24時間ルール
「24時間前には知らせなければならない」というルー
ルが施行されてからずいぶんになる。
たとえば、つきあっている相手に別れを切り出す場合、必ず別れたい時間の24時間前に言わなければならない。
もちろん、相手が納得できない場合もある。そのときには修羅場だ。不実をなじり、いままでに相手に対して費やした時間と金額を言い立てて翻意を求める。だが、これはまず不可能だ。24時間ルールに則って宣言したことを撤回した場合は逆24時間ルールが返ってくる。相手が何を言っても24時間後には従わなければならない。そして、これは「止め」だ。さらにやり返すことはできない。
どうせ受け入れることになるなら、24時間を穏やかに過ごそう、という発想が生まれる。公園に行くと、年齢の割にひどく初々しいカップルが歩いていることがある。一方から別れを告げられて、それを静かに受け容れようと決めた結果だ。それまで過ごしてきたやり方をなぞって24時間が過ぎてゆく。最初は涙ぐむけれど、そのうちに手順を意識して行動するようになる。やがて、時間が尽きるころ思うのだ。自分はいままで何も考えずに過ごして来たなぁ、と。
こんな辛い思いを繰り返したくないと心に決めて、次のパートナー相手には綿密な準備をして臨む。デートや会話、そしてSEXにいたるまで、意識を張りつめて行う。そして、大抵は失敗する。うまくいくデートなんて、意識の部分でできあがってはいない。無意識にきちんとピースが嵌って、なおかつフレキシブルな対応ができてこその「良いデート」だ。でも、一度24時間ルールの洗礼を受けた人間は、無意識を恐れるようになる。人為的なたくらみなしには人と向き合えなくなる。そういう、怖気づいた態度は「24崩れ」と呼ばれて忌み嫌われる。従って、無意識を装ったたくらみを内に秘めるようになる。付き合いが深まり、身体を重ねる段階まではうまくいくこともある。重ねた不自然が牙を剥くのはそこからだ。意図でがんじがらめになった身体は肝腎なところで「役に立たない」。
「アンタ、24崩れね?」
「これだから24崩れの女は」
追い詰められて、ここで勝負だ。
どっちが先に別れの24時間ルールを持ち出すか。
言うまでもないけれど、ここでは24崩れのほうが素早い。悲しいけれど。
そもそもこんなルールがなぜ始まったのか。
最初はごくシンプルだった。
「あなたは24時間後に亡くなりますよ」
そう囁かれるだけだったのだ。
つまり、その人間は24時間後に殺されなければならない。ついでに言うと、誰が殺してもいい。ルールが発動した瞬間、街は大騒ぎになった。複数の人間に対して発動した場合はまさに阿鼻叫喚の地獄になる。
多くの人間が殺され、後悔の涙が流され、ようやく、「生き死にに関する24時間ルール」は禁止になった。
私たちはその時代について学んできた。だから、今の24時間ルールは平和だと思う。
そして今日、私はパートナーから別れを告げられた。
涙は流さない。24時間しかないのだから。
さっそく、二人で出かけた。行きたかったところ。しあわせだったところ。
乾いた心が笑顔を咲かせる。
夕暮れが迫ってきた。流さないと決めていた涙が出そうになる。
そう言えば、最初に「あなたは24時間後に亡くなりますよ」と言ったのは誰だったのだろう。
それを信じさせ、従わせたのは誰なんだろう。
教科書には載っていない。考えるほどに分からなくなる。
もし名づけるとしたら、それこそ「悪魔」なのかもしれない。
あるいは、その結果、今の平和な24時間ルールが生まれたのだから「神」かもしれない。
私の24時間が終わってゆく。
平和で、愛おしくて、そしてたまらなく切ない、私の24時間が過ぎてゆく。
(了)