雨宿りの娘
今年の梅雨は、やけに長く降り続く。
娘は不機嫌な顔を隠しもせず、男を見る。
「酷い雨ね。豪雨からの雷雨、狐の嫁入り」
男は藍色の着物を纏い、紫陽花の花などをいけていた。
顔にはふざけたようなヒ
ョットコの面。しかし背筋は美しく、指先なども整っている。素顔はさぞ美しいのだろう、と娘は想った。しかし思うだけだ。口にはしない。
なぜなら。
「雨宿りのつもりが、もう三年」
もう三年も、このヒョットコの面と向かい合っているからである。
「いつまで私をここに閉じ込めるつもり?」
「それはね、君をここに送り込んだ酷い男達が、雨に飽きるまでですよ」
仮面のせいで表情は見えない。しかし、男はきっと、笑っている。それを感じるたびに、娘はぞっとするのだ。それと同時に、喜びが背筋を振るわせるのだ。
「そうね。あの男達も、もう雨には飽きてるんじゃないかしら」
娘は美しい着物の裾を、きゅっと握る。それは美しい青色に染め抜いた着物である。
周囲を見れば、そこにみえるのは塵一つ落ちていない綺麗な部屋だ。汚れ一つない、障子だ、襖だ。その向こうに見えるのは雨が降りなずむ庭だ。
むっと湿度が高いくせにこの部屋ばかりは心地良いくらいに涼しい。庭にふる滴は、緑を弾いて美しい。
彼女がこの男の元に運ばれたのは三年前のこと。
三年前、彼女の暮らす村ではひどい飢饉があった。
雨がふらないのだ。一滴も、水さえふらないのだ。このままでは作物は枯れ果て、大地は割れて人が死ぬ。
村の男達は、娘に言った。
「雨の神の住まう滝の裏へ、雨宿りにいってくれ」
それは村に古くから伝わる忌まわしき隠語であった。村一番美しい娘が雨も無いのに傘を差し、雨に似た水色の着物をまとって滝を越える。その奥に住まうといわれる雨の神に、その身を捧げる。
すると、雨が降る。
作物が実る。村人は生き延びる。そして娘は帰ってこない。
男達は娘に、そんな役を押しつけた。
「飽きてるでしょうねえ。なんといってももう、三年も雨が降り続いているのですから」
男は穏やかにそういって、庭を眺めた。彼は穏やかで優しい。
滝の裏で出会った時から、そうである。
雨宿りへ出されたとき、冷たい滝の裏で娘は恐怖と絶望に震えて泣いていた。そんな娘に手を差し伸べ、心地良いこの部屋に運んだのがこの男だった。
彼は、雨の神であると名乗った。
そして娘に、歴代の「雨宿りの娘」の墓を見せた。それはいまでも庭にある。「みな、老衰まで生きました。哀れな私の妻達です」と、男は切なそうにそう言った。
その申告の通り、墓は皆綺麗に整えられて、雨に打たれて尚うつくしかった。添えられた紫陽花の花に男の優しさを見た。
娘は墓を眺め、男を見つめ、鋭く眉を尖らせる。
「さて私はいつまでここにいればいいのかしら」
「遣らずの雨が三日降る」
男の手の中で紫陽花がはらりと散る。それはまるで雨のように、床に散る。青い、透き通るような花弁である。
「……どういう意味?」
「好きな人を返すのが嫌で、いつまでも降り続く雨のことをそういいます」
男は優しくそういって、紫陽花の花で娘の頬を撫でる。娘の中に恐怖と、あきらめと、そして恋慕の情が浮かんだ。
ずっとそうだ。この三年の間、娘はこの恐ろしい雨の神に恋をしている。
「あなたは戻らない方がいいのです」
雨の神は呟いて、娘を優しく抱きしめた。
「あなたの村は」
くぐもって聞こえた神の声。
「……もう、とっくに」
雨の底です。
それは優しくも残酷な響きだった。男は憐れむように娘をみる。それは男達への憐れみではなく、娘に対する憐れみであろう。
娘は震えた背を悟られないように男の体にしかとしがみつく。
「そう。それなら、もう少し雨宿りをしていくわ」
「いつまでも、どうぞ」
二人の背後で、紫陽花の花がはらりと散った。