Dog(短編さらっと系)
(ボクちんは主催者なので、この投稿は投票対象外でよろー
)
冗談じゃないぜ、と相棒が珍しく語気を荒げて言った。
彼はそのまま、ハエでも追い払うかのようにネクタイを乱暴にむしり取り、くしゃくしゃに丸めて鞄に放り込んだ。まるで離婚届を破り捨てる、哀れな夫のようだった。
「ネクタイぐらいで、そんなにイライラするなよ」
缶ビールを飲みながら、僕は言った。
「ネクタイぐらい? よせよ、俺は犬っころじゃないんだぜ。レセプションだか何だか知らないけど、こんな首輪みたいなもんしてて、よく平気でいられるな」
まったく冗談じゃないぜ、と相棒はもう一度吐き捨てるように言った。
彼は僕の仕事上のパートナーである。僕たちは比較的大きな広告代理店に勤める制作部員で、僕がコピーを書き、彼がデザインをする。相棒はデザイナーとしてかなりの力量を持っているし(印刷所の尻を叩くのは天才的にうまい)、人間としても温厚な性格といえるだろう。つまり僕のまわりでは数少ないまともな人間の一人なのだ。だが、たった一つだけ理解できないところがある。彼は異常にネクタイを憎んでいるのだ。理由は聞いたが、僕にはよく分からない。相棒の言葉をそのまま借用すれば、ネクタイは奴隷制度の延長にある俗悪な習慣なのである。デザイナーになったのも、ネクタイをしないですむからだと聞いている。
しかし、僕と相棒は数日前、ディレクターにあるレセプションに出席するよう命じられた。そのレセプションには、新製品の発表のため、クライアントの外国企業から遠路はるばるお偉いさんがくることになっていて、ディレクターは僕たちにネクタイくらいはつけていけ、と言った。本当なら僕たちごときがそんなところに呼ばれることもないのだが、テレビCMで使った外国人タレントも来ていたり、新しいテレビCMが流されたり、もののついでといった感じで招待されることになったのだ。
何はともあれ夕食代が浮くので僕には異論はなかったが、もちろん、相棒は黙っていなかった。理由は簡単だ。ネクタイをつけていけ、と言われたからだ。相棒は人が変わったようにディレクターの意見にことごとく逆らい、オフィスにはピリピリとした空気が漂った。相棒の姿はまるで、政治家に抗議する市民運動家のようだった。実際、彼にとっては、ネクタイは麻薬や性犯罪と同じくらい悪質なものなのだ。
でも結局、激しい攻防が繰り広げられた末、上司と世間体には逆らえず、彼はネクタイを買い(一本ももっていなかったから)、スーツまで来てレセプションに出席したのだが。
「まあ、落ち着いてビールでも飲めよ」
僕は下に置いた紙袋から缶ビールを取り出し、相棒に渡した。
僕と相棒はレセプションが終わった後、バーで一杯飲んで、それから歩道橋の上で飲みなおしていた。
いつものことだ。何軒かまわって、近くに歩道橋があれば、僕たちはそこで酒を飲んでしめることにしていた。ときおり歩道橋を通る人々が僕たちを奇妙な目つきで見るのをのぞけば、街の灯りと夜空と自動車の騒音に囲まれて飲むのも悪くない。
「首輪っていえば、あのヘンな癖はどうした?」
僕は以前、相棒に聞いた話を思い出して言った。
「癖? あれは癖なんかじゃないぜ。溺れてる人を助けるようなもんだよ」
相棒の話によれば、彼は犬と交信できる能力を持っていた。といっても、交信する相手はある環境下に置かれた犬に限る。散歩に連れて行ってもらえないとか、まずい食事ばかり与えられるとか、そういう不遇な状況で飼われている犬だけだ。だから相棒は、自分の惨めな境遇を訴える犬たちの声を察知すると、飼い主に気づかれないように首輪をそっと外してやるらしい。
首輪を解き放たれた犬たち。
首輪を外すとき、一つだけ約束してもらうんだ、と相棒はクスッと笑って言った。
何だい?
現実は厳しい、誰にも迷惑はかけるなってさ。それと、自動車と保健所に気をつけろって。
その話を聞いたのも、歩道橋の上だった。寒い二月の夜なのに、僕たちはジャンパーの襟を立てて、おまけにビールを飲みながら、そんな訳の分からない話をしていた。
お人よしだな、と僕は凍えた声で言った。