようになったつもりでいた本番だった。
 体育館は底冷えがした。寒さと緊張で全身が震えていた。
 ステージの前にはびっしり人が入っていた。クラスメイト二十五人とはくらべものにならない人数だった。
 それでも練習してきた日々を思い返し、クラスメイトらのさりげないフォローにも助けられながら、一幕、二幕を無事に演じきった。
 それが起こったのは第三幕の中盤だった。周囲に他の役者がおらず、道中一人でくじけそうになったメロスの長台詞。
 平常心平常心と自分に言い聞かせながらなんとか台詞を紡いでいた最中、静まり返っていた体育館に携帯の着信音が鳴り響いた。
 ピロロロ、ピロロロ、ピロロローー
 僕の集中力は突然それによって途切れてしまった。覚えた台詞に、これまでの練習に思いを馳せていたのが全て吹っ飛んで、頭が真っ白になってしまった。
 三百人ほどの大人たちの目が、僕を見つめている。息ができなくなった。僕は数秒固まった後、舞台から逃げ出した。
 その出来事以来、僕はいつも、肝心なときに携帯電話の幻聴を聞いてしまう。そして、全身が震えて、何も考えられなくなってしまう。
 テニス部の大会の最中も、大学の論文発表のときも、就職の面接のときだって、いつもいつも、あの着信音が僕の人生の邪魔をする――!
 だが、今日こそは、そうはさせない。僕は一度頭を振った。
 目の前にいる、キョウコが眉根をひそめたまま、こちらを凝視している。
 付き合って一年半になる。職場の先輩の紹介でなんとなくずるずる付き合いを続けてきた。別れて紹介してくれた先輩と面倒なことになるのが億劫だというのが続いていた理由だった。
 どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 生理が来ないと打ち明けられたのは三日前だ。まさかの展開に頭が真っ白になった。黙っていると、何か言ってよ、と言われ、我に返りかけた。思うところがあったが、それを口にしようとした瞬間、携帯電話の幻聴が聞こえて、僕は例によって走って逃げだしてしまった。
 だが家に帰って、落ち着き、冷静になり、言わなければならないことがあることに気付いた。
 なんとか自分を落ち着けて、キョウコに電話をして呼び出した。
 言うことは決めてきた。一人暮らしの狭いアパートで、台詞を何度も練習してきたのだ。人生の分かれ道だ。絶対に失敗はしない。
 一度息を吸って、吐いた。
「あの、」
 情けない自分の第一声が発せられたと同時、突然、テーブルが小刻みに振動した。わずかにテーブルの端と接触していた腕がびりびり振るえる。キョウコのスマホのバイブレーションだった。
 不機嫌そうに、彼女がそれを止め、こちらを睨みつける。
 僕の集中力はやっぱり切れてしまった。勇んでいた心が急速にしぼんでいく。
「あのさ、なんなの、さっきから黙って。何か言うことあるでしょ」
「あの、あの、あの……」
「いい加減にしてよ! あんた、パパになるんだよ!」
「あ……あ……」
 怒鳴りながら立ち上がりそうになったキョウコを見て、僕はもう、完全にパニックになった。
「け、け、け、け」
「け?」
「け、結婚、し、しよう」
 僕はその自分の言葉が遠くから聞こえて来る他人の声のように思えた。自分の体に血が通っている気がしなかった。
『お前が職場の同僚と浮気してるの知ってるんだぞ、本当に俺の子なのか』――今日こそ言ってやると思っていた台詞は結局言えないまま、僕は人生の分かれ道で結局その場から逃げるための安易な言葉を吐いてしまった。
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