muomuo、桜の木を指差す
精進とは果たしてどのような状態を指すのだろう。
己の道を進むこと。
あるいは人はそう口にするのかもしれない。
だが、かりにそれが正しいとすれば、目の前の光景が不条理なものになる。
気づけば、私怨ゲー
ジの目盛りが赤く染まっていた。
憎い! 自分たちを放り出して、芸のやり取りをしている2人が憎い!
すずきりの肩は、ブルドックの頬のように怒りでぷるぷると震えていた。
「muomuoさんと仰いましたね。さきほどから何を話されているのですか!」
ダンゴリングの家元を名乗る人物と、すっかり意気投合している主催者にすずきりは鼻息を荒くした。
家元というが、相手は自分と同じ初心者教室の参加者だ。
それがいつの間にか、主催者のほうが弟子入りを志願する流れになっている。
「そうですよ。はやくジャグリングを教えてくださいよ」
ほかの参加者たちも同調する。
頭に血が上るのも当然だった。
いくら無料とはいえ、レクチャーを放棄されたのでは詐欺も同然だ。
「オー、ごーめんなさいでーす。しかーし、私も芸をきわめる者。上には上がいると知った今、あなたたちにジャグリングを教えることは傲慢というものでーす」
「何を言っているのですか。それでは、muomuoさんは今まで自分が一番のジャグラーだと思っていたのですか。それこそ傲慢ではないですか」
腕を組んで仁王立ちしながら、すずきりは訴えた。
妄想ボックスが本当に妄想と化していることが、ひどく腹立たしい。
「はーい、そうです。私は今まで自分が一番ジャグリングを愛していると思っていました。しかーし、世界は広いのでーす。登るべき山はほかにもあったのでーす。muomuoは、新たな山にアタックするときを迎えたのでーす」
「新たな山? あなたは本場のモロッコから訪れたジャグリングの使い手ではないですか」
「いえ、muomuoは今日からダンゴリングをイチから学ぶことを決意したのでーす。これはもう止められないことなのでーす」
「くっ、よりによって、ダンゴリングとは……」
きゅっと唇を噛みしめるすずきりの横顔を、すぐそばの人物が見詰めていた。
初心者教室を混乱に陥れている張本人、季花である。
「えっと、もしかしてあなたは三木谷堂のお孫さんでは?」
その言葉を肯定もせず否定もせず、すずきりはただうつむいた。
ダンゴリングの名家、木下家では若くして家元となった逸材が現れたという。
確かにさきほどの技は一部の隙もない完璧なものだった。
天才と称されるのも無理もない話だろう。
だが、とすずきりは思う。
自分だってダンゴリングをきわめたかったのだ。
しかし、三木谷堂の血が流れる者にはそれが許されない。
あくまでもダンゴリングを陰で支える存在。
すずきりは、そのような運命に縛られている。
「ジャ、ジャグリングがダンゴリングに劣る。そんなはずないじゃないですか。何故、途中まで登った山を今更諦めるのですか」
「オフコース。しかーし、ダンゴリングには伝統芸ならではの様式美がありまーす。そしーて、その様式美は団子を作るマイスターたちの努力と研鑽によって形作られているのでーす。これはジャグリングにない魅力ですねー」
「だからといって、だからといって……」
踵を返してその場を立ち去ろうとすると、目の前に見慣れたものが差し出された。
団子の包み。
三木谷堂のものである。
「きっとあなたはジャグリングではなく、ダンゴリングをしたかったのですね。その指のマメ、すでに高い技術を持っているとお見受けしました。どうでしょう、私にあなたのダンゴリングを見せてもらえませんか?」「し、しかし、私は……」
「なに、しきたりなど気にすることはありません。人は好きな山を登る権利があるのです。それにもし、三木谷堂が後継者不足に悩むようなら、私が団子の作り方を覚えればいい」
団子の作り方を覚えればいい。
その言葉が、すずきりの頭の中で繰り返された。
包みを開き、団子を手に取る。
それは三木谷堂のプライドそのものだ。
決して他人がやすやすと真似できるものではない。
「ふっ、家元であるあなたがそのようなことを軽々しく口にするとは。muomuoさんが仰ったように、この団子はそのへんで売られている団子とはわけがちがうのです。それを自分が作ればいいなどとは片腹痛い。寝言は家に帰ってトイレを済ませて布団に入ってからにしてください」
「これは失礼。では、私どもに欠かせないその団子、三木谷堂の名を継ぐあなたにお任せしてよいのですね」「ははは、元よりそのつもり。我らなくしてダンゴリングなし。そのことを肝に銘じてもらいましょう」
睨むすずきり、睨み返す季花、新しい山に登りはじめたmuomuo。
3人には3人の道筋がある。
しかし、大事なことを彼らは忘れていた。
この公園には、ほかにも参加者たちがいたのだ。
「おい、お前ら。内輪話もたいがいにせえよ。すまきにして、近くの川に放りこんだろうか、ああ? 数ではこっちが上じゃけんのぉ」
今にも襲い掛かってきそうな形相の参加者たちに、3人はたじろいだ。
「オー、このままではまずいでーす。2人ともあそこに逃げるのでーす」
右を向くと、ほどよい太さの桜の木。
3人は脱兎のごとく駆けだすと、木に登った。
追いかける怒れる参加者たち。
大道芸で鍛えたmuomuoが、太い枝を握りしめながら手を伸ばす。
「さあ、もっと、もっと上に。彼らは理性を失っていまーす」
「分かっています。家元、しっかり登るのです。それでは奴らに捕まってしまいます」
「私は木登りが苦手なのです。もし、もし……私に何かがあったときは、あなたがダンゴリングの継承を……」「な、なにを弱気な……。馬鹿なことを言わないでください」
「ぐ、ぐはっ」
「い、家元!」
試練を乗り越え、ともに同じ頂きを目指す。
つまるところ、精進とは他人から信頼される力量を身につけることなのではないか。
なるほど、ならば私がモロッコで団子を作ってみよう。
傷ついた家元を引きずりあげながら、すずきりはそう決めた。
そして、そのとき静かに幕が開いたものがある。
3人の伝説。
後に木登り同盟と呼ばれることを、このときはまだ誰も知らない。