第23回 てきすとぽい杯
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架空集
寿々
投稿時刻 : 2014.11.16 02:18
字数 : 2926
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架空集
寿々


 ところで、『架空集』という本をご存じですか? ひとによては、『架空事典』と呼ぶ者もあるそうですが。聞いたこともない? まあそうかもしれません。流通量の少ない、大変稀少な本ですから。私も先日ようやく現物を手に入れたところなのです。作者不詳の小説集なのですがね、あんまり嬉しかたものだから、誰かに聞いてもらいたくて。大変興味深い本なのですよ。もう一度? 『架空集』です。やはり聞き覚えはありませんか。
 え? 幽霊や怪獣? ああ、いえいえ、その「架空」ではないのですよ。そういう摩訶不思議な生き物が登場する冊子ではないのです。ええ、でも、摩訶不思議なお話ではあるのですけれども。

 いえね、主人公は、ちと不思議な力を持た男なのです。仙人みたいなやつです。え? それも架空じないかて? まあまあ、それはそうなんですけれども、まあちと茶々入れずに聞いてくださいな。
 でね、その仙人みたいな男がどんな不思議な力を持ているかと言うとですよ。不思議な形に手を組んで、ぼそぼそぼそと呪文を唱えると、どんなものでも宙に浮いちうんです。なあんでも。で、男はその不思議な術で、ひたすらいろんな物を宙に浮かせるという。そういう小話ばかり集めた本なのです。ね、だから、いろんな物を、空に、架ける、話で『架空集』というわけ。

 え? それから? それからなんてありませんよ、それだけ。ええ、それだけですとも。ははは、本当にそれだけですてば。まあ淡々とした三人称の小説調子で、浮かす物やら、対象に応じた手の印の形やら、呪文やらを説明して、浮かせて、お終い。一番最後のお話では、ついに主人公は自分自身を宙に浮かせて、くるくる鳥のように空を飛ぶんですがね。
 まあ、小説らしい、主人公の男の気持ちとか、どうして浮かすのかとか、浮かせた後どうなたのかとか、なんにも書いてやしません。一話一話も非常に短くてねえ。そのくせ説明文章については実に詳細な癖に、妙にわかりやすくて、『事典』なんて言われ方も、まさに言い得て妙てなものです。

 おもしろいのかて? これが実に難しい質問だ。この本、小説として読むには、実に実につまらんでしう。しかしね、しかし――ここからは、あまり大きな声では言えない話なのですけれども、そうそう、もうちとこちらに寄て。

 ……実はね、この小説の主人公、モデルは作者自身なのだそうです。つまりね、作者はどうやら、本物の仙人だたらしいというのです。そんな馬鹿な、と思われたでしう? ところがね、証拠があるんです。その証拠というのが、この……、ああ、これが私が先日手に入れたその本なのですけれども、この『架空集』そのものなのです。つまりね、これ、小説としては駄作極まりない本ですが、教授本としては極めて優れた一冊であるのです。
 おわかりになりました? ああ、あなたは勘がよろしい。そうですそうです、あなたの予期の通りですとも。この本の通りにすれば、この本の通りにその代物が宙に浮き出す、つまりはそういうことなのです。

 例えばね、こういうこと――――

 ああ、声が大きい。声が大きいですよ。こんなこと、大衆に知られれば大変なことになります。特別な筋の者だけが知る、特別な話なのですから。ちと物を浮かせるなんて、大したことないとお思いかもしれませんが、それはあなたが肝の据わた人だからそう思えるだけで、心根の小さい大衆はそうは思えないのですから、声の大きさには気をつけていただかないと。
 ええ? 銚子を浮かせたくらいでなんぼのものだて? ええまたくその通り! すぐにそんな返しをされるなんて、やはりあなたになら話しても大事にはなるまいと信じた私の目は正しかたようですね。
 え、なんですか? ははあ、やぱりそこが気になりますか? ええ、ええ、そりあ、もちろんですよ。この本を手に入れて、一番最後の話を試さないなんて手がありますか。

 この本の通りにするならばね、ひとならば必ず死んでしまうほど高いところから、ぴんと飛び降りなければならないのです。すでにこの本の真実を実感していた私でさえ、最初は足が竦みました。

 初めての時は、死にかけの蝉のようでした。へろへろとゆくりとではありましたが、ただ垂直に落ちただけでした。
 何度か練習して、ようやくムササビの仔のようになれました。ひるひるひると斜めに滑空できるようになたのです。
 そして今では、私は空を裂く鷹にも、悠々と空を征く白鳥にもなれます。

 ああその時の気持ちだけは、うまく言葉にできません。人間の言葉では説明できない心地なのです。

 ……もうしわけありません。この本の中身を、お見せすることはできないのです。誰もが扱える秘術を載せる本だからこそ、特別な筋の人たちによて、この『架空集』はひそりと世から隠されました。その説明できない特別によて、私もようやくこの本に手を触れることを許されただけの人間なのです。だから、この本を決して他人に渡すことはできません。ただただ、ひそりとほんの少しだけ、その秘術の欠片を、世の不思議の喜びを、これと思う人間に、少しだけ披露する。そうしているだけの人間なのです。
 あなたもまた今、不可思議の喜びに触れました。そういうものが実在するのだ、と思うだけで、少しだけ世界が楽しく思えませんか? どうか、それだけで満足してください。私の知ているお話しならば、いくらでも披露いたしましう。さあ、この夜に、出会いに、酒を楽しもうではありませんか。






 ――――う、うん。 おお、すまねえな、女将。ちと久しぶりに深酒しちまた。水を一杯くれるかい。おお、ありがて。え? やだね、見てたのかよ。何言てんのさあ。女将が見たのは、ほら、これだろ。は、おれの職業なんだと思てんだい? 大手品師様だぜ? こんなの糸繰り手品ちいのちいよ。なに、「大」は余計だて? うるせよ! ははは。いいのさいいのさ、おまんま食い上げは困るけど、今日の旦那みたいに、目まん丸にしてくれんのが一番楽しいのよ。
 ……と、旦那は? ああ、そうかい。何か調子の良いこと話すだけ話して、先に潰れちまて悪いことしたなあ……て、あー-! あの旦那! おれの商売道具持ていきやがた! 何て、小道具だよ小道具! 本! 『架空集』! 薄汚いて言うなよ。ああいう古臭い感じが真実味を増す隠し味なんだよ。ああー、なんで旦那、あんなもん持ていちまたんだろ。自分の荷物と間違えたのか……
 ええ? ……ええ? あはは、流石にさあ、それはないだろうよ。いや、見せないとこまでこだわりたい派だからさ、俺。中身も説明してる通りの本よ。でもさあ、いやいや、そりあ、ないだろ。だて、あの旦那、どう見ても学のある賢げなひとだたじん。そおんなさあ? ないて、ないない。大体、誰が見るわけでもないけどさ、おもて表紙の裏にちんと種明かしもしてあるしな?

『架空集 ―― 架空、すなわち土台のない上に重ねた言葉ばかりを集めた本。つまりは、嘘。』

 誰が考えたて、人間が鳥になんてなれるわけねだろ。
 人間が高い所から飛んでも、冷たい地面と仲良しこよしするだけさ。
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